当たり前の奇跡 14





 逃げるという行動を正当化しようとすればいくらでも出来る。むしろ逃げるべきなのだろう。
 しかし光にとって逃げるという選択肢は無いに等しいものだった。
 諦めるとか妥協するとか我慢するとか、およそ人生に縁の無い行動の数々。
 きっと母親の体内に置き忘れてきたのか、馨に全部預けてきたかのどちらかだと光は思っていたりする。
 だから馨へ感じている想いを諦めたり我慢したりするつもりは毛頭なかったのである。
 むしろ誰にも奪われたくないという気持ちばかりが膨らんでいて光を焦らせた。
 唐突に切り出せばきっと馨からは拒否されるに違いなくて、そんな常識に縛られた馨を陥落させようと思ったら少しずつ距離を近付ける必要があった。
 自分らしくなく慎重になってしまうのは仕方の無い事だろう。なにしろ相手は双子の兄弟なのだ。
 同性愛の近親相姦という二重苦。そして片思いというおまけがついての三重苦。
 この気持ちを馨も感じてくれていれば良いのだろうけれど、さすがにこればかりは無理だろうと光はため息を吐いていた。
 そもそもどうして馨を好きになったのだろうかとまで考えが及ぶのも仕方の無いことだろう。
 しかし昨夜の馨の姿を思い出せば、最近の自分の思考も納得がいく光である。
 この頃感じていた可愛いとか綺麗とか、さらにはあんな夢とか数々の馨に関して自制出来ない行動とか。
 不可解な行動に明確な理由が付けられればすべてに納得がいく。
 馨を愛していると思えばこんなにも心が熱くて身を焦がすほどだ。
 兄弟という関係だけでは満足できなくて、馨のすべてを手に入れたいと願う。
 心も体も檻の中に閉じこめたいほどに、狂おしい感情。
「最終はアレしかないよなぁ」
 自分の腕の中で身悶える馨を光は想像する。
 熱い吐息をキスで封じて求めて求めあって、奪って奪い合って。
 男同士のセックスの知識なんていつ入ったのかは解らなかったが、一応出来る事は知っている。
 痛いらしいから馨に強要したくないと思う光だったが、抱きたいと思うのは男の征服本能で。
「バカにされるかもね」
 馨に告白なんてした日にはきっと速攻で熱でも計られるに違いなくて……。自分がこんなにも雄としての本能に支配されるとは思わなかった。いやそれよりも馨へとベクトルが向かうとは……。
 しかし後悔の気持ちはなく、それよりもこの気持ちに気が付いた事が嬉しい。
 馨の知的な眼差し、儚そうな笑顔、何よりも自分を一番理解してくれている存在に兄弟以上の愛を募らせてどこが悪い。
 いつもなら喧嘩をした場合、少なくとも二・三日はぎくしゃくする事もあるが今回は自分から折れて部屋も元に戻したので馨の機嫌も悪くはない。過剰なスキンシップにもいつもの事だと諦めているのか抵抗も僅かだ。
 このまま少しずつ距離を縮めていきたいと思う光である。
 幸いな事に三連休の間、余計な邪魔は入らない。鏡夜先輩やあの保健室の男も直接会う事はままならないはずだ。
 両親もいないこの休みの間に馨に告白出来たら上々か。
 今日は何をしよう、明日は? 明後日は? 屋敷にいると殿からの誘いがあるかもしれない。そうなると鏡夜先輩にも会う事になるだろうから、沖縄の別荘にでも行けば二人きりだ。
 先に起きたらしい馨がシャワーを浴びているから後から入っていくとしても、その前にメイド達に荷造りを命じて、執事にセスナの用意を頼もうと光はベッドから起きだした。
「光様に信書が届いております」
 用件を切り出す前に、祖母の代から仕えている老齢の執事が銀の盆に乗せた封筒を光へと差し出す。
 必親展と書かれた封筒はただの茶封筒。よくあるラブレターでないのはその大きさからも解る。
 嫌な予感のする封筒に光は眉をしかめていた。
 この封筒を光はよく知っている。先日自分の机に間違えて入っていた封筒と酷似していた、いやそのものだったかもしれない。
 しかし宛名はまさしく自分宛で、必親展と朱書きされている意味からも『自分だけが見て良いもの』だ。
 震える手でペーパーナイフを持ち、一気に引き裂く。逆さにして中身を机の上へと出して光は頭を鈍器で殴られたようなショックに襲われた。
 中身は予想通り馨の写真で、この間とはまったく違うものが入れられてある。
 震える手で取り上げた一枚は、モザイクはかけられているが男のモノを美味しそうに口にして恍惚と目を細めている馨だった。
 場所は保健室で、この間の写真と同じ時に撮られたものだろう。
「……馨、」
 名を呼んでみても写真の馨は光を嘲笑うようにキスをねだるような表情で笑っている。
 今まで自分が見たこともない表情に光の心は一気に冷めていた。
 一体誰がこんな写真をどんな意図で自分に送ってきたのだろう。それとこの写真の男は誰だろう。

『絶対、許さない……』

 保健室の男も。
 鏡夜先輩も。
 そして、馨も……。


 少しずつ距離を詰めるつもりだったのだ。
 一番近くにいた馨だから、そう遠くない未来に自分の気持ちは伝わると、馨にだって受け入れられると安易に考えていた自分が馬鹿だったのか。
 馨がこんなにも自分から遠い場所にいただなんて、どうして考えられようか。


 写真の中の馨は『初めてだから優しくして』と懇願した馨とは別人のような妖艶さでこちらを見つめている。


 ガチャリとシャワールームの扉が開いた音が光の耳に届く。
「絶対……、許さないからな」
 光の呟きは残酷で狂暴な狂気と共にあった……。












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