君と僕の温度差 8




 一人残された部屋で、のろのろと身仕度を整える。
 早く学校に戻らなければ……。これからまだ授業があるし、自分の事で生徒達の学ぶ権利を侵害する事は出来ない。
 その一心でなんとか学校に戻り、身体と心の痛みを隠し授業をする事は出来た。放課後まで空く事なく入っていた授業が終わると身体は疲弊しきっていて……。
 のぞみ達が帰るのに合わせて鞄の中にでも匿ってもらって帰りたかったが、今はナッツと顔を合わせたくなかった。
 誤解をされたまま、気まずい中でナッツには会えない。そしてどうやって訂正すべきか一人で考えたかったのだ。
 しかし実際一人になると身体がナッツを思い出す。
 後から貫かれ、揺さぶられた身体はまだ熱を帯びている気さえする程に。
 だがどうして彼は暴挙ともいうべき行動に出たのだろう。親友である自分の行動が許せないと言っても、怒りの原因がどこかおかしい。
 身体を張ってまで目的を達しようとしていた事ではなくて、ナッツ以外と親密になろうとしていた事に怒っているような気もしたのだが。気のせいだろうか……。
 自分の心とはうらはらに静かな水面を風が渡っていく。
 滅亡したパルミエからコレットを追い掛けて人間界に来た時よりも切羽詰まった情況のような気分に泣きそうだった。
 少しの間ナッツとは距離を置いたほうが良いのかもしれない。行く宛てなどなくても、元の姿なら木の洞でも身を隠す事は出来るし、何よりもこの学園の敷地はとても広い。
 だがそうやって逃げてなんの解決があるだろう。
 それにナッツから離れるのはやはり気が引ける。どんなに罵られようとやっと会えたナッツの側にいたかった。
(僕も大概、馬鹿だよな……)
 ナッツの事を好きだと思う気持ちと、それすらも過ちだと思う気持ち。思慕と後悔と、感情の渦が整理できない。
 ただ、早くパルミエに帰らなければならない事だけは確かな気がした。そうすれば、この気持ちも全てリセットされるに違いないと。
 どれだけ、水面を見つめていただろう。
 茜色の空が、少し冷気を帯びた風が、虫の鳴く声が時間の経過を知らせる。
 人の気配に気付いて慌てて顔を上げると学年主任が困ったような顔でこちらをみつめていたのだ。
「……浮気しようとしたらお仕置きされた。そんな顔してますよ」
「えっ、いやそんな」
 いったいどんな顔をしていたのか……。
「あんな彼がいるのに私の誘いに乗るなんて小々田先生はいけない人だ」
 つぶやく声音は責めるでもなく、単なる事実を客観的に述べただけのようだった。しかし、『彼』という表現には大いなる誤りがある。。
「ちっ違いますっ、あいつは単なる友人で……」
 こんな拗れた関係にはなっていたが、いつかはきっと元の親友に戻れるだろう。いや戻りたかった。
 だが主任はそんな言葉を信じようとはせずただ苦笑を浮かべている。
「じゃあ心変わりで私にチャンスが?」
 手を取られ、自分より大きな手に握られそっと撫でられる。
「……」
(心変わりが出来たら良いのに……)
 これ以上喋っても、相手の都合の良いようにしか解釈してもらえないだろうと黙り込んでいると学年主任の男がシャツから覗く素肌を指差す。
「かわいいですね、小々田先生は。ここに素敵な跡が残っていますよ。彼もかなりご執心のようで」
 どんな跡が残っているのかと慌てて隠すが、見られた事実には変わりはない。それでも主任の『彼もかなりご執心なようで』とのくだりには無言で首を横に振って否定した。
 そんなはずはない。
 もしナッツが執心しているように見えたのだとしたら、パルミエ復興に真剣みが感じられない僕に腹を立てているのがそう映って見えたのだろう。
「一度、私と……どうですか? そうすれば心変わりするかもしれませんよ」
 握られたままの手が主任の股間に導かれ、そのかなりの臨戦態勢ぶりに狼狽えて立ち上がる。
「きょ、今日は帰ります、失礼します」
 走るのも体力が限界で覚束ない足を交互に動けとだけ命令し、振り返りもせずに学校を後にする。
 街灯が息切れをするかのように点いたり消えたりする通りを、いつ元の姿に戻っても隠れられる場所を目算にいれつつ歩く。
 やっとの事で帰宅した時にはいつもよりも随分時間がかかっていたうえに、連絡もなしで帰るには少々遅い時間になっていた。
 扉を開けるより先に、内側からナッツが扉を開ける。
「……ナッツ」
 無言のナッツに部屋に引っ張られ、月明かりの差し込んでいた窓をカーテンで隠す。部屋の明かりも落とされていて、顔の表情がやっと解る程度。
 合わせづらい顔。何を話して良いか解らないナッツが先に切り出した。
「ココは相手が男でも女でも構わないんだろう? それも不特定多数。あの同僚ともしたんだろう? 生徒にも手は出したのか?」
「ナッツ!」
 刺のある言葉。これは誤解どころじゃない。侮蔑の色の含む言葉に何と答えて良いか解らない。
 すべて否定しても、自分がナッツを受け入れたのは事実なのだ。そして抵抗しない自分の身を、ナッツがそう誤解していとしても不思議ではない。
「この身体はいいな。生殖行動が快楽のためだけに行なえるなんて。ちなみに生まれる子は妖精の姿か人の姿どちらだろう? いっそこの世界にパルミエを蘇らせるか?」
 あの少女達は健康そのものだと、言い放ったナッツが示す先がプリキュア達である事に身震いがした。
「本気、じゃないよな? 僕達のこの姿は仮の姿で……」
 種族が違うのだから生まれるはずはない。
 そもそも妖精体では生まれるというよりも発生すると言った方が的確だ。ある日突然形になるのだから。
「俺が強行手段に出て、この人間界にパルミエを再現させたくなかったらココが毎晩相手になればいい。そして教師なんかやめてピンキーを早く集める事に集中するんだな」
 壁ぎわに追い詰められ、唇を重ねるかのように少し角度を傾けてナッツの顔が近付いてくる。
「ココ……」
 柔らかなトーンの声に、思わず目を瞑って受け入れそうになるの自制し、両腕を伸ばす事でナッツを遠ざける。
「イヤだ、こんなのは、嫌だ!」
 ここでナッツの思うがままになれば、自分の心と身体はパルミエに戻ってもナッツを忘れられなくなる。
 ナッツがどんな意図で自分にこんな事をするのか解らないが、それでも自分の心はナッツだけしか想えなくなってしまう。そんなのはダメだ。
(この身体でなければ、ナッツだって……)
 無理に出来ないだろうと、元の姿に戻ろうとするがナッツによって制止される。
「ココもまんざらでもないくせに。それと、元の姿に戻っても無駄だからな」
 人間の姿でも出来るなら、元の姿ででも出来るって試してやる。そう断言したナッツにさらなる絶望を覚えていた。
「ナッツ……」
 なんという狂気だろうか。まるで取り憑かれたかのように執着を見せるナッツはまるで別人のようで……。
「お前は俺とパルミエに帰るんだ。他の事なんて考えるな」
「……それは、無理だよ」
 他の事を考えないなんて出来やしない。
 伝説の戦士プリキュアの力を借りるために、それなりのフォローも必要とあれば小々田としての生活を捨てることは出来ないというのに。
「どうして、お前は!」
 ナッツの手が振り上げられ、殴られるのかと思ったのだが、その手で引き寄せられ噛み付くようなキスで唇を重ねていた。
「ナッツ……」
 ヘイゼルの瞳が言い表わし様のない表情を浮かべていて、それが狂気なのか後悔なのか読み解けないまま、次の瞬間には押し倒されていた。








NEXT