当たり前の奇跡 03




 いつまでもこの状態はつらいものがあると馨は眠ってしまった光を見る。部活動では兄弟愛設定で場を賑やかしているがそれが真実となると寒いものがあるだろう。
 おそらく客としてくる女生徒も心の奥底では同性愛的な『兄弟愛』など信じてはいないはずだ。
 双子の兄弟で愛し合っているという禁断の構図に、将来を親から決められている者達は兄弟で愛を貫く様に夢をみているのかもしれない。
 決してあってはならない事なのに半分は真実だと馨は己れの身を笑う。自分の気持ちは間違いなく兄へと向かっていると、安らかな寝息をたてる光を見続けた。
 昼間耳元で囁かれた光の声が蘇る。


『馨の唇はこのストロベリーより甘いよ』
 キスなんかした事ないのに、そんな意味深な言葉と人差し指で唇に軽く触れる仕草に黄色い声があがる。
『ダメだよ、光。二人っきりの時だけって約束でしょ』
 計算し尽くした答え。
 与えられた役割だと解っていても紅潮してしまうのは仕方のない事だろう。これが演技だと光は思っているだろうが、馨にとっては真実が隠されているのだ。


 もし、昼間のように光が自分にその愛を囁くような事があれば自分はどうするだろう。喜んで受け入れるのか、それとも心に嘘をついて拒絶するのか……。ありもしない事をつらつらと考えているといつの間にか眠っていたらしい。
 ブラインドから差し込む光は朝日と呼ぶにはまだまだ弱々しい。しかし庭の木々を寝床とする鳥達の囀りが聞こえてくる。
 隣で眠る光は日頃の毒舌ぶりを感じさせない無防備な寝姿を見せていて、暫らくの間その寝顔を見つめていた馨だが思いきったようにベッドから下りた。
『これ以上はヤバイって』
 実の兄に触れ、その愛を請いたくなってしまう感情を馨は意識下に閉じこめなければならない。
 もし愛してもらえるなら組み敷かれても良いとさえ思ってしまう己れの感情を馨本人ですら持て余しつつあった。
 胸の痛みを紛らわせるように馨は冷たいシャワーを浴びる。
 真夏でないかぎり早朝の気温の低い時間帯に、冷水を浴びるのは狂気の沙汰であったが鏡に映る己れの瞳の色を光に見せたくはなかった。
 こんな瞳をしている者を馨はよく知っていた。
 ホスト部に来る女生徒達と同じ色。疑似恋愛の彼女達とは違うが、間違いなく恋をしている者のそれ。
「嫌だな……、重傷」
 冷たい水に打たれて身体の熱もやっと落ち着く。
 自己嫌悪の中、シャワールームを出ようとするとそこに光が立っていた。
「おはよう」
「馨……」
 何か問いたげな光に馨はいつもの笑顔を見せる。双子の弟としての笑顔。心を隠した笑顔。
「起きたら隣にいなかったから……」
「だからってシャワールームまで入ってこなくてもイイでしょ」
 この気持ちに気付くまで裸である事に抵抗など皆無だったのに今は違う。
 裸であるだけでなく心までも曝け出しているようで、なるべく早く身を隠したかったが生憎とタオルには光の方が近かった。
「光、タオルとってくれる?」
 努めて平静にしていたものの声は上擦っている。
「ん」
 光は手を伸ばしてタオルをとると、いつもなら投げて渡すところを直接馨へと手渡すべく足を踏み出した。
「光!」
 それ以上近付かないでくれとばかりに馨は光の名を叫ぶが逆効果だったらしい。
「馨の身体すごく冷たい」
 タオルで身体を包まれ、そして光に抱き締められて馨の体温は急上昇する。
「離してよ」
「やだ」
 温めようとしているのだろうが、馨にとって光の行動は拷問に近かった。
「離してって」
「……何悩んでんのさ。双子の兄弟でしょ? 馨が話してくれないのってどうして?」
 光の言うとおり双子だから解る。微妙な態度の変化を気付かれないはずがないのだ。
―――双子ノ兄弟デショ?
 今はその一言がとても辛かった。ふいに込み上げる涙。
『双子になんか生まれなければ良かったのに、兄弟なんかに生まれなければ良かったのに、いっそ一つのままで良かったのに』
 光の腕の中でもう少しこのままでいたいと願う。
 瞬きすると一粒の涙が落ちて馨は慌てて涙を拭った。
 光に見られずに済んだ事が唯一の幸いだった。もし涙など見られていたら誤魔化しようがない。
「ちょっと寝汗かいただけだって。ほら今朝の朝食、新しいメイプルシロップ入ったって言ってたじゃん。早く行こ?」
 意を決して光と視線を合わせると、難しい顔をした光の姿があった。
「どうしたのさ、光?」
 弟の顔で、いつもの変わらない様子で馨が問い掛けると、光の表情もいつものそれに戻る。
「なんでもない」


 いつもと同じ一日が始まる。
 しかし少しずつ崩壊の足音が二人へと近付いていた。








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