昔からそうだった。
彼を追えば逃げられ、彼から離れようとすると追われるという正反対のベクトル。
進藤ヒカルが身近に感じられたのはほんの一瞬で、今はまた昔のような距離を感じていた。
それは、彼を好きだと特別視しているがゆえの感覚ではなく、実際に逢えない日々がそれを余計に感じさせた。
連絡が取れなくなっても、昔のように心のまま行動出来なくなって、ただ待つのみの己れが歯痒い。
しかし拒絶されるのが恐くて、一歩が踏み出せなかった。
棋院で最後に会ったときも逃げたヒカルを追う事が出来なかった自分。
追い掛けて彼を捕まえてしまったら、何をしてしまうか解らないから追う事が出来なかったのだ。
秋口の風は冷たく、まるで塔矢の心の中にまで吹き込むようだった。
大手合い等でヒカルの姿をみれば、彼を渇望している自分を知る。
いっそ、押し倒して、鎖に繋ぎ止めたいぐらいのその感覚。
しかし碁ですら彼を繋ぎ止める事は出来なかった。
碁を打つ事すら拒絶されたというのに、仮に想いを遂げたなら……?
そんな危険を冒せる程子供ではなく、自然と、無難な道で良いと思えてくる。
そう、彼が自分との距離を取るというなら、それでも良いのだと。
同じ世界に生きているだけで満足としようと塔矢は己れに言い聞かせた。
* * * *
棋院での手合い後、出版部の天野から連絡を受けたヒカルは、珍しく応接室に通され件の人物を待っていた。
そして慌ただしく入ってきた天野は開口一番、『カレンダーのモデル引き受けてもらえるかい?』と言ったものだから、思わず出されたお茶を零しそうになる。
「カレンダー? モデル?」
天野の言葉にヒカルは確認するように問い掛ける。
「そう、ファンサービス用のね。タイトル保持者で行くか、人気のある若手の碁打ちでいくか、出版部でも迷ったんだけどねぇ」
毎年カレンダーを制作しているのは知っていた。
しかし、それはその年のタイトル保持者というのが暗黙の了解であったはずだ。
人気のあるプロが決してタイトルを保持している訳ではなく、そんな事をすればタイトルを持つ棋士達のやっかみだって気にしなければならないだろう。
それをあえて、自分のような若手を起用しようとは、まさに出版部も冒険と言ったところか。
「無料配布用でしょ? 予算あるんだ」
ヒカルがしみじみと言うと、天野の方が困った顔を見せる。
「無いから、若手でいこうと思ってるんだけど」
つまりタイトル保持者だと、日程の調整も困難であるし、何日にも分散するとそれだけスタジオの賃借料やカメラマンへの日当がかさんでくるという事らしい。
「で、俺もその候補? 面白そう」
実際にヒカルは素直に面白そうだと思っていた。
取材で写真を撮られる事はあるが、大概がモノクロだったりして、素っ気ない感じがしていたのだ。
それがカレンダー用となると、そのワンショットに総てが凝縮されているという事で、おそらく見栄えも良いだろうと思ったのだ。
モデルという単語に、かつての塔矢を思い出し自然と胸が高鳴ったが、ヒカルは深呼吸してそれを沈める。
そんなヒカルに天野は安堵したように、地図を差し出した。
「すごく有名なカメラマンなんだよ。うちの出版部のカメラマンも考えたんだけど、結構特殊な撮影器材とか必要になるから断念して外注って訳なんだよ」
日程を書かれた紙と地図のコピーを片手にヒカルが撮影スタジオへ足を運んだのはそれから二日後の事となる。
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