スキャンダラスな彼女 1




 彼の名前は進藤ヒカル。いや彼ではない、彼女の間違いだ。
 しかし外見だけでは顔立ちの整った美少年ようで、その進藤ヒカルが僕の彼女となって、もうすぐ三ヵ月が経とうとしていた。
 彼女を誰にも渡したくなくて告白したのは僕だが、僕は彼女を愛してなどいなかった。
 何故なら僕が愛していたのは少年と思い込んでいた頃の進藤ヒカルだったからだ。
 ならば、どうして進藤に告白したか……。
 それは偏に独占欲からだ。
 僕が愛していた進藤と同じ顔をした彼女が、他の誰かのもの、もしくは共有するという事に耐えられなかったのだ。
 そもそも長い間、進藤を同性だと思っていた僕も間抜けなのだろうが、僕が好きだった彼はもういない。
 彼女だと気が付いたのは、プロに合格した進藤が女性として扱われていたからだ。
 それまでも進藤の制服姿を見た事はあるが、衣服まで意識していなかったのだから僕の観察力の御粗末さに笑ってしまう。
 あげくのはてには、進藤の恋の噂になる相手が男ばっかりだったので、世も末だと思っていたりもした。
 誑かされるほうも誑かすほうも常軌を逸しているなどと考えていたのだが、その時すでに僕は彼に恋をしていたのだろう。
 同性に対する恋情を持て余しつつあった頃に気が付いた誤解。諸手をあげて喜ぶべきなのに、素直に喜べなかったのは彼と彼女を同一視出来なかったからだ。
 そして、女性だという事に気が付いて散ってしまった初恋に、癒されない心を持て余していた僕の耳に進藤の噂は嫌でも入ってきた。
 次から次へと入ってくる噂は、どれも進藤の身持ちの悪さを嘲笑うもので僕は自然と進藤を避けるようになっていた。
 だからまさか進藤から告白されるとは思いも寄らず、顔を赤くして俯く進藤に僕は呆気に取られていた。
 付き合ってほしいと。どう思ってるかと。必死の様子の進藤に僕は嫌悪感が言葉に滲み出るのを隠せなかった。
「ライバルだと思っている」
 とっさにでた言葉は、一番無難な言葉であったがそれは進藤が期待する言葉ではなかった。
 大きな目を見開いて、何か言おうとしているのか、唇が震えている。きっと進藤は、は淡い期待を抱いていたのだろう。
 労わるどころか突放す僕の言葉は進藤を傷つけただろうが僕だって傷ついていたのだ。初めて愛した人は幻で、もうこの世にはいないだなんて……。
 ほどなくして進藤は手合いを休むようになり、噂は常に眉を顰められつつも囁かれるようになった。
 責任を感じて一度はその行動を窘めに行ったが、それは進藤の囲碁の才能を惜しんだからだ。
 その後、大方の予想に反して進藤は囲碁界へ復帰した。
 ライバルという言葉が互いを雁字搦めにしたのか、僕と進藤はお互いに避け、そして大人へと近付く間に進藤は変わっていった。
 綺麗になっという周囲の感想。
 出会った頃の少年らしさは見た目には無い。たまに見かける進藤は昔と大差ない格好をしていても、どこから見ても女性であった。
 そしてまだ若い女の身でありながら、頭角を現しつつある進藤に、感心よりも反感が悪意ある噂となってあらわれた。
 耳にした噂は、顕らかに捏ち上げと思われるものもあったが、それらは僕を焦燥の渦へと導いた。
 いつも僕が見かける進藤に、たいして変化はなかったが、淡い色の口紅に彩られた唇は噂に信憑性を与えた。
 夜の街で、はでなミニスカートのスーツを着て男と腕を組み歩いていたとか、友人が見かけたという間接的な目撃情報が飛びかった。
 棋院で誰かと立ち話をしているだけでも、新しい男が出来たとか囁かれ、大半の見解では院生試験に推薦したという緒方の愛人の一人だと信じられていた。
 また進藤と指導碁の契約を結べば、金額次第では別のいかがわしい事でも指導してくれるとか、色々な噂が飛びかっていた。
 嫌でも耳に入ってくるスキャンダル。
 それらの全てを信じている訳はなかったが、やっかみ半分のデタラメだと思っても僕は進藤を許せなかった。
 僕が好きになった進藤のイメージを壊さないでくれと身勝手な怒りに支配され、真偽を確かめる意味も有り、また、未だに進藤を忘れられなかった僕が取った道は……。
「僕と付き合ってくれないか」
 進藤から告白されて五年経ってからの僕からの告白。
 それは、色々な噂の流れる進藤に耐えられず、真偽を確かめる意味と監視する目的のためだけのものであって、僕は決して『彼女』を愛していたわけではなかった。
 『彼』のイメージが損なわれていくのを看過出来なかったのだ。
「いいけど、」
 言葉少なく頷く進藤。
 やはり以前僕がライバルとしてしか見ていないと言っただけに、どんな心境の変化があったのかと疑っているようだった。
 それでも進藤は僕の彼女となった。そして三ヵ月。以前となんら変わらない生活は、これからの変化を予想させはしなかった。
 デートと言っても碁会所で打つだけ。デートらしいデートなんてしないから、噂にあるような進藤の姿を見る事はなかった。
 こんな生活を繰り返していれば、根も葉もない噂ならいつか消えるだろう。少し大きめのトレーナーにジーンズ姿の彼女は、一人の棋士であって女ではなかった。
 昔の進藤と何一つ変わっていない、そう思って安心した。


 しかし五年という月日は、『人』を変えるには充分な時間だったらしい。




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