幽明境を異にするとも 1



 奴良組本家を統べる総大将からの呼出に、鴆は床を離れる決意をする。
 ここ数年は枕から頭を上げる事もなかったのだが、総大将直々とあればと腹を括る。
 最近は、幼い頃から自分の後をついてきたリクオの芳しくない噂を耳にしては心を痛めてきた。まさかと我が耳を疑ってはいたがこの目で確かめる事が出来る良い機会が出来たのだと重い腰を上げる。
 リクオが三代目となり、七分三分の盃を交わすまでは長らえんとしてきたが、このままでは命尽きるのが先かも知れないと不安が満ちる。
 あの利発な少年が、いずれは己が主となると期待していたからこその落胆。
 今日はそれを打ち消せるかもしれない。
 自分なら説得出来るやも知れぬと多少なりとも傲慢もあり、鴆は毒に侵される身体に鞭を打ち本家へと足を向けたのだ。残り少ないこの命を捧げるだけの価値はあると誇りに思いながら…。



 上座に座った総大将に深く頭を下げながら、最近の不義理を詫びる。
「うむ。今日そちに来てもらったのはリクオに三代目を継ぐよう説得してもらおうと考えたからじゃ」
 その特性ゆえか本心を見せぬ総大将も流石に手を拱いているのだと伺える言葉にひたすら頭が下がる。
「幼い頃から義兄弟として育ってきたお主の言葉ならリクオも耳を貸すじゃろう」
 はたしてそうだろうか。
「もう五年もお顔を拝しておりませんゆえ、リクオ様に忘れられておりましょうが、この鴆、精一杯の努力はいたしましょう」
「そう堅くなりなさんな、正直リクオの妖怪の血を目覚めさせるのはお主しか、いや鴆の血だろうと思うとるんじゃ」
 そこまでの信頼は身に余る光栄だが、総大将の言葉に引っ掛かるものを感じて鴆は主の尊顔を拝す。
「そりゃあ、どういうことで」
「儂の息子、つまり二代目じゃが。あいつが長く人間としてお役所勤めしとったと聞いておるじゃろ?」
「はぁ、まぁ」
 初代の威光もまだ健在であるがゆえに二代目は危機感無くお育ちになったと、父から聞かされていた。しかしその二代目が跡目を継ぐ決意をしたというのが鴆の血とどう関係があるのか。
「今まで儂の心の内に留めていたが、あいつの中の妖怪の血が目覚めたのは、そなたの父に手篭めにされたからじゃ」
 手篭めという言葉に鴆は下げていた頭を上げる。ついでに上げたくもない血圧もだ。血を吐かないだけはマシだったが一歩間違えば危なかったぐらいだ。
 まさか己の父が、主とした男を手篭めにに、つまり情を交わしたという事実に絶句する。
「ま、さか」
「二人とも義兄弟として長く一緒にいたが、まさか鴆がそこまで想うておったとは露知らなんだのぅ。結局互いを想う気持ちが高じてか、二代目として跡を継ぎ、立派に勤めも果たしたもんじゃが、いかんせん鴆の毒は猛毒でのぅ」
 さめざめと泣く仕草をする総大将に鴆は額から嫌な汗が吹き出てくる。つまり早世したのは鴆の毒とでも言いたいのか?
 いやそれよりも自分が呼ばれた理由だ。
「そ、それでこの鴆とどういう関係があるとおっしゃりたいのか見当付きませぬ」
 わざととぼけてみせるが総大将はニヤリと口の端を持ち上げる。
「リクオもまだ子供じゃからな、手篭めにしろとは言わぬが、年近い義兄弟のおぬしならなんとか説得出来んもんかと考えたわけじゃ」
「総大将もお人が悪い。幼い頃から義兄弟として駆け回ったこの鴆がリクオ様に懸想するなどもってのほか。父がどういう考えで二代目をお支えしたか存じませんが、この鴆なりにリクオ様を説得いたしてみせましょう」


 総大将の前を辞して鴆は心の内だけで悪態をこれでもかと吐く。
 あのくそじじぃ。
 誰が好き好んで男を押し倒すかってんだ。
 いくら父が二代目と通じていたからといって、同じ穴の狢にされちゃあ死んでも死にきれない。
 そして、リクオの私室の隣にある客間に通され学校とやらから戻られるのを待たされる。
 三代目として精進してるかと思いきや、すっかり人間くさくなり、ふぬけになったと伝え聞く。幼い頃の約束を違えるというのなら、説教の一つぐらいしても罰は当たるまい。
 それで、三代目を継ぐ気になってくれれば良いが。
 まずは煽てて見るかと鴆は腕を組む。静かな庭からは鹿威しの音。外界からは隔離された空間であるため、人の気配はないが様子を伺う妖気はある。おそらくリクオの側近だろう。


 途端、正門から賑やかな声が聞こえてきて、待ち人が帰宅したのだと知る。
 そして。
「鴆さん」
 躊躇いがちに襖を開けた少年は、自分が想像していた子供よりほんの少しだけ成長していたが、それでもなんと線の細い事かと思わず絶句した。これで妖怪の頭となれるのだろうかと正直拍子抜ける。
 小さな顔に大きな瞳。少し生意気そうな小さな鼻に無邪気に緩む口元が意外と愛らしい。
「あの、鴆さん?」
 それでも、久しぶりの対面は、残り少ない命が今にも吹き消えてしまいそうなほどの衝撃があった。
 確かに鴆の血があるとするならそれは間違いない。やはり彼こそが我が主となるべき存在だと確信……
「って待ちやがれっ」
「ど、どうしたの鴆くん?」
 思わず自分の思考にツッコミを入れたのは当然だろう。
 どうしてこんな人間のガキが三代目と認めなきゃならないのか。妖気の欠片も感じない、ただの人間。
 そこまではまだ良い。
 総大将の血を四分の一も引いているのだ。継ぐ継がないは、ようは気持ちの問題なのだから。
 それよりも総大将の言葉が鴆の頭を駆け巡ったのだ。
『手篭めされて妖怪の血が目覚めたのじゃ』
 二代目と父の間に情愛があったとは思えないから、おそらく怒りが作用したのだろう。
 それと同じ事を示唆した総大将。何が鴆の血だ。
 確かに見た目は好みではある。そこは認めよう。あの愛らしい子供がこんなにも庇護欲をそそる存在になるとは想像もしなかった。勿論三代目としての資質には不要なものなのだが。
 しかし、何よりも手篭めにするなんてあり得ないだろう。天地がひっくり返ってもあり得ない。不敬の極みじゃないかと鴆は呆れ半分にリクオを見つめ、嘆息したのだった。



 そして、リクオの三代目を継ぐ気がないと宣言に落胆しつつ屋敷に帰る。
 残り少ない命、このまま消沈のまま生を終えるのだろうと思う反面、リクオの姿が目に焼き付いて離れない。
 今日は調子が悪いのだろう。動悸が治まらない理由ををそう位置づけて……。


 5年ぶりの再会は鴆に新しい感情を植えつける事となるのだが、それは鴆は勿論のことリクオにも知る由はなかった。


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