スキャンダラスな彼女 2




 今では塔矢門下といえば、筆頭として緒方精次の名が挙がる。それはやはりタイトルホルダーでもあるからだろうが、僕だって負けるつもりはないし、緒方さんも勝たせるつもりはないようだった、
 その証拠に緒方さんはどんな対局でも、全力で僕をねじ伏せようという態度を見せた。正月に挨拶にきて時間潰しにと一局打つ場合でも、おまけに酒が入っていたとしても彼はいつも全力だった。
 だから緒方さんが十段を防衛した時も(挑戦者は僕ではなかったが)祝賀会の三次会にまで僕を連れ回したことから、彼が僕に自分の優位を示したがっているのが感じられた。
 未成年の僕をわざわざ連れ回す行動に、悪意が含まれていたとしても彼の性格上有り得ることであろうと諦めもあった。
 だがしかし、長い付き合いなので多少のことでは動じない僕だったが、今回は流石に驚くしかなかった……。
 彼が行きつけにしているという銀座の一流スナック。
 そこの『ママ』が緒方さんと個人的な関係のある人物らしく、上客であるという扱いが初心者の僕にも伝わってくる。
 生演奏のピアノ。そしてオペラでも通用しそうなぐらい歌唱力のある歌い手。また客を接待する女性達に下品な所は微塵もなく、話に耳を傾け相槌を打つ様子は機知に富んでいなければ出来ない応対だった。
 VIP席だと案内されたそこは、他の客を見下ろす位置にあり、反対に言えば他の客からは見えない位置関係にあった。
 酒を飲めるわけでもなく、甘いフルーツ類にも魅力を感じない僕は烏龍茶のグラスを片手に、ふと見下ろした席に知っている人物を見付けて驚く事となる。
「……進藤?」
 短い髪の毛(世間ではショートカットというらしい)が綺麗に撫で付けられ、首の辺りで外向きにカールしている。前髪も金髪に変わりはないのだが、いつものセットとはまるで違う様子に見間違いかと思ったほどだ。
 おまけにホステスとして座っていれば、他人の空似だと思い込みたくなる僕の気持ちも解ってもらえるだろう。
 しかし、まさかと思い観察すればするほど進藤に間違いはなく、客の相手をし、グラスに水割りをつくる様子に僕は気が遠くなりそうだった。
 とりあえず、見なかった事にしようと視線を元にもどした僕は、ニヤリと笑みを浮かべている緒方さんと視線があってしまったのだ。
 その瞬間に僕は緒方さんがどうして未成年の僕をここに連れてきたのか、その理由を悟っていた。
「こっちはVIP専用の入り口から入ったし、下からはこっちが見えないから進藤の方は気が付いていないだろう?」
 僕が何を見ていたか知っていて、緒方さんはその様子を見て楽しんでいたのだろう。
「緒方さんは知っていて……」
 声が上擦ってしまうのを必死に隠しながらも、やはり動揺は隠しきれていなかった。
「当たり前じゃないか、いくらこの俺でもこんな面白い場面を偶然にセッティング出来る訳がないだろう?」
 楽しそうにグラスを傾ける緒方さんに僕は怒りを必死に耐えていた。こんな風にからかわれるのは我慢ならなかったが、一方では彼らしいと諦めていた。
「僕と進藤が付き合っている事も知っていて、ですか?」
 弱みというなら、それを突くのは攻撃として確かに有効だ。だから緒方さんのやり口を責めるつもりはなかった。
「自分の彼女が何をしているか、知っておいて損はないはずだろう? それとも、来月に控えた棋戦に影響するとでも?」
 彼は面白がっているのだ。悪気はないのだろうが、もしかしたら僕がショックを受ければ良いとでも思っているのかもしれない。
「彼女が何をしようが彼女の自由ですから」
 装うとした平静は不様にも装いきれず、余計に緒方さんを喜ばせる。
「ほう、ああして他の男に愛想を振り撒いているのを見て平気でいられるとは、アキラ君も中々器が大きい」
 そう言って差し出されたグラスの中身がアルコールだと知っていても僕はそれをあえて受け取った。
 初めて手を出した酒。ほろ苦い味は今の僕の気持ちそのままで、酒を飲んでも酔いきれなかった。
 彼女が僕の内の進藤を穢しているようで、勢いのままに焼け付くようなアルコールを胃に押し込む。
 どうして緒方さんは進藤の働いている店を知っていたのだろうか。いや、それよりもどうして進藤は緒方さんの知っている店で働いていたのだろう。
 偶然ではありえない。
 緒方さんが直接進藤から聞いたか、もしくは緒方さんがここを進藤に紹介したか……。おそらくは後者だろうと僕は酒のせいだけでない胃の焼け付く思いを味わっていた。
 それだけではない。
 この事が他の人間に知られたらどうなるだろう。進藤は勿論、付き合っている僕にだって影響が出るに違いない。
 スキャンダルはお断わりだ。
 後援会の耳にでも入ったら、進藤との付き合いにも横から口を挟まれるだろう。
 彼女を監視していれば、噂も下火になり、僕が好きになった進藤と大差無いと証明できるだろうと思っていたが、所詮、彼と彼女は違うのか。
 彼のイメージを崩したくないからという理由だけで見張るには、彼女を知らなさすぎたのか。
 水割りを作るにしても慣れた手つきの進藤。
 煙草に火を点けるときの媚びた笑顔。
 それらを見て僕は漸く悟る。
 やはり彼と彼女は別人なのだと……。



 それでも、彼女が気になるのはどうしてだろう。





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