最後の恋 9




 盛大なダンスパーティーの夜から一週間が過ぎていた。昼休み、食堂でのランチをしている間も元気の無い光を僕は盗み見る。
「はぁ……」
 めっきり口数も減り、ため息ばかりの光に僕が気付かないはずもなく。
「光、近頃元気ないんじゃない?」
 それは僕の思い過しではない。
 遠くに視線をやり、ため息をつく光。その視線の先が女生徒に向けられているのも気のせいではないはずだ。
 誰を探しているの?
 あのパーティーで踊った姫?
 口に出来ない疑問を飲み込んだ僕に光が切り出す。
「実は、さ……。気になる人がいるんだよね」
 女生徒達に向けられた視線は誰かを探しているようで……。
 いつかは。って予想はしていた。
「それってハルヒ?」
 光の心が誰か一人に向けられるという事。その一番の可能性はハルヒだったが光は即答する。
「まさか! あの美しさはこの世の物じゃなかった!」
 ハルヒじゃないのなら、誰?
「へー、かなりご執心みたいじゃん。重傷?」
「そう、みたい」
 力説する光をからかうように肘で小突けば、光は頬を赤らめ肯定する。
 なんだ……。光はいつのまにか成長していたんだね。
 扉を開けて、他人との距離を覚え、そして閉鎖された空間から飛び出していく。いつまでも成長していないのは僕だけなんだ……。
 いつか光以上に好きになれる人が現われれば僕もこの胸の痛みを忘れられるのかもしれないけれど……。
 具体的に言えば、身近に居る人物なら殿や鏡夜先輩、ハニー先輩にモリ先輩。そしてクラスメイトも対象になると顔を思い浮べても、今更すぎて笑ってしまいそうだった。
 他に目を向ける事が難しくても光に好きな子が出来たのなら余計に僕は光から離れなければならない。
 それはなんて悲しい事なのか。
『ちょっと、その辺うろついてから教室に戻る』
 そう言った光の意図がどこにあるか解らないハズもなく……。すごすごと教室に戻った僕を待っていたのはハルヒの能天気にも見える笑顔だった。
「ねぇ、馨。今度の休みにうちに来ない?」
 脈絡なくハルヒに誘われた僕だったけれど、休日に家にいても初恋に浮かれる光の近くにいるのを耐えなければならないだけだ。
 ならばハルヒの家に行って気分を変えるのも良いだろう。
 そう思った僕は、次の休日、昼まで寝ているであろう光を残しハルヒの家へと向かっていた。書き置きはしておいたし、今の光は先日踊ったらしい姫に夢中なので気にもしないだろう。
「まぁ馨くん、いらっしゃーい」
 普段は昼まで眠っているらしいハルヒの父がテンションも高く僕を迎えてくれる。
 ハルヒはスーパーの特売でまだ帰らないらしいので僕は部屋で待つことにした。
「ねぇ、ハルヒは学校ではどう? あなた達の事は話してくれるのに自分の事は全然話してくれないよね」
 そんな娘を心配する父との会話だったが、いつしか仕事の愚痴を聞かされていた。
「そうだ! 嫌な客なんだけど気前が良くってねー、このドレス。こんなピンクのドレスアタシに似合う訳ないじゃない? 勿論ハルヒは身長がねー。それにさ、アタシに何を求めているか知らないけど、これ胸がガバガバなのよね、失礼しちゃうわ。だから、馨くん。良かったら着てみない? 試着しただけだし馨くんの方が似合うと思うのよ」
 プレゼントされたドレスを処分しかねていたらしい。捨てないとクローゼットの収納に影響をきたすのだが、捨てるに捨てられないと困っていたのだと。
 確かにこんな可愛いピンクは大人の女性には色香が足らないように思える。
 だがしかし、僕に似合うかどうかはまた別の話だ。
「いや、僕だって胸は余るようです」
 身体のラインが美しく出るようなデザインだが、確かに成形されたラインは女としてのメリハリが求められる。
 男性であるハルヒ父がいかに化けようとも骨格や肉付きなど無理な部分も多々あろう。そして僕もまた同じ……。
「あら成長期なのに、これからよ」
 励まされると同時に、見ているとその嫌な客を思い出すから是非とも馨くんに貰ってほしいと元の化粧箱に入れられ押しつけられる。嫌なら処分してくれて構わないからという言葉にとりあえず引き受けたのだが、気が付けばかなりの時間が過ぎていた。
「それにしてもハルヒ遅いわねー」
 何してるのかしら、と、ハルヒ父が窓の外に視線を向ける。やはり一人娘は大切なのだろう。
 窓の外をしげしげと見つめていたが、突然こちらに向き直ったかと思うと抱き竦められていた。
「えっと蘭花さん?」
「馨くんって本当カワイイ」
 唐突なセリフは今までの一連の会話からは到底推測できるものではなく、訝しんでいると突然玄関の扉が開く。
「あっ、ハルヒ?」
 逆光で人影だけしか見えなかったのだが、よくよく見るとそこに立っていたのはハルヒではなく、なんと光だったのだ。
 間近のハルヒ父の表情からするに、どうやら光が駆け付けるのを知っていて抱き締めたのが解る。
「こらっ! 馨を離せ変態っ」
「失礼ね、あたしだって一応は男でゲイじゃなくてバイなのに。それに馨くんは16才、お嫁にだって行けるもの。なんの障害もないわよねぇ」
 突然に、ハルヒ父の表情が女から男に変わる。
「ねぇ、馨くん、ハルヒのお義母さんになる気ない? 馨くんみたいな美少年すんごくタイプなのよね」
 しかし、やはり口調はそのままで、彼流の冗談だと察する事が出来たのでこちらも軽く受けとめる。
「うわー感激ですー」
 新婚旅行は熱海にね。なんて合わせていると先程から仁王立ちの光がやっと口を開く。
「美少年って、馨は男じゃないっつーの。帰るぞ」
 何が光の怒りに触れたのだろう。突然現われて、突然怒りだして……。そして強引に腕を引かれてハルヒの家を出る。
「女が男の家に行くなんて無防備だ!」
 俺があのタイミングでドアを開けなかったらどうなっていたか! そう、一気に捲くしたてる光の一人称が「俺」になっていて、かなり御立腹のようだった。
「女友達の家だよ。それにハルヒのパパさんはもう女の人は愛さないらしいし」
 安全だと言えば、光も不満を残しつつも口を閉ざし話題を変える。
「……お前、家を出るのかよ」
 ハルヒ父の言葉を思い出しているらしい。そして将来、家を出るのかと問われれば是と答えるしかない。
 僕はもう十六才で民法に定めてあるとおり親の承諾があればお嫁に行ける。それも今日にでも、だ。
 そして気付く事もある。
「そりゃあ、常陸院に繋がりがあるから、望んでくれる人はいるだろうね」
 正式に養子にしてから嫁に出されるであろうという事に気が付いて僕の気分は一気に下降していた。
 だが僕の言葉に光はさらに不機嫌になって……。
「そんなデカイ女いるかよ。色気もないし、貰い手無いって」
 だから嫁に行くなとでも光は言いたいのだろうか? 
 確かに光のいうとおり、僕のように背も高くて色気の無い男女なんて誰も貰ってはくれないだろう。
 しかし、常陸院の名前は伊達じゃないのだ。
「そうだね。だから、名前を愛してくれる人と結婚しなきゃ」
 常陸院との繋がりを求める人間は皆無ではないだろう。お飾りでもそれなりに不自由なく暮らしていけるのなら、誰と結婚しようと同じだ。
 そんな僕の言葉に光の声が荒げられる。
「バカっ! なんていうんだよ。お前はお前を愛してくれる人とじゃなきゃダメだ。常陸院だからって欲しがる奴なんかサイテーじゃん」
 憤る光に思わず泣きそうになる。
「光は優しいお兄ちゃんだね」
(でも僕はいいんだ、光と結婚できないなら、誰とでも一緒だし)
「もう少し女らしくなるよう頑張るよ」
 光を安心させるため、自身を研き名前だけを求めらる事がないように努力をすると上辺だけの約束をする。
 どうせ僕なんかは背も高くて見た目からして男と間違えられてばかりなのだから努力するだけ無駄なのだろうけれど、光には要らぬ心配はさせたくない。
 僕はわざと明るく振る舞ってみせる。
「けどさー、女らしくなくても殿なんかだと優しくしてくれるだろうし……、玉の輿だよね。そうだ! 僕が殿と付き合うから、光はハルヒと付き合いなよ」
 だって光はハルヒとお似合いなんだもの。ハルヒならきっと光を解ってくれるから。
 そんな僕の感慨をよそに光はさらに不機嫌になる。
「……お前、殿の事好きなの?」
 地を這うような声音。
 どうしたの、光?
「やだなー、光ってば。お兄ちゃんは心配性だね。たとえば、の話だよ」
 たとえば、だけど。僕が殿を好きになれたらどれだけ幸せだろうか……。きっとこんな容姿コンプレックスなんて感じずに幸せになれるだろう。
 もっとも殿の心はハルヒにあるのだけれど。
「……なんか馨を遠く感じる」
「光はバカだねー」
 僕は僕だよ。
 遠くに行くのは光のくせに……。

 こうして、二人で居ても。なんて淋しいのだろう。

 僕は一人、唇を噛みしめるのだった。







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