当たり前の奇跡 13




 光の様子がおかしくて、それがいつからだったか記憶を辿るが、そう前のことではないつい数日前からだと答えを導き出す。
 流石にキスされた時はどうしようかと思ったが、光を避ける良い口実にはなった事は確かだ。
 あの時、光の顔が近付いてきて、軽く触れただけのバードキス。
 押し当てただけの挨拶代わりみたいな、もしくは子供のようなキスに脅かされる訳ではないが逃げようと思えば出来たのに逃げられなかった自分が情けなかった。
 しかしおかげでやっと決心がついたのだ。
 光とは距離を置かねばならない。これ以上、光の気紛れとも言える行動を増長させてはならないと……。
 本人は悪ふざけのつもりだったろうが、された方は命取りに等しい行動で、もう同室なんかではゆっくりと休む事すら出来ない。
 極力一緒にいる時間も減らしたくて、昨日は帰宅後、母親にデザイン画を見せてもらったり新しい部屋に荷物を運ばせたりもした。
 光も一応は悪いと思っているのか、いつもなら抗議の対象となる行動にも異議すらなくて反対に拍子抜けする。
 もっと駄々を捏ねるのかと思っていたが、話し掛けてくることすらなくて意外に思う。
 しかし予想していた妨害工作もなくて有り難かった事は確かだ。今日も先に帰ると言い残し先に行ってしまって……。
 見送った背中を見て沸き起こる『淋しい』という感情。
 こうして光の背中を見つめる事しか出来ない自分なのに、キスをしてしまえばそれ以上をも求めてしまいそうで。
『ダメすぎ……』
 わざと距離を置いてみても余計に辛いだけだったが仕方がない。
 この距離は恐らく反省を促していると光に思われているのだろうが、実際は冗談に出来なかった己れを律するためなのだ。
 封じ込めるはずの想い。
 忘れるべき想い。
 今日は先に光が帰っているだろうから、少しでも時間を潰して帰りたかった。
 どうせ数日もしないうちに光が忘れたかのように話しかけてくるだろう。そして部屋だっていつの間にか同じ部屋になる。
 それまでは一人の時間に耐える練習なのだ。いつか別離が訪れた時のための準備期間。
 今は光へと向いている自分。きっと他へと目を向ける事が出来たなら、いつかはこの痛みも忘れ、一人で歩きだせるだろう。
 長い放課後の時間を潰すといっても予定はある。
 鏡夜先輩の指示で、写真のチェックのために写真部の部室へと向かう足取りはどちらかというと重い。
 あの写真部の二年生。D組というが記憶にはない。
 いつもの隠し撮りが彼だったというのも初耳だった。
 良家の子息子女の通う桜蘭学院では異色だと感じてしまうのはそのスタイルからくるのだろうか。
 一眼レフの旧式のカメラを携えて、今の主流ではないけれどと言い訳していた姿を馨は思い出していた。
 彼の第一印象はと聞かれれば少々言葉に詰まる。
 別段取り立てて良い家柄とか近ごろ台頭してきた有力者とかではないはずだ。
 その他大勢と一括りにされそうな見目と決して目立たない態度で文字通り紛れていた個性。
 ただそれは彼が作った仮面で、一度彼のテリトリーに入れば彼が油断のならない人間だと解る。
 初めて会ったのは特別男子保健室で。
 彼には家柄などなんの意味もなくてただ被写体として興味が湧くか否かだけが問題だったらしい。
「君が常陸院の双子の片割れか。うん、近くで見ると綺麗だな。実を言うと以前からお付き合い、じゃない、お近付きになりたいって思ってたんだ」
 ずっと興味があったと告白され、顎を持ち上げられる。色んな角度から観察されるのは、彼の意図を知っていても不愉快だった。
「気安く触んないでくれる?」
 手を払う、そんな仕草の一つ一つにもシャッターを押される。
「いや、お友達になりたいって本当だし」
「おホモだち?」
 承諾も無しに撮影が進んでいるらしく、制服のボタンを片手で外される。そんな彼の触り方に下心が感じられるのは気のせいだけかと牽制してみると彼は漸くカメラを下ろす。
「失礼な。単なる被写体としての興味だよ。それに昼休みしか時間を取ってもらえないらしいから時間は有効に、ね」
 そんな笑顔がどことなく光に似ていて馨の胸に刺を刺す。
「ありきたりかもしれないけれど、同じものが二つあるってのは創作意欲を刺激されるものでね。違いを浮き彫りにしたくなるんだ」
「別に双子なんて珍しくないのに」
 統計的には200人に一組、自然に双子が生まれるという。母体の年令が上がったり、母親の家系に双子がいればさらにその確立は上がる。自分達は完全な一卵性双生児だから単なる細胞分裂の気紛れなんだろうけれど、と馨は黙り込む。
「でも君達みたいに綺麗な左右対象物って中々ないよ。本当なら二人一緒に撮りたかったんだけどねぇ」
「そういう企画なんでしょ。鏡夜先輩の」
「まぁそういう事。こちらも部費稼ぎだしね。ところで昼食はもう食べたのかな?」
 ありえない質問に『今の時間分かって言ってんの?』と言い掛けてやめる。
「いえ……」
 午前の授業が終わってすぐここに行くように指示されていたのだから、勿論食事はしていない。
「実は俺もまだでね。食べる?」
 差し出されたのは菓子パンだった。ウインナーロールと呼ばれる庶民パンだと笑みが漏れる。
 どうぞ。と差し出されたので食べようとするとまたもやシャッターが部屋に響く。
「……食べてる時に撮られるって嫌なカンジ」
「そう? 俺は君のどんな姿でもカメラに収めたいね」
 時間は戻らない一瞬の輝きだから。と意味不明な言葉は写真家としての彼の心構えなようだった。
「でも、どこまでが鏡夜先輩の依頼?」
 いつもは隠し撮りを売りつけているらしいが、今回は鏡夜先輩からの依頼らしい。
「全部と言いたいけれど、まぁ趣味も少しだけね。ところで、これ写真集にするんだってね。袋とじ用だから際どくって話だけど」
「……きっとれんげ姫の入れ知恵もあるな」
 上客専用のホームページを作れとの指示もその一環なのだろう。いつもの隠し撮りでは対応出来ないぐらいのものを作るのだと思っていたが、まさか袋とじにまでするとは。
「一応、タイトルも決まっていてね、えっと確か『光には秘密にして、ね』だったかな?君のところのマネージャーが色々と構図の指定もしてたけど。さぁ時間もない事だし、シャツを脱いでベッドに横たわってくれる?」
 鏡夜先輩から『頼みがある』と言われた時にはあまり深く考えず了承したけれど、水面下でそんな企画が持ち上がっていたとは知らなかった。
 確かに『馨なら引き受けてくれるだろう?』とにこやかな笑みを見せられた時は半ば恐怖政治かとも思ったのだが。副部長とマネージャーのあの二人が組んでいるのだから、大体の方向性は見えてくる。
『それで、光には秘密にして、ねってなんてタイトルだよ、ダサすぎ』
 ぼんやりと指示されるままに視線を流したりしているうちに時間がすぎていく。
 しかし、三本目のフィルムを巻き上げている最中に光の声がして慌てて馨は寝たふりをした。勿論写真部の二年生も脱兎のごとく逃げ去って。
 どんな写真になっているかは現像されたものが机に入れられてあったから知っているが今日の用事はなんだろうか。
 メールで鏡夜先輩から『最終のダメ出しは任せる』とメールは受けてあるが。するなら最後まであのオタクマネージャーとすれば良いのにと思ったが、彼女に任せるとどんなものが出来上がるか恐いものがある。
 写真部の部室で待っていると、彼が暗室から出てくる。
 初めて見る現像の現場に感心していると、
「いまどきアナログだけじゃないからね」
 と部屋の隅のパソコンを立ち上げられる。
 写真部と言っても昔ながらのアナログを好む者もいれば最新式のデジタルを極めようとする者もいるらしい。
 どうやら彼は両刀使いのようで手慣れた様子で画面を開く。
「現像した写真を見た感想は? すごくキレイに撮ったつもりだけどね。で、こっちはデータに読み込んだもので。そういや鳳にも確認してもらったんだけど、君の意見も参考にって言ってたな」
「肖像権の問題でショ」
 はっきり言ってすごい技術だった。アイコラの技術には自信があったけれど、彼の前では自分の技術など子供騙しも同然で。
 外国のフリーソフトらしい画像処理ソフト。
 背景の合成なども手早くて、彼の選び出した中からさらに出しても良いと思われる写真を指定していく。
「ってコレ何?」
「まぁ流石にこれはありえないって事で、お遊びだよ」
 軽く笑ってはいるが、見てしまったこっちは笑えない。
 確かにパンを食べているところを撮られはしたが。そのパンをモザイクにするなんて意味深すぎて気持ちが悪い。こんな写真にするなんてふざけすぎだと振り返ろうとしたその瞬間背後から抱き締められていた。
「ねぇ、良かったら俺専属のモデルになんない?」
 その意味は恋人にならないかという申し出で。
 さらには押し倒されそうになって平手打ちをしようとしたら、防御した彼の指輪で切ってしまっていた。
 まったく趣味の悪い話だ。
 男を口説こうとするなんて。
 確かに自分は光を愛してはいるがそれは決して男が好きだというものではなくて。はっきり言って彼の感情は気持ちが悪かった。
「冗談にしてはヘタだね、どうせなら僕専属のカメラマンにしてくださいぐらい言ってよね」
 それを邪険にする事なく冗談にしてやる心の広い自分を馨は笑ってしまいそうだった。
「まったく、手に負えない女王様だ」
 まぁそんなところが良いんだけどね。と肩を竦めつつも深入りはしてこない。物事を荒立てない術を彼も知っているらしい。
 それよりも右手からの出血が意外に多くて、慌てて止血をしたり保健室へと行ったりと慌ただしくしているうちに色々と有耶無耶となる。
 そんな放課後を過ごし帰宅をしたら、案の定光が部屋を元どおりにしていて馨は泣きそうになった。
 嬉しいのに、悲しい。
 相反する感情に身体が引き裂かれ心は血を流す。


 もしも、他の誰かを光以上に好きになる事が出来たなら、自分は楽になれるかもしれないと馨はまだ塞がらない右手の傷に目を遣る。
 現実に出来た傷なら完治するが心が流す血はいつ止まるのか馨自身解らなかった……。











ホスト部写真集、今回は馨特集で豪華16ページの袋とじのおまけ、『光には秘密にして、ね』を収録。近日発売予定。
という設定で一人萌え・・・orz 





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