雨後の月9



 
越智が不確かな足取りで帰宅したのは深夜を少し過ぎた頃だった。飲み慣れないアルコールの力に縋ったのだろう。見た目にも解るほど顔が赤い。
 そもそも未成年でなかったかと社が思うより早く、越智は社を見付けると回れ右をして逃げ出そうとした。
 しかし酒酔い状態の越智と素面の社とでは、どちらに軍配が上がるかは明白すぎた。
「今度は捕まえたで。さぁ話してもらおか?」
 社が越智の胸倉を掴んで脅すように顔を近付けるとその勢いで眼鏡が落ちた。
 かなり視力が悪いのだろう。まるで牛乳瓶の底のような分厚いレンズが越智の素顔を隠していたのか、思った以上に鋭い目付きではなかった。
 普段の彼の発言を知らなければ、眼鏡の無い素顔は気弱な青年を絵に書いたようですらある。
「離せっ、お前に話す事なんか微塵も無い」
 目一杯強がるかのように社を睨み返す越智だったが社にとっては赤子同然。なにしろ背丈、体格、腕力どれをとっても社の方が上だったのだ。
「ここで騒ぎ立ててもエエんやで? 大阪弁の迫力教えたろか?」
 玄関前でドアを蹴りながら大声で騒ぎたてて困るのは誰か。含みのある言葉に越智の態度がやや軟化した。
「……入れよ」
 落ちた眼鏡を拾い、扉を開け、鍵を玄関脇のキーボックスに仕舞うと越智は社の先導するように部屋の奥へと進む。
 全体に青をベースにインテリアを考えたのだろう。ポイントにするためか部屋の小物は同じ黄色が使われているため、見た目以上に寒々しい感じは少ない。
 危なっかしい足取りの越智は沈むようにリビングのソファへと深々と腰掛けると大きく息を吐いた。
 勧められるまでもなく、社もソファへと腰掛けると少し間を置いて切り出した。
「さて何から話してもらお? まずは昼間塔矢のとこで何しとったんや? それから何を知ってて、で、あの二人に何をしたんや?」
 一気に捲し立てる社。一応は穏やかに聞くつもりだったらしいがかなり詰問するような響きがあった。
「……」
 俯き、無言のままの越智に社は続ける。
「答えたない気持ちはよう解るけどな。これだけ情況証拠があったらだいたい推測出来るわな。なぁ黒幕さんよ……って人がせっかく説明してんのに寝るか?」
 おそらくソファに座った当初から越智は眠ってしまっていたのだろう。静かな越智の寝息に思わず社の頬が弛む。
「ガキが飲みなや」
 飲み慣れない酒を飲む必要があったのだろうか。酒に逃げたくなる何かが越智にあるというのか?
 社はひとまず越智の側から離れ、寝室の場所を確認すると越智の小柄な身体を抱き上げベッドへと運んでやる。
 次に冷蔵庫の中のミネラルウォーターと傍らの棚にあったコップを運んできてやり、最後に眼鏡を取ってサイドテーブルの上に乗せてやった。
 資産家の息子だと聞いた事があったが、一人暮らしするには大きすぎる部屋とベッド。青色で統一された寝室はかなり荒れている。
「なんや、空き巣でももっと上品に荒らすんちゃうか?」
 越智が物に八つ当りでもしたのだろう。何かのトロフィーや記念の品が全て薙ぎ倒されていた。
 深い眠りに入った越智と、昨日のヒカルが重なる。
 皆が傷ついていたが、自分が助けられる、何か出来ると思うのは過信だろうかと社は少し不安を覚えた。
 だが、何かせずにはいられないのだ。
 社は帰る際に玄関のキイボックスにあったマンションのスペアキイを拝借する。これならいつだって越智と話をすることが出来る。
 鍵を閉めるという大義名分があるとはいえ少々罪悪感もあるし、越智の事も気になる。
 東京の仕事が終われば数日仕事は入っていない。とことん付き合うと決めた自分の心境を不思議に思いつつも社は腹を括ったのだ。






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