夢殿7



 芹澤の屋敷に連れてこられ、塔矢の別邸と意外にも近い場所にある事を知った。入江をぐるりと回っただけの位置。なのに闇が全てを覆い隠している。
「塔矢の倅がどんな趣味かは知らないが、私にそんな趣味は無い。着替えてきたまえ」
 芹澤の忠実な召使の一人に案内されてあてがわれた部屋にはヒカルの衣服があった。
 おそらく進藤家に伝えて送ってもらったのだろう。そうすれば行方不明を少しでも誤魔化す事が出来る。
 女物の衣服を脱ぎ、ヒカルは化粧を落とす。冷たい水がいっそ心地よかった。顔を上げると鏡の中に青ざめた自分が映し出されていたが、ヒカルは何も見なかったかのように瞳を逸らす。
 のろのろと緩慢な動きはヒカルの心そのもので、顔を洗い終えると改めて部屋を見渡した。
 大きなベッドが部屋の中央を陣取り、赤を基調にした色彩は不安を増長させる。優に大人三人が休めそうなベッド。これはヒカルのためだけに用意されたのではないだろう。 
 ヒカルはその醜悪さに寒気を催したがもう逃げ出す術はないと覚悟を決めた。
 カチャリと背後で扉が開く音がする。振り返らずとも誰が部屋を訪れたか解らないほどヒカルは馬鹿ではない。
「私が飽きるまで大人しくしていると誓うなら、君がした事全てを水に流して可愛いがってあげよう」
 芹澤の言葉にヒカルは答えない。
 自分には大人しくしているしか術はないのだ。だからせめてこの男を喜ばせるような事はしないでおきたかった。
 そんなヒカルの態度を反抗と受け取ったらしい芹澤の表情が引きつる。まるでこの世の悪を具現したかのような表情を、ヒカルは背を向けていて見なかったのは不幸中の幸いだろう。
「……反抗する気力がなくなるまで、お仕置きをしよう」
 その言葉に記憶が蘇りヒカルは震え上がる。振り向いたヒカルの目に入ったのは芹澤の手にある竹刀。やっと治ったばかりの傷が悲鳴を上げるかのように疼きだした。
 後退りしようとするのだが、足はヒカルの意志に反してピクリとも動かない。視線は振り上げられた竹刀だけを見ていたのだが、それが振り下ろされるに至ってヒカルは目を閉じた。
 いずれくるであろう痛みと衝撃に耐えるかのように歯を食いしばる。
 しかし、衝撃はいつまでたってもヒカルを襲う事は無く、恐る恐る目蓋を開けたヒカルの視界には、芹澤の腕を捻り上げる塔矢アキラの姿があった。
「塔矢……、どうしてここに?」
 ヒカルの言葉に、アキラはもう大丈夫だとばかりに微笑みかける。そして芹澤へと視線を向け、氷のような口調で芹澤を追い詰める。
「竹刀の持ち方の筋が悪いですね、閣下。手ほどきいたしましょうか?」
 不敵な笑みを口の端にのせたアキラは、怒りによる衝動を必死に耐えんとしている。本当ならその竹刀で芹澤を打ち据えたいと思うが紳士としてアキラは耐えたのだ。
「ふっ、不法侵入だ!」
 予想以上のアキラの強い力に芹澤の声が震えていた。アキラの射抜くような視線が芹澤の動きを制したのかもしれない。
「そういうあなたは誘拐犯です」
 抑揚の抑えた声はそれだけで十分に威嚇の効果がある。
 形勢はアキラの方に分があった。
「にっ、任意だ」
 全てを知られたという、心理的重圧が芹澤を押し潰そうとしていた。しかし実際に彼に降伏を促したのはアキラの次の一言だった。
「進藤家の融資については塔矢家が申し出ました。これの意味するところがお解りですか?」
 殆ど利息の掛からない低利率の申し込みは、夜半の申し込みといえど進藤正夫の心を捕らえたらしい。
「貴方ほど人が社会的地位を放り出すのはどうかと思いますが?」
 それは取引であった。
 がくりと膝をつく芹澤を解放するとヒカルの手を取りそして宝物のように抱き締めたのであった。
 わずか一時間の間に、アキラがどんな魔法を使ったが解らなかったが、ヒカルが救われた事に変わりはなかった。
 茫然自失となった芹澤を残し、ヒカルはアキラとともに塔矢別邸のヒカルの部屋へと戻る。
 疲れているだろうからと無理矢理ベッドに押し込まれ、そして市河がいれたホットミルクをヒカルは温かい思いで口にした。
「君を行かせた事を後悔した。不本意だけれど調べさせてもらったよ。まさか本当に進藤家の嫡男とはね」
 アキラの優しい口調にヒカルは照れたように笑う。
「華族には見えないって言うんだろ」
 その事実を芦原は進藤家に確認し知った時、素っ頓狂な声を上げて周囲の失笑を買った程だった。
「確かに。しかし君が芹澤将軍の接吻を受けた時は腸が煮え繰り返ったかと思ったよ」
 アキラの怒りに震える姿が思い出される。
「あんなに塔矢が怒るなんて……」
 あれからすぐ進藤家に確認を取り、アキラなりにヒカルの抱えていた悩みを推測したらしい。他人事だと割り切れば良いのに、融資を引き受ける事までして自分を助けてくれたアキラをヒカルはまじまじと見つめる。
 その大きな瞳にみつめられてアキラは頬を染めた。
 ヒカルが連れ出された瞬間から、ヒカルに対する想いを秘してはいられないものとなっていたアキラは、意を決してヒカルの手を取った。
「僕が怒ったのは図星だったからだよ。将軍は恋愛ごっこと言ったけれど本当は君に恋をしていたんだ。そして今も君の唇に触れたいと思っている」
 まるで神聖な言葉を口にするかのようにアキラは一語一語に想いを込める。一方ヒカルといえば……。
「ふーん、そっかぁ」
 なんとも呑気に応えてしまい、アキラの逆鱗に触れた。
「なんだその口振りはっ!! 僕は真剣に君の事を好ましく、否、愛しいとさえ思っているのに!!」
 一気に捲し立てたので、ヒカルの瞳がさらに大きく見開かれる。
「急に怒んなよ、俺だってお前の事真剣に考えても良いかなって思ってんのにさ」
 アキラに握られた手を引っ込めて、拗ねたかのようにヒカルが俯く。
「本当かっ!? 進藤っ!」
 今までの貴公子然とした立ち居振る舞いが幻のようなアキラにヒカルは苦笑した。
「考えてもだよ、考えてもっ。第一俺たち男だろー? それにどっちも嫡男だし家は捨てられないし」
 いつからアキラに惹かれたかヒカル自身定かでなかった。それに単に助けられた感謝の思いが変化したとも思いがたい。
 そして何よりもアキラの言葉が妙に嬉しく感じられたのだ。それこそ男同士という垣根を超えても良いと思える程に。
「僕は一生日陰者で構わない」
 アキラが上着を脱ぎ捨て、ヒカルの横に滑り込もうとするのを枕を投げ付けることで阻止したヒカルが呆れたかのように呟く。
「その短絡的な思考どうにかしろよ」
 そして唖然とするアキラにヒカルは悠然と微笑むとまるで誓うかのように口付けたのだった。
 まるで時が止まったかのような長いくちづけ……。
 二人で居ればそこは夢の神殿のように、目覚め始めたばかりの愛が光り輝いていた……。




 やっと終わりました……。お付き合いくださった方、まずはすみませんでした。なんとも短絡でくさいオチで。実は200冊近く保有している、バーバラ・カートランドの本は大概がこんなくさい終わり方だったりします。いや、もっとくさいかもしれません。

 始めは400字詰め原稿用紙で40枚程度のお気楽娯楽小説にするつもりが何時の間にやら80枚に手が届きそう……。なのに内容がうすくて申し訳ないです。書いている本人が一番楽しいという…

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