スキャンダラスな彼女 5




 互いに口を開く事も出来ずお互いを見据えたままだったが、僕は冷静を装って進藤が部屋に入ってくるのを見届ける。
 肩から斜めにかけた大きめのカバンを無造作に置く進藤。堂々とした違和感の無い姿に僕はまさかという思いに、耐えられないでいた。
「君がここに来るとは思わなかった」
 緒方さんとの繋がりを探すつもりでここに来て、決定的な証拠はないと安堵さえしていた。そして単純な僕は自分の目で確かめれば良いと思っていたのだ。
 だが実際に目の前にしてみると想像以上に動揺している自分がいた。
 こんな夜に女の子一人で独身男性の住む部屋に来るなんて、それなりの関係であることを認めたようなものだ。
 その証拠に進藤はこの部屋の合鍵を持っていたのである。
 僕の焦りとは裏腹に進藤は明るい口調で返す。
「もうこんな時間だしな。流石に親も諦めてた」
 笑いながらの進藤からは罪悪感など微塵にも感じられず、その態度は僕の心を苛つかせた。
 緒方さんのマンションに女の子一人で夜更けに訪れるなんて僕の常識ではありえないのに、進藤にとっては当たり前の事なのかと思うだけで僕の思考は冷静さを欠いていった。
「親御さんの言うとおりだ。若い女性が出歩くなんて感心しないな。それとも、君にとってこの時間は遅くはないのか?」
 夜の街で媚びた笑みを見せていた進藤なら、こんな時間は夜の内にも入らないのかもしれない。
 無性に目の前に立つ進藤が汚らしく思えて、僕は叫びだしたい衝動すら覚えていた。
 僕が愛した進藤とは似ても似つかなくて、そのギャップに耐えられなくなってきていたのかもしれない。
 どうしてこんなに腹が立つのかと冷静に分析してみて、僕自身、心の奥底で彼女を愛せるかもしれないと思っていたからだと気付く。
 だが、どうして彼女を愛せるだろうか。
 僕が愛した進藤は飾り気の無い少年で、ここにいる進藤とは全くの別人なのだ。初恋のイメージを壊されたくなくて、噂などは進藤の実力をやっかむ者達の嫌がらせだと証明しようとした僕が間違っていたのだ。
 根も葉もない噂ではない。
 すべて本当の事だったのだ。
 現実を直視して愕然とする僕に進藤は悪怯れる様子も全く無く、反対に憤慨する様子すら見せていていた。
「なんだよ、緒方さんが塔矢が待ってるっていうから慌てて来たんだぜ?」
 言い訳を並べたてる進藤にますます怒りがつのる。
「嘘だ、こんな時間に呼び出すなんて非常識じゃないか! 本当は緒方さんに会いにきたんじゃないのか?」
 怒りから声が大きく、そして荒くなる僕を進藤は不思議そうに見つめていた。
「どうして緒方さんに会うためにわざわざ……」
 そして『何を馬鹿な事を言ってるんだ?』とばかりに宥めるような笑みを僕に向けてくる。
「俺がずっと塔矢を好きだって知ってるよな?」
 何故疑うのかと進藤の瞳が物語っていたが、それすらも嘘のように思えて僕は怒りで口を開けないでいた。
 君が訪ねてきた緒方さんは女の所へ言ったと教えるべきか、有無を言わさず家に帰れと追い出すべきか……。それのどれも的外れのような気がして唇を噛む僕に進藤はなおも続ける。
「俺達、付き合ってるんだろ? だったら、お前に会いにこんな遅くに出てきたって違和感無いじゃん?」
 何がおかしいのかと問うような進藤を、気が付けば僕は力まかせに抱き締めていた。
「進藤……」
 これ以上言い訳を聞きたくなくて咄嗟に出た行動は、挙げかけた手を誤魔化すためのもの……。
 そんな、女性に手を挙げるなどという愚行に出た自分を誤魔化した行動は進藤に誤解を与えたようだった。
「……いいよ、塔矢」
 耳元で囁かれた言葉は呪文だったのかもしれない。誤解するな、そんなつもりじゃないと言いたかったのに、僕はまるで吸い寄せられるように進藤を身近にあったソファーへと押し倒していた。
 性急に進藤のTシャツをまくりあげ、その下の素肌に触れる。滑らかな感触が指先から伝わり、そして柔らかい手応えに僕は一瞬にして失望を感じていた。
 目の前にある疑いようもない女の身体を、情けない事に頭では拒絶していながらも僕の身体は求めるように反応していた。
 制御しようとして震える手が進藤の胸の膨らみを確かめるように動く。まるでもう一人の自分が動いているような錯覚さえあったが、僕は理性を総動員させることに成功した。
 Tシャツを元どおりにし、僕は進藤を解放する。
「……君とこんな関係になりたかった訳じゃない」
 言い訳のように口をついて出た言葉は、およそ僕らしくも男らしくもなかった。進藤が一瞬惚けた顔をしていたがやがて顔を真っ赤にして怒りだす。
「なんだよ、俺達付き合ってんだろ? お前にとって俺は何? どんな関係? 友人っていうならそんな目で見るなよ! 今時さぁ、キスとかもなくって付き合ってるって言えるのかよ? この、塔矢のホモ野郎!」
 手元にあったクッションを顔面に叩きつけられたかと思うと進藤は駆け出していた。
足音も荒く出ていく進藤を茫然と見送った僕は後悔の真っ只中にあった。
 確かに自分は男の進藤を愛していた。女だと知っても嬉しくなくて、それよりも進藤が女らしいの格好をするのが許せなかった。
 愛らしい姿、艶っぽい姿。それを他人が評価するのが耐えられなくてそして他人に見られるのが嫌で……。
 本当は心の奥底で女性であった事を歓迎していたのだろう。その方が自然であったし、ずっと進藤を愛し続ける事の大義名分を手に入れた事になるのだから。
 そして今は無理でも、女性としての進藤もいつしか愛せるだろうとも楽観していたのかもしれない。
 だが所詮は肉欲に支配されていただけだった。
 気持は中途半端なのに、身体は暴走しようとしていて、それでも進藤が異性だと思い出した瞬間に手が止まっていた。
 女性として尊重するならこんな形は望ましくないと思ったからか、それとも押し倒した身体が男でない事にショックを受けたからなのか。
 どちらかと問われれば後者に違いないと僕の顔は自嘲に歪む。
 呆然としたまま、とりあえずコーヒーメーカーを片付けていると緒方さんの走り書きのメッセージがあった。
『朝までごゆっくり』
 その意味するところを僕は瞬時に悟る。進藤を呼んだのは間違いなく彼だ。タクシーを呼んだと言っていたが、僕を家に帰すためのタクシーではなく、まさか進藤を乗せたタクシーだったとは……。
「緒方さんにしてやられたな」
 どんな展開を期待していたかは解らないが、きっと緒方さんの仕組んだ事なのだろう。
 それを誤解して進藤を責めてしまった自分の浅はかさが情けないと同時に進藤の半裸を思い出す。
 女性としてはまだ未熟なのだろうが、均整の取れた美しい身体だった。
 細いウエストには、男には無い柔らかなラインがあり、胸に至っては性差を顕らかに主張していた。
 女性としての進藤……。その魅力を他の男達は昔から見抜いていたのだろうか。
 まだ院生だった頃から多くの取り巻きに囲まれていて、当時は親しいグループなのだと思っていたが、あれらは全て彼女の信望者だったに違いない。
 また、初めての北斗杯での合宿で進藤に気に入られようとしていた社の態度を思い出す。あれが魅力的な女の子を前にした正常な男子の反応なのだろう。
 そして何よりも兄弟子、緒方精次の度が過ぎるとも思える進藤への親切心。その親しげな関係を何もないと思いたいのに疑いを払拭できなくて……。
 まさか、この気持ちは嫉妬なのか……? 僕が愛したのは女性ではなくて男の進藤だったのに?
 そんな……、まさか……。



 その後、進藤は男っぽい格好を一切しなくなった。
 マスカラやチークも用いてきちんと化粧をし、実年令以上に大人っぽく装うようになっていた。隙なく塗られたローズピンクの口紅はまるで武装しているかのように僕を遠ざける。
 たとえバンツ姿でも、丸いヒップラインと細いウエストを強調するような出で立ちで、いつしか噂は以前の何倍にも膨れ上がっていた。
 そんな進藤に戸惑っている間に、いつしか連絡が途絶えていた事に僕が気が付いたのは一ヵ月も経った頃だった。






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