蛇太夫の反逆で、鴆屋敷の半分以上が焼け落ちた。貴重な薬が残ったのだけは幸いだったが、屋敷の修繕には日数を要するとの説明に仕方ない事と諦める。
鴆一派の頭領であるからして、次の居に困る事はなかったのだが、屋敷が無い事は頻繁に本家へ顔を出す大義名分となっていた。
夜のリクオと盃を交わし抱いた期待。妖に期待などという言葉は似合わぬだろうが、鴆はリクオの頼もしい姿をその目にして未来へと希望を抱き、そして奴良組への忠誠を新たにしたのである。
屋敷が修理中である事を理由に、鴆が度々本家に顔を出すようになったので、総大将が離れを用意してくれたのは予想外の出来事であったがそれを断れる鴆ではなかった。
本家の屋敷の北に広がる竹林。その奥にひっそりと建てられた離れは喧噪とは無縁で、まだ新しいだろうに人が住んでいた気配は全くない。聞けばもう何年も使われていないらしい。
そうして鴆が仮住まいとしたのだが、そこには頻繁に顔を出す総大将の姿があった。
「誰だってのぅ、可愛い孫の処女を奪わせたくはないが、三代目を継ぐきっかけとなるならこの老いぼれ、目を瞑らんでもないんじゃが」
リクオの部屋には鍵などという無粋なものはないぞと言う総大将はつまり夜這いにでも行けと暗に含ませているのだろう。
「願い下げだってんだ」
すすめられるままに酒を飲めば心の内に止めておくだけの言葉も思わず出てくる。というよりも遠慮などしているとこの妖怪の主は己の孫の隣に鴆の寝床を設えるかもしれないという危機感があった。
「何を遠慮しとる。リクオは儂の若い頃に似て器量良しじゃぞ、きっとアッチの締まりも……」
「アッチとか言うんじゃねぇっこのジジィ!」
含み笑いをする総大将に鴆は思わず立ち上がる。
「いやぁ若いモンは血気盛んじゃのぅ、きっと夜の方もお盛んじゃろうて」
その飲んでいる酒の中に羽の二・三枚入れてやろうかと物騒にも考えつつ鴆はその場に座り直す。
「第一、リクオを押し倒したからってどうして三代目を継ぐ気になるってんだ」
独言のような鴆の言葉に総大将は意外だと目を見張る。
「虜にして意のままにしようって思わんのか?」
「無理矢理ってのは気がすすまねぇ」
手篭めとはつまりそういう事だ。女にすら無理を強いた事のない鴆である。そこまで情を交わしたいと思った相手がいなかったと言えばそれまでだが、ましてやリクオは男だ。
それに自分の主となるべき大切なお方なのだ。いくら三代目を継ぐ意志がないからと言って、あの夜の姿を見てしまえば希望も抱くし、そうなれば総大将の望むようには出来るはずもないというもの。
「心配せんでもリクオも満更ではなさそうじゃぞ」
どんな心配だと頭を抱えてしまう。
リクオも満更ではないというが、それはつまりリクオがこの鴆を憎からず想っているという事なのだろうが、それはまずあり得ないたろう。一体何が満更でもないというのだこの総大将は。
第一、謀るのが巧い総大将の口車には用心するに越したことはない。
「それにリクオはまだガキだ」
今年で13となる子供だ。片手でもはり倒せそうな小柄な身体では妖怪の主となるにはまだまだ力不足というもの。
しかし、あの夜のリクオはもう少し成長していたかと鴆は記憶を辿る。
美しく凛々しい姿。互いの腕を絡ませて交わす盃。その酒は今まで飲んだ酒のどれよりも酔えた。
リクオを帰したくないと思ったが、手下達が帰ってきて大騒ぎしたので、語り合う暇もなく別れざるを得なかったのだ。
鴉に聞けばその時の事は覚えていないというが、こうして足しげく通っていればまたあの夜のリクオに会えるのではないかと鴆は胸を高鳴らせていた。
「どうしたんじゃ、思いだし笑いとは気持ち悪いのぅ」
いやはや、何を考えておるんじゃと言うがその言葉そっくりそのまま突き返してやりたい。
「確かにリクオはまだガキじゃが、それでも良いと言う輩も多くての、儂は心配で夜も寝れん」
心配で眠れないと言いつつ、人に孫の処女を、勿論リクオは男だから厳密には処女とは言わないだろうが、孫の貞操を奪わせようとするのは矛盾ではないのかと頭が痛い。
「それに今から手をつけておくのも良いとは思わんか? 己が好みに育てるのも一興よ」
これは総大将もかなり本気かも知れないと、鴆は先ほどまでの崩した口調を改める。
「総大将、お言葉ですが若も私めも同性でありますゆえ、枕を交わすのは無理というもの。お戯れも程々にください」
深々と頭を下げればさすがの総大将も言葉を詰まらせる。そこへ足音が聞こえてきて、勢いよく襖が開かれた。
「おじぃちゃん、また鴆くんとお酒飲んでるんだね? いい加減にしときなよ」
着物姿のリクオが総大将に詰め寄っている。
「儂はリクオのためを思って鴆を説得しとるんじゃ」
「どうせ立派な三代目にする話でしょ?」
呆れたように眼鏡の位置を正し、リクオは腕を組む。どうやら本当に三代目を継ぐ意志は無さそうなリクオに鴆の心は沈む。
「いや、もっと色のある話じゃ、リクオも加われ」
リクオに酒を注ごうとする総大将を鴆はドスのきいた声音で制止する。
「総大将っ!」
放っておけばこのじじぃ、リクオに洗いざらい話すのではないかと鴆は冷や汗が出そうだった。
こんな密談をしていて同じ穴の狢と思われるのは心外である。まったくどこの世界に同性に自分の孫を押し倒すようほざく祖父がいるというのだ。
「ほれ、こっちにきて酌をせんか。鴆にもついでやれ」
孫には飲ませられないと悟ったのか、今度は一升瓶を差し出す。
「……なんなら、今ここで三三九……」
「総大将お戯れが過ぎやせんか?」
それは夫婦盃じゃねぇかと睨めば、総大将は至って楽しそうだ。
「そうだよ、おじぃちゃん。病人にお酒なんて体に悪いよ。いい加減にしなきゃ」
「そうさな、リクオの言うとおりじゃ。儂は退散しようかの。鴆よゆっくり休めよ」
ゆっくりを強調して、若い者に後は任せようかのぅなどと不穏な笑いを残し妖怪の総大将は去っていったのだった。
ゆっくりと言ったからには、数刻ほどはお目付け役も来ないのだろう。
つまりは機会を与えられたというわけだ。
二人きりにされて何をしろというのか。まさか本気でナニする訳にもいかず、鴆はええぃままよと盃を飲み干す。
この時、鴆は少しずつ変わりつつある己の心境を薄々と感じ取っていて、そしてまさかリクオが予想外の行動を取るとは思ってもみなかったのである。
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