夢殿6

 逆光で見えなかったのだが、アキラとは違う背格好によって別人と判る。見覚えのある姿と、その圧迫感にヒカルの身体が自然に震えだす。
「まさか、こんな所で会えるとはな……。気が付かないとでも思ったのかい? 私の小鳥さん」
 身長差を埋めるように、腰を屈めてヒカルの顔を覗き込んだのは、死んだとかもしれないと懸念していた芹澤将軍であったのだ。
 大きな瞳を見開き、驚愕に言葉が出てこないヒカルの頬を芹澤の冷たい手が包み込む。 まるで滑らかなヒカルの肌の感触を楽しむかのように芹澤の手が頬から首筋へと伸ばされた。
「さっ触るなっ!」
 触れられる嫌悪感に震えながらも、ヒカルは芹澤の手を叩き落とす。
「生きてたのかよ……」
 芹澤が生きていたことに安堵はしたが、それでも振り出しに戻ってしまった事がヒカルを不安にさせた。
「君にとっては不幸な事だろうがね。それに私だって驚いている。君が生きているとは。港に探しに行った使用人から君の遺品があったと聞いた」
 心底楽しそうな笑みを浮かべた芹澤からヒカルは目を逸らす。
「親父は?」
 自分が芹澤にした事を考えれば、父のことを問うなんて愚かな事かもしれなかったが、ヒカル尋ねずにはいられなかった。
「事業も軌道に乗り始めたようだがまだこれからだろうな。君が大人しくしているなら、今までどおり援助は続ける。君の父上は、君が私のところに居ると思っている」
 その芹澤の言葉にヒカルは胸を撫で下ろした。
「それはお前が、都合良かったんだろ? 死体も見つからないし、消息が途絶えたのはあんたの所だし」
 予想していた事とはいえども、もし援助を打ち切られていたならヒカルは己れの行いを悔いても悔いきれなかったであろう。
「意外と悟い事を言う」
 感心したかのような芹澤の言葉にヒカルは強い意志をもって睨み返す。
「融資は続けてるんだろうな」
 見つかってしまっては仕方がない。芹澤が生きているとなれば振り出しに戻るだけだ。
「君の心がけしだいだ。それにしてもこの姿は何かの余興か、いやそんな事はどうでも良い。私と一緒に来るんだ」
 まるでヒカルは自分の所有物だとばかりに芹澤はヒカルの手を取った。その細い腰を捕らえられ、ヒカルは覚悟を決める。
 もう、逃げ場はない。
 先日のような愚かな振る舞いも、もう二度とはしない。父の、ひいては進藤家のためなら、嫡男としてその責務を全うするだけだ。
 ヒカルが芹澤と一歩踏み出したとき、逆光のなか、この別荘の時期持ち主が激しい口調で芹澤を咎めた。
「僕の進藤に何をするんですか!」
 アキラの言葉には、単に婚約者を奪われるのを阻止するだけではない何かが含まれていた。けっして声を荒げる訳ではないが、その口調には有無を言わせない響きがあった。
「まだ手に入れた訳じゃないだろう? お子さまの恋愛ごっこに付き合うほど大人じゃないよ」
 そう言ってヒカルの頬に唇を押しつけようとする。その意図は歴然としていた。ヒカルは必死に顔を背けて逃れようとするが、顎を捕らえられ頬とはいえども芹澤の口付けを受けた。
「僕と進藤の関係を汚すなんて、虫にも劣る奴だな」
 アキラの拳が震えている。
 今にも芹澤に飛び掛からんばかりの勢いで、そしてその眼差しが芹澤を威嚇していた。
「進藤君、私と来たまえ。父上がどうなっても良いのか?」
 その言葉にヒカルの瞳がゆっくりと伏せられる。
 まるで、もう何も見ないのだとでもいうように。自分の力では何一つ解決できないのだと思い知った哀れなヒカルはその足を一歩踏み出した。
 そしてまた一歩、芹澤の方へと歩みよる。勝ち誇った顔の芹澤はヒカルをエスコートするかのように、アキラの横を通り過ぎた。
「行くなっ! 進藤!!」
 アキラの言葉に一瞬立ち止まったヒカルが、ゆっくりと振り返る。
 そして……。
「塔矢、ごめん……」
 茫然と動けないアキラと、その言葉を残して、ヒカルは芹澤と共に塔矢家の別邸を後にしたのだった……。

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