嘘つきな唇 6




 毛足の長いラグは二人で選んだ物だ。特に馨が気に入ったので僕も嬉しかったのを今でも覚えている。
 今、そこには何やらメイク道具が散らばっていて馨が座り込んでいる。
 裾を捲った馨の足首に気持ちの悪い跡が残っていて口をついて出た言葉は嫌悪に塗れていた。
 隠そうとしているのか、馨が裾を元どおりにしようとしていたが手が震えている。
 きっと全身に痣があるのだろう。馨の綺麗な顔にだけは傷つけなかったみたいだが、どれほどの力で馨を痛め付けたのか。
 馨の足首に残るあんな手形……。どんな事をしたらあんな跡になるのだろう。
 そして、立ち上ろうとした馨が腰を庇う。
「あーもう、腰が痛い!」
 あんな体勢じゃ仕方ないかー。そう、小声で呟いた声は僕の耳に大音量で響く。
「馨、腰使いすぎた?」
 何をして。という言葉がなくても意味するところは解るだろう。
「はは、光は何でもお見通し? まぁ据え膳ってヤツね」
 乾いた笑いで馨は散らかった周囲を片付ける。

(お前が据え膳になったんだろう?)

 どれだけそう言ってやりたいか!!

 どんな顔であの男とキスして。
 どんな顔でセックスしているのだろう。

 脳裏で攻める側としての馨が艶かしく腰を打ち付けている。AVの男優のように、見せ付けるように動かされる腰。
 だがしかし、気が付けば受け身側として脚を開かされている馨が浮かびあがっていた。男の背に腕を回し、もっと強く抱いてくれとねだるような馨の表情。長い脚が男の動きに合わせて揺れている。

 そんな下世話な想像を無理に追い払い、僕は馨を睨み続けていたのをやめる。
 馨が彼を愛しているのなら、口を出す権利はないはずだと言い聞かせて背を向けたのだった。







 いつもの自分に戻るには努力が必要だったが、それでも僕は普段どおりだったはずだ。
 そして馨もいつもどおりで、付き合っている『彼女』の話は一言も出てこなかった。
 昨夜、二人で何をしていたのか。聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちが均等に交ざり合って滞留している。
 互いに探り合うようで気味が悪かったが、それでもヒビ割れは完全に崩壊する一歩手前を保つ。
 夜もいつものように隙間なく置かれたベッドで一緒に寝て……。
 真夜中になってはいなかった。
 デジタル時計は日付を変える事無く、微かにだったが暗やみで存在を示している。
 深い眠りに入る前に目が覚めたらしく、僕は隣の馨を確認してからもう一度目を閉じようとした。
 だが馨の寝言が僕の意識を完全に覚ます。
「ヤダ、ヤダッ、嫌っ、離して!! 助けてっ!ひかっ…」
 自分で口元を押さえて、『光』と呼びたいのを我慢したようだった。
 必死に逃げようと藻掻いているようにも見える馨の双眸から涙が一筋零れ落ちる。

 寒気がした。

 きっと馨は無理やりに、犯されたのだ。
 それをいつものように明るくふるまって、普段どおりの姿を見せるのはどれだけ辛かっただろう。
 助けてと叫んでいた馨。悪夢にうなされるように額に汗を浮かべている。

 何も言わなかった馨。どうして馨はその男を許すのだろう。嫌だというのを犯されてまで……。何も言わずに彼を庇っている。
 それとも合意なのか?

 再び「助けて、やめてっ!」と叫びだした馨を起こし抱き締める。
 泣きながらしがみついてきて、
「ひかるっ、ひかる!」
 それでも眠ったまま、まるで怯える子供のように泣きながら……。そして再び眠りに落ちていく。

 悪夢の中の馨を僕が助けられたのなら良いのだが、所詮は夢だ。
 現実の馨はこうして何を言えず傷ついているというのに僕は何も出来ないのだろうか。


 枕元の携帯電話を取り上げる。馨の携帯電話は同じ機種の色違いでロックもしない事を知っていたから……。
 着信履歴の『彼女』へとリダイヤル。
 電源を落としていたら別だが、奴が馨を好きなら必ず出るだろうとの僕の予測は寸分の違いなく当たる。
『もしもし、馨?』
 少し低めの男の声。嬉しさがにじみ出ているのは気のせいではない。
「あのさ、別れてよ」
 唐突に切り出した僕を馨だと思っているのだろう。
『嫌だ! 昨日の事……。無理にしたのは謝る。だから……! 馨が好きなんだよ。誰にも渡したくないんだ。せめて、卒業まで俺の馨でいてよ……』
 真剣な声に溢れるような感情が込められていた。


(こいつは、マジで馨が好きなんだ……。)

 理解出来る。僕だって馨が好きだし、誰にも渡したくない。
 だけど、だからって、馨とSEXだなんて考えられるか?



 考えられる。

 馨とのSEX。

 だけどそれは禁忌だ。


(とても甘い、誘惑と言う名の禁忌……。)







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