嘘つきな唇 5
どうせ僕は光とどうこうなれる訳ではない。 愛しているという感情は曖昧で、忘却というスプーンでかき混ぜれば他の感情と交ざって解らなくなるだろう。 ただそのスプーンは、時間という気の遠くなる存在だけれど。 動けないように押さえ付けられた身体だったが、「そろそろ出掛けなきゃ」と言って押し返すと光は難なく解放してくれた。 単なる彼のワガママだろうが、あまり干渉してほしくない。決心が揺らぐ。 あまり気が進まないが、今夜はデートだ。 少し気性の激しい彼。 呼び出された当日に付き合わないと言ったら、卒業前の思い出にとキスを迫られ、腹が立つから噛んだら噛まれて。おまけに殴られた。 絶対に付き合ってなんかやるものか! と、思ったが結局付き合う事になって。 そういう強引な行動に出れる彼の感情が羨ましかったから付き合ってやったと言っても過言ではない。 どうせ卒業までの話だ。 今夜だって、レイトショーを見にいくだけで、光が思うような事は何もない。 けれど光は僕が『彼女』とお楽しみだと思っているはずだ。 『馨は幸せ?』 核心を突いた光の言葉が耳の奥にまだ残っている。 幸せなのは光を守れるからだよ。 こうでもしていないと、僕は光を諦められない。時間が無駄にあると何をしでかすか解らない。 大好きな光のために。 距離を置くために。 僕は彼らを利用しているんだ。 彼が卒業したら誰にしよう。年上でも年下でも男でも女でも誰でも構わない。僕に執着してしつこいぐらいの人間なら誰でも良い。 僕の時間の全てを占有したくなるような激しい心を持つ人なら……。 すっかり陽が高くなり、早々に別れて帰ってきたけれどもう昼はとっくに過ぎていた。 面白くもなんともない映画を延々と見て、24時間営業のカフェでどれだけ僕を愛しているか囁かれて正直うんざりしていた。 おまけに……。 簡単にあしらえると思っていたのに計算違いだった。 恋というものが暴走するものだなんて、頭では解っていたがこうして体験してみると羨ましい気さえした。 しかしそう考えると、光への感情を押さえ付けている僕の恋は恋じゃないのか? いやそれだけ光が大切なんだ。 そして昨夜の彼は光の言うとおり本当に猟奇的というか原始的だった。暴力に頼るなんて信じられない。 相手が男だから簡単だったが、股間を蹴られて悶絶する彼を見下ろしながらこんなカフェの個室に入るんじゃなかったと反省して。 ハニー先輩に護身術習って良かったと真剣に思ったほどだ。 股間を蹴り上げるだけじゃなく、どうせなら踏み潰してやろうかと思ったほどだったが大切な『盾』を邪険にも出来ず無言で別れてきた。 心配ない。どうせ二・三日もすればその厚顔を見せるだろう。そんな奴だ。 光の居ない部屋に帰ってきて着替えを済ます。どこかに出掛けたのだろう。いつもなら根掘り葉掘り僕の行動を気に掛けているというのに。 いいや、これが普通なんだ。こうして光から離れていれば光だって僕の居ない新しい世界に飛び込んでいくだろう。 ふと痛みに足元を見ると、カフェで押し倒された時に捕まれた足首が痣になっていてその力の強さに驚かされた。 足首に男の手形がべったりとだなんて、まるで心霊現象のようで気味が悪い。さすがにこれは自分で見るのも嫌でコンシーラーを探す。 部室には常備しているが自宅には置いているのは、血糊とか人を驚かせるための特殊メイクに突出した道具類だけだ。それでもこの間から多用しているからもしかしたらどこかに置いたかもしれないと心当たりを探す。 まさかコンシーラーを足首に塗る日がくるなんて……。 「あいたっ」 考え事をしていたからだろう。机の角で腰を打つなんて僕らしくない。 それでも見付けだしたコンシーラーを手に僕がその場に座り込んでいると、何時の間にか部屋に帰ってきていた光が僕を見下ろしていた。 「何、それ……」 その視線が僕の足首にある。 光の表情が強ばっていて、僕を汚いものでも見るように見据えていた。 あぁ、また誤解されたに違いない。 だが、どういう風に光が誤解したのか僕には解るはずもなくて……。ただ光の形相に何も言えないでいた。 |