進藤を抱いてしまった……。自分の内でその事実が大きく伸し掛かってくる。
本当はそんなつもりは無かったというのに。
ただ理由を聞きたかった。
どうしてこんな写真を撮らせたのか。そして将来の事を考えて、止めるようにと諭すつもりだったのに。
自分が進藤を蹂躙してどうなるというのだ。
必死に否定しようとする姿が無性に腹立たしくて、気が付くと自分の中の獣が目を覚ましていた。
キスをしてからは記憶も曖昧で、ただ進藤の身体に自分の跡を刻みたくなって。
その華奢な身に自分を受け入れさせたい。
それだけだった。
まるで本能だけの獣。その獣は一生胸に閉じこめておくつもりだった。
進藤が何をしようと、自分が彼を犯して良いという理由にはならない。
本当に彼を思うなら、彼という存在そのものを認めるのが自分の役目ではなかったのか……?
だが塔矢がどんなに後悔しようと、一度解き放たれた野獣を檻に閉じこめる事は出来なかった。
塔矢の中には、ヒカルが自分以外の男と関係する事を良しとするような感情を持ち合わせてはいなかったのだ。
理性はヒカルを自由にしたいのに、感情は彼を求め続けた。
* * * *
携帯に入った塔矢からのメールに、ヒカルは携帯を持つその手が震えているのを感じていた。
それは怒りでもあり、恐怖でもあり、そして喜びでもあった。
『今日、研究会が終わった頃に迎えにいく』
そんな簡潔なメール。
あの日から一週間が経過した。初めての情事にやっと身体が回復し、その間混乱していた頭を整理し、ヒカルは一つだけ悟った事があった。
塔矢は自分に対して恋愛感情を持ってはいないという事柄。
それでもこうしてメールを見て、心の奥底に微かな希望を抱いてしまう。打ち砕かれたはずの想いが再び形を成していく。
必死に否定しようとしても心は止められなくて……。
木枯らしの吹く、日の落ちた棋院の前でヒカルは塔矢を待つ。無視しようと思えば出来るのにどうしても出来なくて、そんな自分が嫌になる。
いつもなら早々に帰ることの無い研究会なのに、和谷の誘いを断ってまでもヒカルは塔矢を待った。
そんなヒカルの耳に聞き覚えのある車の排気音が入ってきて、塔矢のアルファロメオが棋院の前に横付けされた。
塔矢が無言で内側から助手席の扉を開く。
その視線は有無を言わせないものがあって、ヒカルはその視線を受けとめて無言で助手席に乗り込んだ。
景色が流れ、目の前には見慣れた建物が立ちはだかる。
いつだったか、誘われて訪れたフィットネス設備のある例のホテル。一流ホテルらしい豪華な外観は記憶そのままであった。
あの日と違ったのは塔矢がフロントでチェックインを済ませたことであろう。塔矢の手にはカードキー。エレベーターに乗り込むと塔矢は最上階のボタンを押した。
廊下の一番奥にある部屋へと足を踏み入れる。広さや設備からしてジュニアスイートルームであろうか。
長い沈黙を塔矢が破る。
「どうしてついて来たんだ?」
そう言った塔矢の表情をなんと表現すべきか今のヒカルには解らなかった。今にも泣きだしそうだと思ったのも一瞬で、すぐに塔矢の表情は硬くなる。
「あんなメール打ってきたくせに」
半ば強制的に連れてきたくせにと思いつつヒカルは反論する。
「合意のうえと考えるけど? 君もそのつもりで付いてきたんだろう?」
その言葉に心臓がペースを早める。
『そのつもり』でなければ、こんな所まで付いてくる理由は無い。それはヒカルもよく解っていた。
「好きに思えば良いだろっ」
図星を指されてヒカルは履き捨てるように言葉を紡いだ。
「そのへらず口から良い声が聞けるなんてね」
くくっと笑いながら塔矢はヒカルを抱き寄せる。ヒカルは全身が震えているのを自覚した。恐怖ではない期待に身体が震えているのを……。
「シャワー浴びるかい?」
冷たい塔矢の視線を受けとめて、ヒカルはその腕の中から抜け出した。
「ついてくんなよ」
シャワールームに向かいながら、ヒカルは塔矢を睨み付けるが、そんなヒカルに塔矢は嘲笑を返した。
「君は逃げないと解っているから別に監視はしないよ」
その言葉を背にして、ヒカルはシャワールームの扉を大きな音を立てて閉めた。
バスタブとシャワーブースが別になっていて、大きく確保されたデザインの窓からは夜の海が見える。
シャワーを浴びながらヒカルは、自分は何を考えているのだろうかと己れ自身に問いかける。
塔矢に再び抱かれようとしている自分。どうして塔矢にこんな執着心を覚えるのか。
こうしてシャワーを浴びて汗を流すように、碁だけじゃ満足出来ない愚かな自分を洗い流せたらどんなに幸せだろうかと思うのだった。
ヒカルが浴室から出ると同時に塔矢が入る。
部屋の中央にあるテーブルの上にはルームサービスだろうか、冷やされたワインとふたつのグラスがあった。
そのワインを口に運び、ヒカルは窓際へと立つ。
バスローブだけを身につけて、いかにも抱いてくださいと言わんばかりの自分が窓に写っている。
グラスを傾けながらヒカルは何かが凍り付いていくのを覚えていた。身体は熱くなるのに、塔矢を好きだと思えば思うほどに冷えていく心。
濡れた黒髪の塔矢に背後から抱き竦められてヒカルは目を閉じた。
* * * *
それを切っ掛けにしてか、少なくとも二週間に一度は塔矢からの呼び出しがあるようになる。
次第に碁を打つ回数よりも身体を重ねる事の回数が上回っていった。
ヒカルのスケジュールなどおかまいなしに誘う塔矢をヒカルは拒まなかった。
どんな形にしろ、塔矢は自分を求めてくれているから。それほど塔矢が好きなんだとヒカルは己れを判断した。
拒んで塔矢を失う事を恐れていた。
何を思って自分とセックスするのか塔矢の意図は解らなかったけれど、ヒカルが求めるような関係には程遠い事だけははっきりしていた。
それでも自分を求めなくなって、他の誰かを塔矢が抱くという事の方が嫌だった。
恋人として見てくれていなくても、過密なスケジュールを調整して自分の身体を蹂躙する塔矢をヒカルは求めていた。
美しいその存在を……。
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