スキャンダラスな彼女 4




 突然押し掛ければ迷惑であろうし、留守の可能性とてある。しかしそれを推し量る余裕はどこにもなかった。
 勿論そのツケは自分自身へと返ってくるのだから、僕だって学習していない訳ではない。
 ただ思い止まれなかっただけだ。
 案の定、僕は緒方さんの部屋の前で待つ事となるのだが、頭の中で棋譜を並べて時間をつぷす。
 その場に座り込むというのは、待っている者として失礼かと思い、結局立ったままで三時間を過ごした僕の目の前に現われた緒方さんは女性同伴であった。
 僕を誰だか解っているのか、
「お邪魔しちゃ悪かったのは私の方かしら?」
 女性はそう言うと次の約束をしないまま踵を返す。怒っているというような雰囲気ではなかった。
 ただ自分の立場をよく知っていて、碁打ちとしての緒方さんを優先させているだけで、予定が狂っても未練などはなさそうであった。
 どちらかというと緒方さんの方が残念そうな顔をしていたが、それを僕は気付かないふりをした。
 気まずい雰囲気があったが緒方さんはいつもの緒方さんに戻っていて、僕を部屋に招き入れてくれる。
 コーヒーを煎れてくれるというので大人しく待つが、その間もこの部屋に進藤の形跡がないかどうかを探してしまっていた。
 結局見つかったのは、囲碁関係の雑誌だけ。勿論家捜ししているわけではないから、簡単に見つかるはずなどないと僕はため息を吐いた。
 パラリと雑誌のページを捲ると見たことのある手書きの棋譜が何枚か挟まっていた。見覚えのある打ち筋、そして走り書きの日付の文字は独特のくせ字。
 それはこの部屋で唯一進藤を連想させる物。
 これだけで緒方さんと進藤の関係を疑う訳ではなかったが、僕の行動はかなりの間停止していたらしい。
「アキラくんならそれが何を意味するか解っているだろう?」
 おそらく緒方さんは『進藤の手書きの棋譜がここにあるというのは、それなりの関係なんだ』と言いたいのだろう。
 だが僕はそれを無視すると、にこやかに受け答えをする。
「いいえ、ただこの黒の打ち筋が稚拙だなぁと思っていただけですよ」
 緒方さんが示唆した通りこの白は進藤で、黒はおそらく酔った時の緒方さんだろう。白には昔の進藤が好んだ少し古風な打ち方が見られたし、黒には緒方さんのクセが見られたからすぐに解っていた。
 しかし僕はそれに気付いていないフリをして見せた上に、大人げないが緒方さんの打ち方を暗に『下手くそ』だと言ったのだ。勿論本心からではなく、緒方さんの仕掛ける心理戦に対抗しただけだ。
 だが、そんな僕の考えなど緒方さんにはお見通しだったらしい。
「言うようになったな、あの赤ん坊が……」
 大人の余裕とでもいうのだろうか。それとも想像の範疇内だったとでもいうのだろうか。
 おもむろに緒方さんが口を開く。
「進藤がどんな女かアキラ君も解っているだろうに。物好きだな」
 用件を話すまでもなく緒方さんは僕の来訪の目的を悟っていたのだろう。あんな女、君には相応しくない。と、言いながらも焚き付けるような兄弟子を僕が苦々しく思うのも当然のことだろう。
「進藤はそんな奴じゃありません」
 自信はないが僕はそう断言していた。
 本当はそんな奴でないと信じたいのに、否定出来る材料を緒方さんに求めたのが間違いだったのだろう。
 仮に緒方さんが鍵を握っていたとしても絶対に口を割る人ではないのだから。
「悪かった、好きな女の悪口を言われて良い気分はしないな。しかしアキラ君の用件がそれだけなら、悪いが俺はこれから出掛けてくる。送ってやれないから、タクシーを待つ間ゆっくりしていけばいい。鍵はちゃんと締めといてくれよ」
 鍵はスペアだから今度の機会に返してくれと言い残して緒方さんは出ていった。おそらくさっきの女性の所へ行くのだろう。
 出されたコーヒーを飲んで、片付けるぐらいはしておくべきだと思った僕は少し冷めてしまったコーヒーを口に運ぶ。
 苦みのあるコーヒーの二杯目。それを飲み干す間に僕は少し冷静になっていた。他人の噂話に振り回されるなんて僕らしくないではないかと……。
 僕が好きだった進藤。その進藤が噂どおりであるはずがない。
 他人の目を通してでない、自分の目で見た進藤を信じようと僕は考えていた。あの夜の格好だって聞けば良いのだ。遠目だったし、言葉を交わしたわけではない。他人の空似という可能性だってある。
 よく似た女性を進藤だと、緒方さんに担がれた可能性だってあるのだ。
 その緒方さんが出掛けてからかなりの時間が経過していた事もあり、気を取り直した僕がいそいそと片付けていると、玄関から鍵を開ける音がしたので一瞬手を止める。
 きっと緒方さんが戻ってきたに違いないと、振り返った視界にいたのは……。
「進藤…?」
 驚くことに、そこには進藤が立っていたのだ。ゆったりとしたジーンズ、Tシャツの上からシャツを羽織っただけの、いつもの姿……。
 こんな夜更けに一人で男の部屋に来るなんて普通では考えられないが、間違いなく進藤本人がいるのだ。
 一瞬にして、信じようとしていた決心が揺らぐ。
 その理由は簡単だ。
 何故なら、彼女は緒方さんのマンションの鍵を持っていたのだ。いくら世間知らずな僕でもそれが何を意味するか解る。
 緊張したような進藤。
 おそらく、ここに僕がいるとは思わなかったのだろう。
 僕と進藤の間には冷たい空気が流れていた……。





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