当たり前の奇跡 07




 今夜も馨は黙々とパソコンに向かっている。部のホームページ管理に余念がないらしい。そんなの適当でいいじゃんと声をかけたが軽く流されてしまった。
 時々携帯でメールもしているようで、マナーモードにした携帯電話が机の上でダンスでも踊っているかのように存在を主張していた。
 電話ですれば早いのに。まどろっこしい。そんなの適当にして一緒にゲームでもしようよ。そんな言葉の数々を光は飲み込む。
 一体誰とメールしているのだろう。
 一体何をそんなに夢中になれるのだろう。
 不満と疑問が自分から溢れだしてくるのが解る。
 端正な横顔は時々難しい顔をしたり笑みを浮かべてみせたりと忙しいが、こんなに見つめているのに馨は気付く様子すらない。
 いつもなら無意識に視線を交わすのに、まるで無視されているかのようで、光は馨が遠くなった気がしていた。
 保健室での事も触れさせようとはしない。
 聞こうとしてもさりげなく躱され、三回も続けば嫌でも気が付く。
『知られたくないんだ……』
 こんな事は初めてだった。
 あの男子生徒の事を『知らない』と、馨から否定の言葉聞きたいだけなのに、はぐらかそうとする態度が肯定しているようで余計に不安が募る。
 誰かが馨を可愛い恋人なのだと思っている可能性を否定したいだけなのに……。
 もしかして全部自分の妄想で、空回りしているだけなのだろうか。そもそも馨は男なのだから男に襲われるというのも可笑しな話なのだ。
 きっと見間違いと馬鹿げた想像だろうと己れを納得させるが、馨の様子がおかしい事は確実だった。
 思い返せば今日の部活でも様子が変だった。
 ノリが悪いとでもいうのだろうか。特に鏡夜先輩に呼び出されて中座してからは特におかしかったと思われる。
 あの場面でなら、『光、ここじゃ皆が見てるよ……』と目を伏せるだろうと想像できたし、自分は『今夜、約束だよ』と答えるつもりだった。
 だが、馨は自分の手を振り払ったのだ。
 今も右の掌に馨の太股の感触が残っている。筋肉質とまではいかないが無駄のないラインを見せる足。
 朝の馨の姿がだぶって見えて、美しい一瞬を逃すまいとでもするように、つい掴んでしまったのだ。
 どうしてあんな触り方をしたのだろう。
 あれでは手を振り払われても仕方がないのかもしれない。しかし、全くの他人それも男と女ではなく、双子の男同士の兄弟なのだからあれぐらい大した事じゃないはずだ。
 それなのにどうして自分はあんないやらしい触り方をしてしまったと思ってしまうのだろう。


『膝上30センチの内腿を撫でまわしました』


 まるで懺悔するかのように呟いて、やはり客観的にヤバかったんじゃないかと光は恐る恐る馨を盗み見る。
 きっと怒ってるに違いない。
 だから自分にそっけない態度をとって反省を促しているのだろう。同じ顔はしているが馨の方が底意地が悪い。
 明確に口にして言わない分こちらが色々と気を回さなければならないのだ。
 さり気なく謝るとして、なんと切り出すべきだろう。
『ワルい、馨。つい手が滑っちゃってサ。お触りはナシの方向だったよね?』
 これじゃあただのヘンタイ親父だ。
『ゴメンよ、馨。でもお前の美しさが罪だって知ってる?』
 これもありえない。ドン引きされるに決まっている。
『もっといやらしい事しよっか?』
 違う! 謝るんだってば! これじゃあ余計に怒りを増長させるだけだ。
 脳内で色々とシュミレーションしてみた光は、やはり素直に『昼間は調子に乗ってごめんなさい』が一番だと結論をだす。
 あとはタイミングだけだった相変わらず馨はパソコンと睨めっこしていて話し掛けるような雰囲気ではなかった。
 先に寝室へ移動した光だったが考えるのは馨の事ばかりで、やはり保健室での事が引っ掛かりどうもすっきりしない。
 昼間、馨は保健室で何をしようとしていたのだろう。もしくは何をしていたのだろう。
 隣のベッドはまだ空で、その主人はまだ戻ってきそうにない。
 光はベッドから寝転んだまま見られるようにと天井から斜めに設置されたテレビの電源を入れた。


 画面に集中出来ないまま時間だけが過ぎていく。光の意識は馨だけに向けられていた。





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