雪の降る街を




 タイトルに王手をかけた一戦となると、地方で対局が行なわれる事が多い。
 現地で前夜祭や何やらとこなし、その後は後援会と懇親会などの予定が入ると往復の日程も含めて、何日もヒカルとアキラが会えないという事もある。
 ちなみに、ヒカルとアキラが本当に付き合い初めてまだ日は浅い。
 言うなれば蜜月だというのに、ヒカルの居所は自宅のままで、せっかくの部屋数を誇る塔矢のマンションも役立たずといったところだった。
 つまり二人の逢瀬というものは限りなく短い時間でしかなく、ヒカルは地方の対局へと向かうアキラと少しでも一緒にいたくて、こうして空港にまで見送りにきているのであった。



 ゴォーーッと地響きを伴うエンジン音。
 時折雪の混じったような風が二人を叩きつけていた。
 人目に付きたくないからと吹き曝しの屋外で、出発時間までを二人で過ごす。多分手を繋いでも誰も見ていないだろうが、ヒカルはそれを断念し、アキラの横顔を見つめた。
 風に乱されても、またサラリと元どおりになるアキラの髪。
 そういえば、ベッドの中でも……。
 どんなに激しく交わろうとも、アキラの髪は絹糸のようだとヒカルは思い出して頬を染めた。
 額にうっすらと汗を浮かび上がらせて、たとえ前髪が少し張りついたとしても、乱れた様子には受け取れない。
 そんな姿すら綺麗だと、ヒカルは切り揃えたラインを見つめた。
 綺麗なアキラ。
 見つめすぎたのだろうか、その視線に気が付いたアキラが優雅な笑みをヒカルに向けた。
「何?」
 その笑みにすら、ヒカルの鼓動は早くなる。
 反則だ、塔矢……。どうしてそんなに綺麗なんだよ。
 心の中でヒカルは呟く。



 寒さのためか、血色の良いヒカルの頬をアキラは見つめる。レザーコートの衿のファーに顔を伏せるように俯くヒカル。
 雪雲で低くなった空に金色の前髪は見事な対比だった。
 西洋の天使のようなヒカルの愛らしさは、自分と愛を交わすようになって更に増したようだとアキラは再確認していた。
 丈の長くないコートの上からでも、そのしなやかな身体つきが思い出せる。細い腰が自分を受け入れてもまだ物欲しげに震える様子すら思い出せた。
 重症だな……。想いを通じさせてもまだ物足りない自分にアキラは苦笑した。
 ヒカルを独占したいと思う。
 先日も同じ門下の先輩である緒方に無言の挑戦を受けたばかりだ。結局タイトルは奪えなかったが、ヒカルを独占するためならタイトルの一つや二つ惜しくはなかった。
 露天付きの家族風呂に二人で一緒に入るなどという冒険、いや暴挙に出たのもすべては緒方のせいだ。
 おまけにあんな所で二人っきりで、それも裸とくれば我慢する方が難しい。
 自分がつけた鬱血を見ているうちに、屋外で『する』可能性は今しかないという悪魔の囁きもあったのだが、流石に理性はまだ存在した。勿論、総動員しなければならなかったが。
 進藤と一緒に居ると心休まらないな……。
 そんな悩みすら嬉しいアキラなのだが。
「君のそのジーンズ……」
 使い古したようになってしまったインディゴブルーはまだ許せても。
 どうして破れているのを履くのかアキラにはまったく理解が出来なかった。
「これレアものなんだぜ」
 明るい笑顔でクルリと回ってみせるヒカルのジーンズは所々が破けていて、白い足が見え隠れしている。
 特に内腿の裂目や、ヒップに近い場所などは犯罪的ですらあった。クラッシュジーンズにどんな価値があるかは解らないが、男心をまったく解っていないヒカルには頭が痛くなる。
「……とても扇情的で、離れたくなくなる」
 もし人目がなければ、その破れたところから見える肌に触れたいところだった。
「男に欲情する?」
 上目遣いで見るヒカルは本当に疑問に思っているらしく、そんな馬鹿げた疑問を払拭するためにもこの場で抱き締めたいとアキラは思う。
「進藤だからだよ。そういう君こそ」
 僕に欲情しない?
 そう囁くとヒカルの頬が赤く染まり、そして照れ隠しのようにそっぽを向いた。



 アキラの指摘するとおりで、ヒカルは否定する言葉が無かった。いや欲情するというよりも、溶かされてしまうような感じで。それを旨く説明する言葉が見つからなかったのだ。
「だってお前は男前だし、背も高いし悪いとこなんてないじゃん」
 大抵の女の子が惹かれる容姿。勿論自分も例外ではなくて……。
「もしかして、君って面食いだったのか?」
 アキラは意外だとでもいうような口振りで、反対にヒカルの方が唖然となった。
「今まで知らなかったのか?」
 たまたまアキラが綺麗なだけなのかもしれないが、もし全然別の容姿だとしたらこんな関係になったかどうか……。
「てっきり僕個人に惚れてくれたのかと思っていたよ。これからは君の身辺には気をつけないといけないね」
 多分自分レベルなど掃いて捨てるぐらいに存在するとでも思っているのか、アキラの真剣な口調に思わず笑いが漏れた。
「バーカ。お前以外にそんな物好きいねーよ」
 例え、アキラより男前がいたとしても、自分に好意を抱くかは別問題だと気が付いていないのだろう。
 俺の方こそ気をつけなきゃ、と、ヒカルは決意する。
「また迎えにくるから」
 時計を見ると、もう別れの時間が迫っていた。
「ペーパーに運転させるのは忍びないけど。なんなら空港の駐車場に置いて帰っても良いんだよ」
 愛車のアルファロメオ。ここまでくるのはアキラの運転だったが、帰りはヒカルがアキラの車を送り届ける予定になっていた。ペーパードライバーの汚名を返上するための練習なのだが、アキラは殊更心配しているようだった。
「バカにすんなよ、こう見えても俺って器用なんだからな」
 主観であって客観ではないのところが問題なのだが、ヒカルの言葉にアキラも渋々鍵を差し出した。
「解ったよ。これがキイ。ナビの使い方は解る?」
「そんなの無くても平気。……気を付けてな」
「君の方こそ」
 誰も見ていない事を確認して少しだけ唇を重ねた。
 離れがたいのはきっと二人が一対の生き物だからだろう。もう離れないと思ってはいても、それを余儀なくされる。
 アキラは、なるべく早く帰ってくることを誓い、ヒカルもそれに頷いた。
 今はまだ蜜月の二人……。




伏線だけです。すみません……。



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