君と僕の温度差 6
朝からナッツの小言を右から左へ流しつつ、いつもより早く、まるで逃げるように出勤した。 体調はあまり良い方ではなかったが、肉体的な疲労よりも精神的な疲労の方がジワジワと効いているようだった。 その疲労の原因が、親友であるナッツに由来するのは疑いようもない事実で……。 一つの過ちが坂を転がるように大きく膨らんでいく。 ナッツの『人間の身体について』の無知を利用して己れの欲望のままに歪曲させた過ち。それからのナッツは以前の彼とは別人のようになってしまっている。 パルミエを滅亡させた責任を感じ、ただ幸せに暮らしていたあの頃の彼と違うのも頷けるが、それだけではないと第六感的なものが働くのだった。 早めに出勤し、昨日世話になった礼を言わねばと主任の出勤を待つ。 程無くして職員室に現われた彼を、裏手の湖まで首尾よく誘い出していた。 「昨日はすみませんでした」 普段から懇意にしてもらっていて、よくおやつの差し入れもしてくれる世話好きなこの男には感謝してもし足りないぐらいだ。 「今日も少し顔色が良くないですよ。臨時といえども十二分に小々田先生はクラスに心砕かれてらっしゃいますから疲れも出たんでしょう。あまり無理をなさらず」 ことある毎に気に掛けてもらえて、教師としての小々田には必要不可欠な人物であるからして懇意にしていて損はない。そう考えて食事などにもよく付き合ってきた。 「はぁ、不徳のいたすところでして……。社会人として恥ずかしいかぎりです」 プリキュアのサポートをすると決めて教師となったのに、体調不良で倒れるなんて情けないかぎりだった。 「小々田先生は……、どちらのご出身で? いや、そんな事はどうでも良いんですが……。なんというかもっと小々田先生の事を知りたいんです」 「はぁ」 なんとも間の抜けた返事を返してしまったが、そんな事を気にするより早く背後から抱き締められていた。 「小々田先生、実は、初めてお会いしたときから!」 貴方のことが好きでした! と、続く言葉に目眩がした。 ほんの少しマインドコントロールが強すぎたのかもしれない。好意を持たれるよう、不審に思われないよう、臨時の教員として入り込んだ時に情報を操作したのだが、やや強く影響してしまったのだろう。 「ちょっと、こんなとこでっ! ここはマズイです、生徒達にみつかってしまう」 「ここじゃなきゃ良いんですね」 「ええ、ここじゃなきゃ……」 言っている途中で気が付いた。自分が発した軽はずみな言葉に相手の目が細められる。 「良かった。でもどこなら良いんですか?」 誤解だと言うべきなのに、彼の気迫がそれを許さない。 ここでなければ、今の行為の続きをしても良いと受け取られる答えをした事に間違いはない。ただそんな意図はなかったというだけなのに、間違いだと答えるべきなのに言葉が出てこなかった。 咄嗟に自分の立場を思い出す。 この人間界で小々田という人間を守る人間は必要だ。そして彼の主任という立場はとても魅力的で……。 幸い今日は家にナッツはいない。 材料を仕入に行くと言っていたが、彼の性格からすると一日店を閉めるかわりに、出来るだけ良いものを仕入れようと方々を回ってくるはずだ。 そして自分の授業も二時間ほど空いている。 「……僕の部屋なら、構いません」 言ってしまえばもう後戻りは出来ない。 おずおずと相手を見るとまるで肉食獣のようなぎらぎらとした視線でこちらを見つめていた。 無言で腰に手を回され、明確な意図を見せる手に覚悟を決めて場所を移動する。 案の定、店は臨時休業で、表の貼り紙にはナッツらしい丁寧な字で詫び文が書かれていた。 裏口からそっと部屋へと上がる。 自室にはいざという時のように、度数の高い酒が常備してある。これを飲むという事は、この同僚教師との行為を自らすすんで行なうという事だ。 そう考えると身震いがして二の足を踏んでしまいそうだった。 だが、もう引き返せないところまで来ているのだ。 そう……、大した事をする訳じゃない。 プリキュアをサポートする小々田の立場を有利にするためなのだ。ひいては王国復興。そしてナッツのためだ。 「小々田先生、いやコージって呼ばせてください。なぜかあなたを見ていると小動物のような愛らしさを感じるんです」 「あはは、こんな体格で、ですか?」 「いやー充分です。このぐらいじゃなきゃ、スポーツは楽しめませんよ」 ベッドの上でのスポーツをね。と、真顔で囁かれ覚悟を決める。 煎れたコーヒーの大半はアルコールで、ブランデー入りのコーヒーというよりもコーヒー入りのブランデーになっている物を一気に飲み干した。 自ら服を脱ごうとすると、背後から伸ばされた手がシャツのボタンの隙間から肌の感触を確かめるように滑る。 気持ちが悪かった。 頭の中にナッツの影がちらつく。それを無理に追い払い、すべてはナッツのためだと言い聞かす。 すべてはナッツのため、きっとナッツだって喜んでくれる。 きっと……。 押し倒された身体。 この感覚が偽物の身体を快楽へと追い立てる。身体も偽物ならこの感覚も偽物なら良かったのに。何も感じなければ良かったのに。 脇腹を辿る遠慮の無い手。 両腕を顔面で交差して何も見えないようにしても、身体を巡る血液はまるで沸騰しそうな錯覚を生み出してくる。 (ナッツ……) この人間界で非力な自分達が目的を達しようとしたなら、これぐらいは耐えねばならない。そう思っていても、ナッツ以外に許した事のない身体は人間という異形に怯えるのか震えが止まらなかった。 ガタンッ 机が倒れる音。 見るとそこには、机を蹴り倒し表情を無くしたナッツが仁王立ちになっていたのだった。 |