当たり前の奇跡 09
ゆるゆるとした眠りの中。もう二度と見たくない夢から逃れようと光の意識は何度も浮上する。 熟睡したとはお世辞にも言えない朝。いつもより一時間以上早いのは眠ることを諦めたからだ。 馨はまだ眠っていて、夜着に縛られない素肌は微かに上下していて、安らかな眠りをみせている。 このままずっと馨を見ていたいような気もしたが、起きた時に自然に振る舞える自信が無かったので一足早く起きる事にした。 昨夜の馨を思い出せば、もう二度とまともに会話なんて出来ないのではないかと思うぐらいに心が騒めく。 しかし、朝食を食べる時も学校へと向かう車の中でも常に馨の事を考えてしまう自分を光はいい加減嫌になり始めていた。 一人で登校するのは数えるほどで、ましてや教室に一番に足を踏み入れるのは初めての事だ。 『暇すぎる……』 きっと屋敷では、先に自分が登校したと聞かされた馨が訝しげに思っているに違いなく、なんと言い逃れようかと理由を考える。 『流石に言えない……か』 一瞬だったけれど見てしまった事、その姿が扇情的だった事、寝顔に欲情してしまいそうだった事。 部活動では兄弟愛をウリにしているが、その作られた『光』のような行動の数々。 もし『光』なら、ちょっと実地でしとこうと思って。なんてセリフとともに馨を抱き寄せるに違いないが本当の自分は違う。 兄弟なのに。 男同士なのに。 そんな葛藤に頭を悩ませる。 ふと自分の机を見ると大きな茶封筒が納まりきらずにはみ出ていて、光はそれに手を延ばした。 おそらく誰かからの手紙だろうが、色気もない封筒にどれだけの想いが綴られているのか考えると心が重くなる。またよく懲りずに……と思ってしまうのは過去の悪業があるからだろう。 無性に苛々してこれを破ってやろうかとも思ったが、以前の環の反応を思い出して止める。まぁ暇つぶしにはなるだろうと中を見ようとして封をしていない事に疑問を感じつつも手を入れた。 そこに入っていたのは手紙ではなく写真。 それもノートより少し大きく引き伸ばされた写真。 そしてそこに写っていたのは……。 「馨!?」 それは隠し撮りなんてレベルじゃなくて、顕らかに玄人レベルの写真があった。 これが寝顔の隠し撮りならまだ許せただろう。 しかし、シャツを肩から滑り落とす一瞬をとらえたものや、男の手で顎を捕まれたり、恥ずかしそうに頬を染めた馨がそこにいたのだ。 自分の中で怒りが生まれたのが解る。 保健室で聞いた音は聞き違いなどではなく、また馨が眠ってなどいなかった証拠がここにあったのだ。 どうしてこんなものを撮らせたのか、どうして自分に秘密にしようとするのか。 馨に対する怒りもあったが、この写真を撮った奴はもっと許せなかった。 アングルや露出などにも拘りが見え隠れする写真から、このカメラマン、保健室の男は馨に恋をしているのだと解ってしまう。 美術は得意科目の一つで、この写真が適当に撮られたものではないのが解ると同時に馨への恋情を感じてしまったのだ。 この男は馨をとても神聖で美しいものとして写している。 そんな確信に手が震えた。 きっとこの写真は自分の机と馨の机とを間違えて入れたのだろう。 慌てて馨の机へと入れると聞き慣れた声が入り口でした。 「置いていくなんて良い度胸じゃん」 動揺のために気の効いたセリフは浮かばなくて、いつものホスト部での『光』を演じていた。 「ごめんよ、馨。弟を置いていくなんてお兄ちゃん失格だな」 写真を勝手に見たという気まずさを隠すように馨を抱き締めると周囲の女生徒の視線が集まり歓声が上がる。 このクラスのホスト部常連達のものだったが今はそれが欝陶しい。 馨を勝手にされたという憤りをどこにもぶつけられなくて、そして隠し事をされた事が悔しくて抱き締めた腕に力を込める。 「あー、ハイハイ、もう解ったって」 背中をトントンと叩かれたので渋々解放するが、一瞬垣間見た馨の表情がまるで先程見た写真と同じで思わず息を飲んでいた。 昨夜と同じように何故か心臓が早鐘を打つ。 『相手は馨なのに……』 後ろ姿を追うように見つめていると、馨は自分の席にカバンを置き教科書をしまう。 机の中に入れてあった封筒に気が付かないはずもなく、どうするか様子を伺っていると、なんと馨は中身をちらりと見てカバンにしまいこんだのだ。 当たり前のように封筒をカバンに入れた行動からも、馨はその写真を受け取る予定だったのだと解り余計に苦しくなってくる。 写真を撮らせるように強要されたとか、そしてその撮らせた写真を元に脅されているのなら良かったのに、どう見ても写真の中の馨は拒否しているようには見えなかった。 一体、二人はどんな関係なのか。 近頃馨が沈みがちなのは保健室の男との事かもしれなくて、さらに自分がどう反応すれば良いのか解らなくて光はただ馨を見つめ続けた。 今までは秘密なんてなかったのに……。 だがしかしこれで昨夜の自分の行動に説明がつく。 保健室の事が気になっていたのは、この事を無意識にでも予感していたからだろう。馨の事が気になるのもそのためだ。 あの夢だって予知夢みたいなもので、誰かに馨を奪われる事を暗示していたに違いない。 それにしても馨の写真を撮った奴はどこのどいつだろう。男のくせに馨に懸想するだなんて許せるはずもない。 みつけたなら二度と馨に手を出さないと誓わせるつもりだった。 いっそ他人だったら勝手にしておけば良いと放っておけるのだろうが、双子の弟がかかわっているとなると話は違う。 特に自分とそっくりな双子だから必要以上に気になるのかもしれない。もう少し年の離れた兄弟だったならもっと違う、客観的な判断が出来ただろうし寛容にもなれたかもしれない。 『双子じゃなれば……、良かったのかな』 そうすれば、こんなに感情的になることもなく解決策も見つかっただろう。 初めて双子じゃなければ良かったと思う自分に嫌気がさすとともに、もっと嫌な事が頭をよぎる。 『もし馨も保健室の男の事を好きだと思っていたら?』 否定したいのに写真の中の馨は柄にもなく従順そのもので、嫌な予感を決定的なものと示唆しているようだった。 ここまで知ったのなら、必ず馨の真意を明らかにし、もし間違った道へと進もうとしているなら兄として正しい道へと導いてやらねばなるまい。 そして保健室の男については、どんな手を使ってでも金輪際馨に近付けさせるつもりはなかった。 それが嫉妬という感情だと光はまだ知らない……。 |