当たり前の奇跡 12





 営業が終わると同時に馨が帰っても、いつものようにミーティングが行なわれる。つまり反省会だ。
 勿論今日の議題は馨にキスしてしまった事だ。
 キスを営業と捕えてくれれば良いのだけれど、それは馨がいてはじめて実現する言い訳で……。
 この場所に馨がいない事で、皆から口々に愚かな行動を責めているように感じられた。
「やっちゃったものは仕方ないでしょ」
 深く考えるよりも先に行動に出てしまったのだから仕方ないし馨に責められるならまだしも第三者に兎や角言われたくない。
「だからと言ってだなぁ、悪ふざけがすぎるだろう?」
「カオちゃんが先に帰るなんてねぇ」
「あぁ」
 殿、ハニー先輩、モリ先輩の言葉に余計にイライラさせられる。
 馨が先に帰った事に一番ショックを受けているのはこの自分なのだ。まるで傷口に塩を塗るような諸先輩方の説教を黙って聞いているのはやはり苦痛だった。
「馨が怒ってるのは、光にじゃないと思うな」
「じゃあ誰にさ」
 ハルヒのフォローにすら噛み付いてしまう。
「自分自身かな、よく解らないけど」
 言葉を濁すハルヒに『じゃあ言うなっての』と意地悪な事を思ってしまう。
 馨はうまく営業にもっていけない程僕の行動に怒っていたんだよと言いたい気持ちをなんとか押さえて深呼吸した。
「とりあえず、お前達の関係がギクシャクしていると部の売り上げに関わるんだ。特にグッズの新作発表を目の前にしての騒ぎは勘弁してもらいたいな」
 鏡夜先輩の利己的な理由にも疲れて、挨拶もそこそこに席を立つ。
 迎えの車に乗り込んで屋敷に帰る間も、馨とのキスについて考えていた。
 それでも『してみたかった』という理由以外見つからなくて、謝罪する気にはなれない。
 部屋へ入ると、馨も一応部屋には帰ってきた痕跡が残されていたが、屋敷のどこにいるのか解らなかった。
 無視するような態度が許せなくて『どうして避けるんだよ』と問い質したい気持ちのままに、屋敷の者に馨の居場所を聞く。
 それによると母親の書斎に入り込んでいるらしく、それはまさに避難とも思える行動で探しにいこうという気持ちが萎えてしまっていた。
 先程お茶をお持ちしましたと答えたメイドの話からすると母親の帰宅と同時だったらしい馨が母にデザイン画を見せてくれるよう懇願していたらしい。
 言いたい事があるなら逃げずに言えよと馨を追及したくて、それが自分にも当てはまる事に愕然とした。
『僕だって馨に聞きたい事を聞けずにいるじゃん』
 お互いにらしくなくて胸がもやもやとする。部屋の中を行ったり来たりするのにも疲れてゲーム機を片手にベッドへと寝転んだ。
 集中できないゲームを惰性で続けていると携帯電話が着信音を奏でる。この音は馨の携帯で設定している着信音で新着メールを告げるものだ。
 もしあと30分して馨が部屋に帰ってこなかったら、これを口実にして馨を呼びにいこうと思い立つ。
 だが手は馨の携帯に伸びていて罪悪感と好奇心が争いを始める。
 しかし他人という感覚が希薄すぎるのか、罪悪感よりも好奇心がわずかに勝ってしまっていた。
 新着のメールが誰からかぐらい見たってどうってことないとボタンを押すと、スクロールしているタイトルが目に飛び込んできて……。
(愛している)
 そんなふざけたタイトルについ確認のボタンを押してしまう。そのタイトルに続く本文は待ち合わせ場所と時間。そしてこう締め括られていた。
(お前の事を考えると夜も眠れなくて困っている)
 シンプルな文章。
 鏡夜先輩らしい文章だと感心してしまうが、それよりも彼が馨に対して恋愛感情を持っていてこんなメールを送ってくる事に笑いだしてしまいそうだった。
 どうして?
 馨は男なのに?
 いつもこんな文章が送られているのかと受信メールを開けるが、まるで証拠湮滅だとでもいうように全て消されていた。
『昼間もメールしていたのに?』
 送信メールについても何も残っていなくて、それだけ二人の関係を隠していたいほど真剣なのだと思い知る。
 馨に質問してやろうかと思ったが薮蛇になりそうな予感がしたので、何も見なかった事にし受信メールを削除した。
 幸いな事に馨には避けられているから都合が良い。もしいつもどおりに話し掛けられたりしたら、冷静でいられなくなっていただろう。
 なるべく事を荒げる事なく馨に近付く奴を遠ざけるのだ。馨を唆し、道を踏み外させようとする奴を排除する事が兄としての責務なのだから。
 馨に正面からぶつかると反発される可能性もある。ああ見えて結構頑固な所があるのだ馨は。
 うまく立ち回る必要があると再確認する。
 明日の放課後は特売があるからとハルヒが部に出ないと言った日で、それに合わせ部活はないとされていたはずだ。
 そんな日に馨を呼び出すなんて、二人きりになろうとする意図が見え見えの逢瀬以外のなにものでもなくて怒りが増す。
 どうやって鏡夜先輩に馨を諦めさせるか考えていたので、馨が機嫌を損ねて話し掛けてこない事にも落ち込まずにすんだ。
 流石に別の部屋で眠るとメイド達から告げられた時はショックだったけれども、キスした事について触れられたくもないのかもしれないし、またこっちも謝罪する気持ちが皆無だったので都合が良かった事は確かだ。
 放課後、最大の難関であるハルヒの下校を確かめ、馨に先に帰ると告げて第三音楽室へと向かう。
 目印とされている前髪をいつもと反対へと梳かすと『馨』になる。声は少し違うので意識して真似ねばならない。
 扉を開け、いつものノートパソコンに向かっている鏡夜先輩へと近付く。なんと声を掛けるべきか戸惑っていると、気配を感じたのか鏡夜先輩がこちらへと視線を向けた。
 ありえない程の笑みは今までに向けられた事は無く、『馨』であるからこそ目に出来た笑みだと感心すらしてしまう。
 どうした? と聞く姿はいつもの彼らしくなく温和そのものだ。
「別に……」
 言葉を濁し、馨の代わりに来たもののどうすべきか迷っていると鏡夜先輩が席を立ち近付いてくる。
「俺の気持ちは解っているんだろう? そろそろ良い返事がもらいたいな」
 冷静に行動しなければならない。うまく立ち回らねばならない。扉を開けるまではそう思っていたのに……。
 もう自分を押さえる術を持っていなかった。
 頬に触れようとした鏡夜の手を払い除けて睨み付ける。
「いつも人に隠れて馨にそんな事してたんだ? あんなメールまで送ってさ」
 愛しているだって?
 そんなの馨が信じるはずないっての。つーか、馨がOKするはずないの解んない?
 一気に捲くしたてた言葉の刃は彼には効果が見られない。それどころかこちらを見て笑みすら浮かべている。
「光か……。やはりバカだな。馨のふりをして俺を振れば穏便にすんだのに」
「穏便? そんな気さらさら無いね。馨と僕との区別がつかない奴なんかに馨をやれるかよ」
 どうして誰もが馨を手に入れようとするのだろう。
 いつもホスト部で、同性愛を仄めかすような演技しているから誤解され、受け身を演じる馨が御し易いとでも思われていたとしたら庇いきれなかった自分のミスだ。
『馨は生まれた時から僕だけの馨なのに……』
 その時、初めて肝心な事に気が付いた。
 目の前の鏡夜先輩に二度と馨に近付くなと、半ば無理な捨て台詞を残して走りだす。
 どうしよう。
 自分はいつの間にか馨を弟以上に見てしまっていたのだ。
 それは保健室の男や鏡夜先輩と同じで……。
『僕は馨を愛している!』
 馨の関心は自分だけのものだ。
 馨の愛情も。
 そして身体も。
 もはや知らないままではいられなかった。



『双子の兄弟じゃなければ……。同性でも、せめて他人であればどんなにか良かっただろう』



 逃げるように校舎を走りながら、初めて光は己れの立場に唇を噛んでいた。






NEXT