雪の降る街を 4
「なんだよ、お前だって俺に隠している事の一つや二つあるだろう?」 ヒカルは皮肉を込めてあの女の容姿を説明する。性的な女の魅力に溢れた姿。この車を見て声をかけてきた事……。 「良かったじゃん、俺で遊んでても振られてないみたいだし」 そう言って顔を伏せたヒカルの頬に涙が浮かんでいるかもしれないと考えてアキラは心臓が止まりそうになった。 お互いに浮気の可能性を考えていたなんて……。 しかし、ヒカルの言う女には心当りがあろうはずもなく、思い当ったのは一つの単純な現実。 「この車、前の持ち主は緒方さんだって知ってるよね」 その女の人は緒方さんと間違えたに違いない。もしくは他の誰かかもしれないが、断じて自分ではない。 「じゃあなんでフラッグ立ってるんだよ」 明らかにアキラ用にカスタマイズされた内容のナビなのに、どうしてあんな場所にフラッグが立つのだろう。 ヒカルも色々な可能性を考えたが、考えれば考えるほど嫌な方向へと思考が向いていくのだ。 「それは、……」 アキラが言葉に詰まったのは、このナビは緒方から車を譲り受けた後に取り付けたという事実があったからだ。 だが……。 今回のことはおそらく偶然。 ヒカルの言う場所に心当りは無いし、設定をした覚えもない。 なのになんと間の悪い事だろうか。 アキラのその沈黙にヒカルは実際に泣きだしてしまいそうだった。アキラを空港まで迎えにいくまでの時間。まとまらない考えを必死にまとめようとした。 そして辿り着いた答え。 「俺、塔矢が女の人と続いているならそれでも良いって思おうとしたんだ。だってその方が俺達のことバレないじゃん」 だから知らなかったフリをして今までどおりにしようと考えていた。なのに理性以外は正直で、そんなアキラを受け入れる事を是とは出来なかったのだ。 声も聞きたくなかったし顔だって見たくなかった。けれども淋しさだけはいつも以上に感じていて……。 「俺、あの女の人が本命だったらどうしようかって」 気紛れに自分と関係したのかもしれないと思うとヒカルは恐かったのだ。 膝で握られたヒカルの拳がアキラの言葉を待って震えていた。もちろんアキラはそれが誤解だという事を知っていて……。 信号で止まった事を幸いとばかりに、ヒカルの震える手を握り締める。 「バカだな。僕が好きなのは君だけだ。それにそんな女の人は知り合いじゃないよ」 どうしてナビに説明のつかない覚えのないフラッグが立っていたのかなんてこの際どうでも良かった。 アキラは自分がどれだけヒカルを望んでいるかヒカルに知ってもらいたかった。勿論それは言葉だけじゃなく身体でもだ。 だからそれを大義名分とばかりに自分のマンションへと急ぐ。 「でも、エッチだって一週間に一回あるかないかだし。それってなんか義理エッチくさいじゃん」 ヒカルの足先が不満を表わすようにトントンと音を立てる。 そんな言葉と態度に、今までの性生活に不満があったとは思わなかったアキラが驚く番だった。 「それは君の身体を考えて、」 必死になって言い訳しようとするアキラの言葉をヒカルは遮るように続ける。 「塔矢って淡泊そうで絶倫だし、それで一週間一回なんて中年のおじさんみたいじゃん。だから、他でしてるなら辻褄あうし」 確かに一週間に一回ぐらいである。だがそれはお互いのスケジュールというものがあるし、ヒカルの身体を考えるとそれ以上求めるのは酷なような気がしていたのだ。 だがそれは自分の勝手な思い込みだったのだろうか。 「別々に暮らしているんだから、一週間に一回だって上出来だ。本当は僕の方がどうにかなりそうなんだけど。これでもタイミングも合わせるのに四苦八苦してるんだけどな」 やっと駐車場に車を停めて自宅の部屋にヒカルを案内したアキラは、いつものような魅力的な笑みでヒカルを見つめた。 それと同時にヒカルの肩を抱き寄せる。自分より少し背の低いヒカルの肩口に顔を埋めるとヒカルが微かな声で呟いた。 「俺さ、それでも別れるなんて考えられなかったんだ」 そしてヒカルはアキラの腰に手を回して、暫しお互いの存在を確かめあった。だがそれだけでは満足ではなく……。 アキラは自分の服を脱ぐと同時にヒカルの服をも脱がせていく。 「今夜は寝かせないから」 ヒカルの柔らかい唇をそっと塞ぐとヒカルからは明るい笑いが漏れる。 「そのセリフもおじさんくさいなぁ」 そう言ってヒカルが輝かしい笑顔を見せてくれた事でアキラはやっと安堵する事が出来たのだ。 「おじさんかどうか、試してみる?」 夜は長い。 もう二度と、浮気をしたとか本命が他にいるなどという事を考えられないように、ヒカルの身体に覚えさせる必要があった。 アキラはあの時と同じようにヒカルを己れのベッドへと横たえて、そして自分もその横へと滑り込む。 衣服はここに至るまでに脱ぎ捨ててしまっていて、二人を遮るものは空気以外何もなかった。 笑みを見せるヒカルをアキラはまず抱き締めて、そして羽のようなキスを一つ落とす。 「塔矢……」 アキラから好かれているという事がこんなにも嬉しくてヒカルは泣きそうになった。 美しいアキラ。好きになったのは自分からだったかもしれない。そして色々と誤解と紆余曲折と波瀾万丈の末にやっと両想いになったのに、ささいな事でアキラを疑った自分が情けなくなる。 アキラが自分だけと言うのだ。 嘘をつけるような奴ではないし、人を騙すような奴でもないという事を自分が一番よく解っていたのに。 自分はアキラをどこまでも信じれば良いのだ。アキラはきっと裏切らない。自分から離れていったりはしない。 ヒカルはアキラのキスを受けながら、その手が全身を優しく触れていく感覚に身を委ねた。 アキラによって導きだされた快感。そして自分の身体が何倍にも敏感にもなるのはアキラだから……。 アキラの手が身体の中心に辿り着き、繊細な動きで絡み付いてくる。ヒカル自身はそれだけで堅く張り詰め、次を待ちわびた。 「あっ……」 小さく漏れた声が想像以上に甘くて余計に恥ずかしくなる。まるで次をねだるような自分の声。 それを感じ取ったのか、アキラは優しい笑みを返すと身体を下へとずらし、貪欲なヒカルのソレにキスをしたのだった。 「進藤は、コレが好きだよね」 ピチャリとアキラの舌がヒカルの先端部分を音を立てて舐める。確かに目眩がするほど気持ち良いけれど、それはアキラだから。 アキラの形の良い口が自分のモノに愛撫をするという現実が余計にヒカルを煽り立てるのだ。 意識が白濁としてヒカルは次第に何も考えられなくなる。 けれどもそれは幸せと同じなのだ。 心に降り積もったはずの冷たい雪は跡形もなく溶け去っていた。全身でアキラを受けとめながら、ヒカルもまた溶けていく。 再び形を取り戻したのは、何度も自我が弾けてしまってからで。 腕の中で髪を撫でられ、その優しい感触に気怠くなった意識をヒカルは取り戻す。視線が合うとアキラは艶やかな笑みでヒカルを見つめた。 「ねぇ進藤、ずっと考えていたんだけど一人暮らしする気は無いかい?」 アキラはヒカルにここで一緒に住んで欲しいとずっと願っていた。そしてそれをやっと申し出ることが出来たのだ。 「親の監視付きの方が良いって言ってたの誰だよ」 昔自分が一人暮らししたいと言い出した時に反対したのは誰だったか。ヒカルはあの時のアキラの迫力を思い出して笑いを漏らす。 「そんな昔の事を持ち出すなんて、案外意地が悪いね進藤」 あの時は色々と誤解をしていたからで、今は恋人としていつも一緒に居たいとだけ望む。 アキラのそんな困ったような様子にヒカルは嬉しくなった。アキラは自分を求めているという事実が目の前にある。 『意地が悪いだって? これくらい意地悪したって良いじゃないか。最終的にはお前の思うがままになるんだし』 そんな思いを隠して、 「一緒に住めば車を運転する機会も増えるんだな」 と、アキラよりも車だとヒカルは嘯いてみせる。 それが多少アキラのプライドを刺激したのか、アキラはあのいつもの真剣な眼差しでヒカルを凝視して、 「僕より車だなんて妬けるよ」 と、言いつつ頬に軽くキスをしたのだ。 「……バカ」 そんなキスでは不満だとばかりにヒカルはアキラの頭を抱き寄せて、そして自分から深く深くくちづけた。 二人を包み込む静寂な空間。 夜空しか見えない窓の外では雪が花びらのようにちらついている。 白い雪がすべてを凍り付かせるように街に降り積もる事はあっても、アキラによって溶かされたヒカルの心の中にはもう二度と雪が降る事も積もる事もないだろう……。 |