偽りの代償 2



 御簾の奥では密やかに会話がなされているようだったがこちらにまでは届いてこない。
 しばらくして、牛鬼の性格なのか、ほとんど着崩す事なく御簾の中から出てくる。
 何やらリクオを慰めるような、諭すような優しげな声音もこの男のものだが、そんな優しさがあろうとは意外であった。
 しかし鴆と目が合えば、牛鬼は優位を示すような表情を見せて鴆を不快にさせた。
 初物であるリクオを堪能した挙げ句、開花させたとでも言いたげで、鴆はこみ上げる憤怒を収めきれない。
「鴆。リクオ様の様子を看てやってくれ。傷を負わせるつもりはなかったが、年甲斐もなく夢中になった」
 それだけリクオの身体が良かったとでも言いたいのか。
 まるで鴆がやせ我慢をしている事を指摘し嘲笑しているようでもある。
 口を開けば罵りの言葉しか出てこない確信があり、鴆は黙ったまま頭を下げた。
 一旦休憩となったのか、気がつけば幹部は席を辞してしまっている。
 この間に治療を施せという事なのだろう。
 そっと御簾に近づけばリクオがその気配を察したのだろう。怯えるかのように布団の中に潜ってしまっている。
 もっと牛鬼との情事の痕跡が残っているかと思えば、予想外に整頓されているし、焚かれた香が雄の匂いを消していた。
 頭から布団を被るリクオの手が震えている。それはまるですべてを拒絶するかのようで鴆はその場から動けないでいた。
 どう声を掛けようかと迷っていると、掛布団の下からリクオの声がした。
「次は、鴆くん?」
 意外と明瞭な口調。ほんの少し掠れている気がするのは先程の牛鬼に散々蹂躙されたからであろう。
 それでもまだ正気を保っていられるのか。
「次は狒々の息子だとよ」
 妖怪も人型である者も少なくない。また意識して人型となっている者も多い。
 牛鬼は元から人型であるし、狒々の息子も常日頃から人型として生活しているらしい。
 自分も人型を選んでいる妖の一人ではあるが、それは人の手というものが薬師には必要だからであって、けっして大切な者を陵辱するためではない。
 リクオの問いを否定すれば、まるで本当の人間のように胸が痛む。妖の自分には似合わない感情だった。
「そう……、次は猩影くんなんだ」
 諦めたかのようにため息をこぼすリクオであったが、掛け布団を被ったままであるが故にその表情を伺い知る術はない。
「手当、させてくれ」
 雄の欲望を受け入れるにはまだ早いリクオの体は初めての性交でどれほど傷ついているだろう。
 心も傷ついているだろうが肉体的にも無傷であろうはずがない。
 どれだけ牛鬼が丁重にリクオを扱ってとしても、どれだけこの香に催淫効果があったとしても。物理的なものは変えられない。
 出来るだけリクオの身体から痛みやを取り除き、傷を治療したいと迫る鴆だったがリクオの態度に変化はない。
「……嫌だ」
 顔すら見せようとしない、頑なな態度をとり続けるリクオに鴆も痺れを切らす。
「こっちが大人しくしてるうちに、さっさと見せろってんだ」
 傷口から菌が入り込む前に消毒しなければ破傷風にもなろう。それでなくとも傷ついているのだから、これ以上悪化させたくはなかった。
「こんなの見せたくないっ、それに牛鬼はひどい事してないから……」
 狼狽えるリクオの言葉に鴆も気付かさざるを得ない。

 そうだ。リクオの身体は陵辱された身体だ。

 治療のためならどんなひどい傷でも診る事が出来ると自負してはいる。しかし、リクオの陵辱されたであろう身体を見る勇気はない。
 リクオとて情けない姿を見せたくはないだろう。
「……すまねぇな。怒鳴って悪かった」
 言葉では伝わらないかもしれないが、鴆はもう一度すまなかったと詫びて手を引く。
 リクオはどんなに心の傷を負った事か少し考えれば解る事であろうに。それを健気に微塵にも見せない。
「次は猩影くんなんだよね……」
 諦めたかのような口調。
 リクオの言う通り、自分がここを離れれば次が始まる。
そうと知っているからこそ、この場から離れられず鴆はのろのろと薬を処方する。
「鴆。そろそろ時間だ」
 牛鬼が声をかけてくる。ここまで待ったのは牛鬼の気の長さだろう。
 引きずり出される前に渋々とリクオの側を離れようと御簾を上げれば、またもや陰鬱とした雰囲気で幹部達が黙ったまま座している。
 これは本当に現実なのか?

 必要以上に焚きしめられた香の匂いだけではない。逃れられない絶望を前に、鴆は目眩さえ覚えていた。




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