相思譜2



 年も改まり、今年の冬は暖冬の続いた例年に比べ寒い日が続く。それはまるでヒカルと塔矢の心模様を現しているかのようであった。
 森下門下の研究会のある毎週火曜日。いつもの如く研究会が終わり、ヒカルが棋院を出たところで塔矢が待っていた。
 コートを着ていても細身の体型が判る。背もまた高くなったようで、女性ファンに囲まれているのをよく見かけるようになった。
 今日は塔矢一人だった事にヒカルは安堵したが、それでも口から出る言葉は憎まれ口になってしまう。
「なんだよ、急に。待ち伏せか?」
 あくまでも興味などないように言葉にする自分がヒカルは嫌いだった。
「急だと都合が悪いのか?」
 ヒカルの言葉に塔矢も不機嫌な様子を隠しもせず反論する。
「当たり前だろ」
 もっと素直に言葉を選んだなら、こんな険悪なやり取りにはならないだろう。
 解ってはいても今更素直になれるはずも無く、張らなくても良い虚勢をヒカルは張ってしまっていた。
 そんなヒカルの態度に、不機嫌と言えども柔和な口調で接していた塔矢の態度も硬化した。
「……誰と待ち合わせている?」
 まるで怒りを押さえるような塔矢の口調にヒカルは面を上げる。
「はぁ? 何言ってんだよ。誰とも待ち合わせちゃいねーよ。俺、今日は帰るからな」
 本当は塔矢からの連絡が無い事に一抹の淋しさを感じていた。本当は塔矢が居た事が嬉しかった。
 けれど、ヒカルのプライドが素直に表現する事を固辞していて余計に塔矢の機嫌を損ねる結果となる。
「帰さない!」
 突如語調を荒げた塔矢がヒカルの腕を取った。
「わっ……」
 抵抗しようにもその力強さに振りほどくことが出来ない。
 外に止めてあった車の助手席に押し込まれて、有無を言わせないうちに車は動きだす。
 いつもなら南に向けて走らせる車が、別の方向へと向かって走りだしていた。
「この方向は……」
 嫌な予感がして、車中でも居心地の悪さをヒカルは感じていた。そんなヒカルの不安は的中し、塔矢の住むマンションへと到着する。
 あの日から一度も訪れた事の無い場所。
 あの日の記憶がヒカルの足を竦ませる。
 それは部屋に一歩入った途端鮮明に思い出された。あの日の痛みを極力忘れようとしていたのに……。
 まったくもって嫌な思い出だった。
 自分の想いが砕け散った墓場同然の部屋。
 塔矢のあの言葉が思い出される。
『僕とでも、楽しめたみたいだから、たまには相手してくれるかい。これからは碁だけじゃなくって……ね』
 塔矢とだからこそ身体は受け入れることが出来たのに。あの日から塔矢の考えている事が解らない。
 いつもはシティホテルより上のクラスで逢瀬を重ねてきた。そして少なくとも塔矢は紳士な態度を崩す事は無かったというのに、今の彼はあの日初めて身体を許した日の彼であった。
 有無を言わせず寝室へと連れられ、強引に唇を奪われる。
 藻掻けば藻掻くほど塔矢に強く抱き締められ、着ていたシャツを脱がされていく。まるで肉食獣に襲われるような感覚がヒカルを包む。
 待ち受ける快楽を受け入れてしまえば楽なのに心はそれを否定した。
「なんで?」
 何故自分なのか。
 どうして塔矢は自分と身体を重ねるのか。
 鬱積し続けた疑問がヒカルの口をついて出るのと同時に、頬に熱い雫が伝い落ちた。
 二人の間に一瞬の沈黙が訪れる。
「そんなに……泣くほど辛いのか。なら逃げ出せば良い。訴えれば僕との関係だって切れる」
 いつの間に涙が落ちたのだろうか。塔矢の前ではプライドが許さず泣いた事など無かったというのに。
 ヒカルの頬を伝う涙に塔矢の態度が微妙に変化していた。しかしヒカルはそれには気付かない。
「俺に同情すんのか! 今更さぁもう遅いっていうんだよ、俺の事なんか考えずに、ヤりたきゃ無理にでも突っ込めば良いだろっ」
 そうは言っても塔矢が自分だけの快楽を求めていない事は解っていた。必ずヒカルを良くしようとしてくれている。それは解っていたけれど。
 あの日の事がヒカルに重く伸し掛かる。塔矢は誤解しているのだと説明したところで、自分が受けたあのショックは忘れられるものではない。
 そもそも塔矢もどうして自分を抱きたがるのか……。
 塔矢が言うように自分は無意識に男を誘っているのかもしれない。
 きっとあの時、一瞬の欲望の為に自分が塔矢に身を任せた事自体が間違いだったのだ。
 あの時拒んでいたならば、二人の関係はマシだったのかもしれない。
 考えれば考えるほど、ヒカルの涙は止め所なく落ちていく。
 そんなヒカルを塔矢は黙って抱き締めていたが、意を決したように言葉を紡ぎ始める。
「……誰が好き好んで、泣かせたいものか……」
 苦悩に満ちた塔矢の言葉。そして思いがけない言葉がヒカルの耳に届く。
「君が好きなんだ……」
 好きだって?
「何を今更……」
 顔を上げて塔矢を仰ぎ見るが、嘘を付いている様子は無い。むしろその真剣な表情は真実が語られた事を証明していた。
「君の過去に嫉妬して、辛くあたって泣かせるなんて。君の心が手に入らないからと無理に関係を続けている。僕は愚かだ」
 何故塔矢が自分を抱くのか。それがこの告白ではっきりとした。
 塔矢の暴走に自分達は、正しく歩めた道を迷っていたのだ。なんと馬鹿馬鹿しい事か。
「あのカメラマンにちゃんと聞いてこいよ、バカ。お前、あれで俺が男と関係してるって思ったんだろ。正真正銘お前が初めてなんだよ俺は、過去なんかあるもんかっ」
 ヒカルの言葉に塔矢の動きが止まる。
「信じて良いのか?」
 一変して塔矢の声に張りが出る。
「さぁね」
 笑ってしまうほど馬鹿馬鹿しい事を自分達は何ヵ月続けてきたのだろうか。
 自分が恋人として塔矢を求めていて、そして塔矢もまた自分を独占したいがために暴走していただなんて……。
 ヒカルは身体から力を抜き、塔矢の腕の中に身を委ねた。
 こんなに温かい気分で抱かれる日がくるとは思いもよらなくて、ヒカルは塔矢の背に腕を回し抱き締める。
「誤解して、君をそんなに傷つけて頑なにさせたのは僕だ。もう一度やり直したいというのは我侭かい」
 ずっと表情を崩さなかった塔矢がヒカルを宥めるように囁く。その表情のなんと美しい事か……。
「時間は元に戻らねーよ」
 本当は怒ってなどいなかったが、これくらい意地悪をしても罰は当たるまい。散々悩んだというのに、なんと呆気ない幕切れか……。
「一から始めよう。僕は嫉妬深くて、君を自由にしないとダメだと解っているのにそれが出来ない弱い人間だけど」
 そう言って塔矢は続きをすべく、ヒカルの身体を侵略していく。
「何もかも自分の思い通りにしやがって。第一俺はお前を好きだなんて言ってない」
 言葉では否定できても、塔矢が好きなのだと、心の奥底では歓喜に震えていて、湧き出るような幸福感にヒカルは身を委ねていく。

* * * *

 本当はヒカルに他の者の痕跡が無い事に気が付いていたが、勇気が無くて聞けなかったのだ。
 どうして自分に抱かれるのか?
 拒もうと思えば拒めるはずなのに、黙って抱かれ続けている彼を見るのが辛かった。
 どんな関係だろうとヒカルを手に入れただけで良かったはずなのに、心は貪欲にヒカルを求めていた。
 そして今のヒカルの言葉に頭を殴られたようなショックを受けたのだ。
 愚かな自分の早とちりで、ヒカルを肉体的にも精神的にも傷付けてしまった事はよく解っていた。だがそんな中で一つ見付けた可能性に、塔矢は縋る思いで賭ける。
「一つだけ……。君は僕を好いてくれているのだろうか?」
 おそらくヒカルも同じ想いに身を焦がしているとは思うが、はっきりとその口から聞きたかった。
「知らねーよ」
 そう言ってフイと顔を背けられる。そんなヒカルの頬が赤く染まっていた。
 その様子からヒカルが拒まなかったのは、少なくとも嫌ではなかったという事だろうと推測できた。
 きっとそれ以上の想いで、身を許してくれたのだろうとも……。
「自惚れても良いかな」
「知らねーって言ってんだろっ」

* * * *

 その時塔矢もヒカルも同じ事を考えていた。
 今は無駄に過ごした時間を少しでも取り戻したいと……。
 慈しむように唇を重ねて、そして神聖なものを触れるかの如くその身に触れる。
 まるで初めて身体を重ねるような新鮮な想いで二人は身体を一つにしたのだった。

 そして二人の運命の輪が同じ音を立てて回り始める……。



END

 やっと終わりました。安直なオチですみません。ハッピーエンドって簡単なようで難しいです。
 初めてのアキヒカ小説がここまで長くなるとは書いた本人も思わずびっくりです。長い同人生活で最長かも。その割りには力不足ですが(+_+)
 高那はアキラもヒカルも比べようが無いほど好き。だから二人とも幸せになって欲しいという思いで書きなぐってきました。当初、この小説を三人称と一人称で感情移入しやすい方で書き分けていこうと思って始めたのに、なにしろ荒筋が思い浮かんでから半年がかりで書いているものだから通して読むとまだまだ改善の余地ありありになってしまいました。
 サイト開設した時、正直、この話が書きたかっただけなので、書きあがった時点でサイトの閉鎖も有りかなぁなんて考えていた始めたのですが、連載も再開されて、おそらく煩悩刺激されまくりになると思うので、当分は短編なりを書くか、得意のハーレクイン系パラレルに持って行くか、気ままに小説を書いていきたいと思います。
 こんな駄文に最後までお付き合いくださった皆様本当にありがとうございました。煩悩の枯れるまでアキヒカを極めたいと思います。

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