当たり前の奇跡 04




 無意識に手を延ばして片割れの存在を確認しようとしたが光の手は虚しくシーツの上を泳ぐ。
「馨?」
 まだ仄かに馨の体温が残っていたが、それもじわじわと曖昧になっていく。
 隣の部屋のバスルームから水音が聞こえていて、求める人物がどこにいるのか光に告げていた。
 幼い頃からずっと同じ部屋で、寝室に使っている部屋はクイーンサイズのベッドが二つ並んでいる。
 隣k部屋には二人が同時に入れる大きさのバスタブとシャワーブースが二つ、勿論洗面台も二つ。
 その対面にある部屋が勉強部屋で、中等部に上がったのと同時に部屋を分ける話も出たのだが光も馨もそれを拒み、ほとんど同じ感性は違和感を覚える暇を与えず今に至る。
 しかし馨が少しずつ変わっていくのを光は気付いていたし阻むものでもないと容認していた。
 二人の絆は双子という強い血の繋がりが保障してくれていると、何の疑問を抱く事なく安穏とした毎日を送っていたのに、ここにきて突然に世界が動きだしたようだった。
 自分と馨の世界。自分と馨以外の世界。すべてその二色に色分け出来た世界だったのに……。
 馨の色が曖昧になっていくような感覚が光を襲う。
 何故か馨が別の人間になったような不安に、光はベッドを下りて浴室の扉を開けていた。
 馨のフリをした別の誰かがそこにいたような気がしたが、視線の合った人物は間違いなく双子の弟。
「おはよう」
 と、いつものように微笑むたった一人の双子の弟。
 ただ一つ、いつもと違ったのは馨が今にも消えてしまいそうなほど儚く見えた事だろうか。
 そして我が目を疑ったのだが、光には馨がとてもキレイな存在に見えたのだ。
 一瞬息を飲んだのは、自然光を受けた馨の裸体がどんな造形物よりも美しいラインを醸し出していたからだろう。
 水滴がまるで愛撫のように馨の身体を滑る。
 俯いて頭から水に打たれていた姿はストイックなのに光には馨の姿が禁断の果実のようにさえ思えてしまったのだ。
『こんなに馨はキレイだったっけ?』
 シンメトリーを誇る自分達だから、目の前にいる馨と同じ姿をしている自分もあぁ見えるのだろうかと光は自問する。
『きっと違う』
 馨はキレイになっている。いつの間にか自分の知らない所で、まるで脱皮する蝶のように……。
 そう光は結論を出すと彼に触れずにはいられなかった。
「光、タオルとってくれる?」
 馨の言葉を大義名分にして足を踏み出す。
 捕まえようと、変わっていく馨を制止しようとしたのかもしれないが、結果的に光の腕の中に馨はいた。
 冷えきった身体に驚くよりも、自分がその手を離せない事に驚く。
 自分もどうかしたのだろうか。
 馨の感情が傾れ込んでくるような錯覚。あぁ馨は何か悩んでいる、それが馨を変えているに違いないと光は考えていた。
「……何悩んでんのさ。双子の兄弟でしょ? 馨が話してくれないのってどうして?」
「ちょっと寝汗かいただけだって。ほら今朝の朝食、新しいメイプルシロップ入ったって言ってたじゃん。早く行こ?」
 真正面から尋ねても明らかに馨は誤魔化していた。
 潤んだ瞳をみれば解る。
 いつもより瞳孔が開いているのも解る。
 なのに馨が何を思っているのか解らなかった。
 双子なのに、いつもなら無言であっても伝わってくるのに。
「どうしたのさ、光?」
 怪訝そうな顔をした馨に光も気を取り直す。
「なんでもない」
 きっといつかは打ち明けてくれる。子供のように手を取り合って何でも一緒に行動していた頃とは違って、少しだけ個としての自立が始まっているのだけなのだ。
 自分達は何よりも強い絆があるのだと、己れを無理矢理に納得させると光は馨の後を追った。


 いつもと同じ一日が始まる。
 しかし確実に昨日とは違う一日が始まっていた。




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