プロになってから何年だろう。
毎日碁に触れ……そして日々は繰り返していく。ただ目の前の事に集中する。
それだけで春は夏となり、秋は冬を導きそして春はまためぐる。
「進藤っ」
棋院を出たところで呼び止められる。振り替えると、昔となんら代わらないスタイルの彼。
いや、そう言ってしまうには語弊がある。昔は美少女と見紛うばかりの容貌も今ではすっかり大人の顔だ。
凛々しい顔つきは父親似でも、その美しさは彼独特の雰囲気を漂わせている。
「塔矢……」
自分、進藤ヒカルと同じ年の塔矢の突然の呼び止めの声に足が止まる。
「途中まで一緒に帰ろう」
まさに微笑とも言うべき、美しい笑みを浮かべた塔矢がヒカルの隣へと並ぶ。
何時の間にやら自分の目線がやや上になっている事に気付き、ヒカルは心なしか気分を害した。
神様が二物を与え給うたその頭脳は碁だけでなく、有名学校へと通った事でも伺わせるが、それだけでなくなんと見栄えもすることだろうか。
そんな塔矢とは今ではすっかり良い友人というかライバルだ。昔のように子供じみた意地の張り合いじゃなく純粋に。
いや純粋というなら、溢れる感情を隠すことの無かった昔の方がより純粋だったろう。
特に仲良くするわけではない。ただ認め合っている。そんな言葉がよく似合う関係だった。
少なくともヒカルにとって、塔矢は倒し甲斐のある棋士の一人で。
それ以外の何者でもないというのに、近頃彼を見るのも気欝な感覚をヒカルにもたらした。
そんなヒカルとは違い、塔矢は顕らかにヒカルを特別扱いした。というか他に友達というものが居ないのではないかと疑うぐらいに友好の情を示す。
事実は、塔矢がヒカルの実力を再認識し生涯のライバルと認めた事で、塔矢の中でヒカルは誰よりも重要な位置を占めるに至ったからなのだが。
誰かが言う。「塔矢若先生は昔から進藤先生をライバル視してましたよ」と。
そんな時塔矢も「あの時僕は初めて挫折を感じましたから」と、笑って答えていた。
塔矢の中の図式では小学六年生の強いヒカルとあの三将戦のヒカルとプロになったヒカルの実力はかなり彼の都合の良いように結び付けられている。
ヒカルにとってもそうだ。塔矢が居なければ、囲碁を極めたいとすら思わなかっただろう。
例え佐為が居たとしても、それほど囲碁にのめり込めたとは思わない。そして佐為が居たからこそ、今ここに居る。
彼の隣に……。
碁以外に話す事は無いのでヒカルは何か話題はないかと記憶を手繰る。
そして地下鉄のホームで電車を待ちながら取り立てて話をしようとしない塔矢にヒカルから話し掛けた。
こいつ自分から一緒に行こうって言いながら口数少ないよな。等とヒカルは思いつつも言葉を紡ぐ。
「この間の季刊誌の特集見たぜ」
十ページにも及ぶ塔矢の特集などここ最近はざらにある。それは囲碁関係の雑誌から、果ては女性誌まで幅は広い。
その中での碁関係の季刊誌。
「あぁ。あれね、なんだか気恥ずかしいよ」
そりゃそうだとヒカルは思う。
ここ一、二年囲碁界は急に若返り、それとともに何故かマイナーなりにもブームとして世間に出始めた。
また北斗杯での自分たちの活躍が何かのテレビ番組の特集が取り上げられたのも切っ掛けかもしれない。
そしてまたこの目の前の塔矢の活躍に、低迷期に入っていた日本経済と日本の人々は『まだ日本は強い』という意識を植え付け、さらにこの容貌は当時の演歌界のプリンスのようにじわじわと人気を得ていった。
需要と供給。
経済の事はよく解らないが、需要に見合う供給をということで、週間と月刊しかなかった、本当の囲碁雑誌に加え季刊として少し遊びの色の強いものまでが創刊された。
二週間前になるだろうか、新年度になるまで手合いの無いわずかな期間に取材したのか、塔矢の特集が組まれた季刊誌が発行された。
真夏のおそらくは海外で塔矢は取材を受けたらしく。なんとも不似合いだけれども、手合いでは絶対にみられないようなラフな塔矢が存在した。
「女性ファンが買い漁ってそうだよな」
あははと笑ってみるがそれ以上の話題は出てこずヒカルは再び途方にくれる。
「……進藤も見たんだ?」
困ったように呟く塔矢。
「出版部でだよ、ちらっとだけど。あれじゃジャニーズも真っ青だよな」
「ジャニーズ?」
ヒカルとしては、塔矢がジャニーズ事務所に在籍していてもおかしくないような写りの写真だったし、それだけ格好良かったと暗に言いたかった訳だが、流石の塔矢にも通じなかったらしい。
「……もういいよ、本当世間擦れしてんだから」
多分、こんな塔矢だから一緒にいると疲れるんだ。ヒカルは溜め息を付きつつ思う。
囲碁以外には何も考えていないだろう彼。
あの季刊誌の塔矢のあの笑顔やあれだけでは棋士とはとても思えないグラビアの数々が目に浮かぶ。
純粋に綺麗だと思った。
あれからだ。なんだか塔矢の顔がまともに見れないのは。
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