嘘つきな唇 4





 どれだけの沈黙がそこにあっただろう。もしくはほんの瞬きする間だけの事だったかもしれない。
「……付き合うんだ」
 努めて冷静に言えた自分に驚かされる。自分でも必ず取り乱すに違いないと思っていたというのに。
 馨の言う例の彼女。馨自身ですら、話題にした女達のどれだが解っていないだろう。
 何も知らなければどの女の事かと悩むところだが、全部嘘だと、付き合うのはあの男なのだと知っていれば、馨の矛盾にもついていける。
「なんかほだされちゃって」
 照れ臭そうなのは演技なのか本心なのか……。
「ふーん。今度紹介してよ」
 意地悪く言うと馨の表情が少し固くなる。
 これがカワイイ彼女っていうなら許してやるのに。いや、あの男でさえなければどんな女でも構わなかった。
 しかし馨が選んだのは男で……。
「やだよ、だって光と趣味が一緒だから彼女取られるかもだもん」
 いつもの馨の表情に戻っていたが、断られるのは分かり切っていた。付き合うのが男だというなら紹介なんて出来やしない。
 食い下がって、もっと馨を苛めてやろうかと思ったが、視線を逸らした馨の切ない表情に何も言えなくなる。
 そんな僕の不満が馨にも伝わったのだろう。
「光に彼女が出来たら紹介するって約束する」
 だから早く彼女つくりなよ。そう言って柔らかな笑みを浮かべる馨。その言葉のどこまでが真実でどこまでが嘘なのだろう。
 今は馨の一挙一動が疑わしく、何気ない仕草にすらイライラさせられた。馨の考えている事が解らなくなる日がくるなんて予想もしていなかったからかもしれない。
 そして苛立ちは日増しに大きくなっていく。
 放課後は部活動があるから、馨がデートと称して出掛ける時も一度家に帰ってから出掛ける事が多い。
 絶対に校内では顔を合わせないようにしているようだった。
 だが、こうして遅くはないとはいえども、陽の落ちた時間に出掛ける用意をしている馨を見たくはなかった。
 いつもなら二人で過ごしていた時間だ。
 淋しさを二人で紛らわせていた幼いあの頃が懐かしい。今は淋しいだなんて理由は該当せず、ただ理由も見つからず心が荒れる。
 コートに手を伸ばし、ポケットの携帯と財布を確かめる馨。
「今夜、帰らないつもりだから心配しないで」
 昼すぎには帰ってくるつもりだと、いつも守られる事のない予定を義務的に話す。
「彼女とデート?」
「ん、そんなかんじ」
「一晩一緒にいるなんて不純異性交遊ってやつだー」
 努めて明るく馨をからかうと照れたように赤い顔をした。
 本当は同性なのだから正しく言えば彼氏なのだろうが、馨はいつも彼女だと主張する。そして騙されたふりをし続ける僕。
「年上だったよね、キスはした? SEXは?」
「……全部YESかな」
 少し躊躇った後に馨が肯定して、僕の心は余計にささくれる。
 馨が男とだって?
 付き合っているのだからキスもSEXも有り得る事だったが、馨の口から肯定されてもにわかには信じられなかった。
 馨が、男と……、だなんて……。
 嫌だ! 考えたくない!
 前髪をかき揚げる仕草が色っぽくて、それは付き合っている男の影響かと思うと冷静ではいられなかった。
 馨を誰にも渡したくなくて、気が付けば僕はその場に馨を押し倒してしまっていた。
 驚いたように瞬きをする馨。
「どうしたの、光? ああ、僕が先に済ませちゃったからって嫉妬してんだ?」
 もしくは僕が怒っているとでも思ったのだろう。宥めるような馨の眼差しが腹立たしい。
 先に経験した馨に嫉妬だって? 
 そんなバカな。
 男相手にキスやSEXをした馨を羨むはずがないではないか。
 しかし、それならこの気持ちは何なのだろう……。
「光も早くハルヒにコクらないと殿に取られるよ」
 諭すような馨の口調。
 胸が締め付けられるこの言いようのない感覚。
 これは馨の気持ちなのか?
「馨はそいつ、じゃなくて……。その子の事好きなの?」
 僕の声音は予想外な事にとても優しく生まれ出る。
「そのつもり。ううん、好きだよ」
「馨は幸せ?」
「最高に幸せ」
 とても美しく微笑んでみせた馨に僕は何も言えなくなる。
 馨が男と幸せだって?
 最高に幸せだというのなら、どうしてこんなに心が痛いんだろう。
 馨は嘘つきだ。
 この痛みは馨の痛みだと、シンクロした感情が告げている。
 それに、付き合っている恋人だというならもっともっと幸せそうであっても良いのに、出掛ける用意をする馨は全然楽しそうじゃなくて……。
 釈然としない。納得出来ない。
「ねぇ、どうして付き合ったのさ」
「前にほだされたって言ったでしょ。それに卒業までって約束だし、彼女の『思い出が欲しい』っての解る気がしたんだ」
 馨のその言葉で全て解る。馨はあいつを好きでもなんでもないってこと。きっと馨は優しさに付け込まれたんだ。
 だから、このまま馨を解放なんて出来なかった。
 みすみす好きでもない男の元へ馨をやる訳にはいかない。これで馨が真剣に好きな相手と幸せだというのなら諦める事も出来たのに。



 諦める……だって?
 僕が馨を諦める?
 なに、それ?



 一体どうしたというのだろう。
 そしてどうなるというのだろう。
 馨も……、そして僕の心も……。








NEXT