桜貝の歌



 カヤの木の碁盤に、碁石の音が響く。
 天井には豪華なシャンデリアが下げられ、腰掛けたソファは高級本革。ここはヒカルが週に一度指導碁として訪れる、とある会社社長の邸宅である。
 こうして指導碁を打ちながらも、ヒカルの脳裏には先日の塔矢の姿が焼き付いていた。
 あれから、二人で昼食を取り、そして日が落ちるまで碁を打ったのだが、塔矢に感じた違和感が頭の中から離れなかった。
 ほんの少し前から、塔矢の様子がおかしいという事は、いくら鈍感なヒカルも気が付いていた。
 けれど何がおかしいのか解らないから頭を悩ませる。
 目の前の黒と白の世界よりも難解で、ヒカルの思考は自然とそちらに傾いていく。
「……先生っ! 先生ってば」
 その集中力のあるヒカルの意識に飛び込んでくる呼び掛けは、今指導碁をしている少年の声。
「あっ、はい?」
 思考の淵にいたヒカルの意識が急激に浮上して、自分が長考しているうちに別の事を考えてしまっている事に気が付いた。
「やだなぁ、はいじゃ無いっしょ? 俺と打ってて他の事考えないでよ」
 少年が不機嫌そうに口を尖らせる。少年と言っても高校二年生ともなればもう子供らしい外見ではなく、どちらかというとヒカルの方が幼く見えるかもしれない。
「ごめん、ちょっと疲れててさ」
 言い訳をしてみるが、実際自分でも碁を打っているときに別の事を考えてしまうなんて信じられなかった。
 目の前の相手にも失礼な事だと思いヒカルは項垂れる。だが、少年は気にもかけない様子でヒカルに笑みを向けた。
「まぁ、考え事してるヒカル先生も綺麗だから良いけど」
 さらりと言われてしまって思わず聞き損ねかけたが……。
「綺麗?」
 と、言われたような記憶にヒカルは疑問符を投げ掛けた。今まで一度もそんな風に形容された事のない言葉。
 どちらかというとそれは佐為や塔矢に向けられるべき言葉だ。
 塔矢……。
 綺麗というよりも、凛々しいと表現すべきか? 
 そんな塔矢に考えが及び、ヒカルは胸の奥が詰まるような感覚に襲われる。 初めてのその感覚はヒカルを戸惑わせるのに十分すぎるものがあった。
 目の前の少年は、そんな物思いに耽るヒカルへと身を乗り出す。
「というか可愛いって感じかも」
 自分が揶揄されているのだと思い、ヒカルが不機嫌そうに碁石を置いた。
「普通、格好良いとかって言わない?」
 近頃何故か可愛いとか言われる事が多くて、ヒカル自身不思議で仕方がない。年を重ねて、男が可愛いなんてありえるはずが無いというのに。
 確かに幼い頃はアカリといつも一緒だったので、「可愛いお嬢ちゃん達」とは言われていた事はあるが、今は立派な社会人なのである。
 ヒカルのそんな考えを余所に少年は楽しげに話し掛ける。
「ダメダメ、先生すごく女顔だもん。さっきの物憂げな表情なんかホントそそるね」
 そう言って碁石を置く目の前の少年の姿が、先日の和谷の姿と重なって、そして次には自分の女装姿が思い出された。
『あの時塔矢が助けてくれたんだ』
 塔矢の腕の中に居た自分。あの時の安堵した思いは忘れようが無く、こうして今でも思い出してしまう。
 そんなヒカルに少年はサラリと口にする……。
「ねぇ、先生。今特定の人居ないなら、俺と付き合わない?」



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