雪の降る街を 3




 どうやって運転したかは覚えていない。気が付くと駐車場に車を停めて、覚束ない足取りで出口付近へと足を向けていた。
 アキラに会ったらどんな態度で臨むべきか決心がつかなくて、ヒカルは無意味に時間だけを浪費していく。
 案内板を見ると定刻より10分の遅れが出ているらしいが、ヒカルにはその時間が有り難かった。
 そして。
 ヒカルは心に決める……。
「お帰り、塔矢!」
 公の場所であるからと、友人の範囲を越えない出迎えをするヒカルにアキラは笑みを返す。
「進藤!」
 数日ぶりに見る愛しい恋人の姿にアキラは抱き締めたいとさえ思っていた。
 しかしそれは二人っきりになるまでのお預けだからして、せめてその笑顔だけでも堪能したかった。
 だがアキラの類い稀な感が、何かがおかしいと告げていた。
 何が違うのかと考えてみて、ヒカルの笑みにいつもの輝きが無いのだと気が付く。
 いつも見るようなごく普通の笑みなのに、くすんだように、仮面を被っているように感じるは一体どうしてだろうか……。
 その理由についてアキラには皆目見当が付かなかったのだ。
「でさー、和谷ってば変なんだよ、もうマジ」
 ヒカルがにこやかにこの二・三日あった事を楽しげに話しているのだが、明らかに壁がある。
 車の鍵を受け取って運転席へと乗り込むアキラの脳裏に浮んだ疑惑。
 まさか……。
 浮気でもしたんじゃないだろうか。
 だから迎えに来るなんて殊勝な事までしてみせるのでは?
 考えたくはないが、そう考えるとヒカルの突然の行動も説明が付く。そして笑みが曇っているのは罪悪感からか?
 しかし次の瞬間ヒカルに限ってそんな事は無いに決まっているとアキラは思い直していた。
 迎えにきてくれたのだって逢いたいからに決まっている。
 何しろ自分達は相思相愛なのだ。
「進藤、僕の部屋に寄っていくだろう?」
 確か明日は休みだったはずだから、今夜はゆっくりと二人の夜を過ごせるはずだ。アキラは期待を込めて助手席のヒカルの膝に手をやり、徐々に上へと撫で上げた。
「悪ィ、今夜指導碁の依頼入ったんだ」
 あっけらかんとヒカルはそう答えると、打って変わって極上の笑みを見せたので、アキラは残念には思ったものの取り立てて疑問は感じなかった。
 だがそれから二日も連絡が無いに至って、ようやく避けられているかもしれないという事実に思い当ったのだ。
 そしてヒカルの浮気疑惑が再浮上する。
 望んで手に入れた至上の存在。
 彼の他には何も必要ないというのに。
 手に入れたと思ったのは自分の傲慢な思い込みなのか?
 だが……。
 絶対に逃がしはしない。アキラはそう心に誓うと棋院で行なわれている研究会帰りのヒカルを待った。
 どれくらい同じ場所で待っただろうか。ヒカルが棋院から出てくる姿を見付けて、その細い腰付きと流れるような背中のラインに見惚れてしまう。
 美しい自分だけの恋人。その後ろ姿に追い付くとその肩を掴む。
「理由を聞かせてくれ」
 ヒカルの背中に投げ掛けたアキラの言葉は、ゆっくりと振り向いたヒカルにあっさりとかわされる。
「えっなんだよ、変な塔矢。もしかして迎えに来てくれたの? 車?」
 アキラが何を言っているのか解らないふりをしているのかヒカルは小首を傾げてみせ、そして次に車を探しだした。
 そして、寒いしラッキー。などとご機嫌な様子で車に乗り込む。そんなヒカルの様子にアキラは言うべき事を忘れてしまっていた。
「ワリイな俺の家まで頼むよ」
 にこっと笑みを浮かべた顔は自分の知らないヒカルの顔で、それがアキラの当初の目的を思い出させた。
 とりあえず車のエンジンをかけてアクセルを踏む。目的地は自分の部屋。このままヒカルを家に送り届けるほど自分は出来た人間ではない。
「そんな他人行儀な進藤を見たくないな」
 感情を押さえ、ヒカルの良心に訴える言葉を選ぶ。現在の他人行儀なヒカルを責めているとも取れる言葉。
 それがヒカルに伝わらないはずもなく、初めてヒカルの表情が険しさを見せた。





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