桜貝の歌2




 ヒカルが自分の石を置こうとしたその瞬間の少年の言葉に、碁石は思惑とは違う場所へと陣取ってしまう。
「お前が変な事言うから、今の失着だよ。第一俺がいくら女顔だっていっても…。あっもしかして動揺させる作戦だな」
 突然の少年の申し出を冗談と受け取ったヒカルの言葉に、今度は少年の方が不満顔になる。
「えー俺マジだよ、男とか女とかどっちでも気にしないし。ほら男女雇用機会均等法ってやつ」
 さすが時期社長ともなれば、懐の広い言葉である。もちろん雇用関係にあれば大感激となるのだろうが、それとこれとは別の話である。
「それって、ちょっと違うだろー?」
 付き合うという言葉がその意味合いなら、磁石であればSとNである必要がある。つまり男には女であって、男に男というのは考えるにも及ばない、問題外な事なのである。
 そんなヒカルの考えを少年は一笑にふす。
「どうして? 恋愛にタブーは無いと思うけどな。年令とか国籍はもちろんの事、性別までね」
 柔軟な考えと思えば納得できるのだろうか? もちろんヒカルには理解しがたい事柄である。
 だが気を取り直し、ヒカルは少年に質問する。
「でも、どうして俺と付き合いたいなんて考えんの? 男同士メリットないじゃん」
 百歩譲って男同士付き合うとしよう。しかしそれでもなんらかの理由が、メリットというものが介在しなければ納得できない。
「メリットはあるけど、これ言ったらヒカル先生絶対に来てくれなくなるもん、秘密だよ秘密」
 思わせ振りに言葉を濁す少年。
 隠されれば知りたくなるのが人間というもので、それに関してヒカルも例外では無かった。
「話せよ、何を聞いても絶対に指導碁に来るって約束するから」
 そう断言したヒカルに少年は重い口を開き始めた。
「絶対怒ると思うんだけどなぁ……。」
 そう呟き、ヒカルの顔をじっと見つめる。そうしたかと思うと今度は恥ずかしそうに俯いて、また顔をあげるという行動を三度繰り返し、やっと明かされることになった。
「……あのさぁ、付き合うって事はヒカル先生とエッチ出来るって事じゃん?」
「えっ、出来るもんなの?」
 一瞬のうちにヒカルが反応したのは、「自分と」という事ではなく、それが可能なのかどうかという事にであった。
 そんな反応が面白かったのか、少年の緊張が解けて饒舌に拍車がかかる。
「俺、結構上手いよ、試してみる?」
 その悪戯っぽい表情から冗談だとは解るが、何故自分が性の対象になるのかは解らなかった。女顔で可愛いと思える相手ならそれが普通なのか?
 一瞬そこまで思考が飛んで、慌ててヒカルはその考えを否定した。
「あのなぁ、俺は男に興味無いって」
 女の子には多少興味があるが、今は囲碁の事で精一杯で女の子の事を考える時間が惜しかった。だが、それは男に興味があるという訳ではない。
 ヒカルの拒絶の言葉に少年は意味深な笑みを向ける。
「すごく残念。でもヒカル先生指導碁止めるって言わないでよね。二人っきりだからって押し倒したりしないから」
 ウインクしてヒカルを見つめる少年の姿から、『指導碁に来んの嫌になるかも……』と思った訳だが、ヒカルは引きつった笑いでなんとかその場を誤魔化すに止めたのだった。
* * * *

 その日ヒカルは夢を見た。
 いつものごとく、これが夢であると認識していたというのに。
 気が付くと塔矢が目の前に居た。至近距離という表現が最も適切であろうか。ヒカルの目線より少し上に、あの日の塔矢が居た。
 腰に回された手と、密着する身体。
 そして塔矢の視線が熱く絡み付く。
『進藤……。恋愛に禁忌という言葉は存在しないんだ』
 そして背中から腰にかけて、塔矢の手が淫らに這っていく。
『塔矢……』
 自分の呟いた声が、熱に浮かされたような響きを帯びていて、ヒカルは夢の中の自分が塔矢を求めている事に気が付く。
 そして、塔矢の手によって生まれたときと同じ姿となり、ヒカルの手も塔矢の背中へと回された。
 総毛立つような感覚の中で、身体は思い通りに動かず、どこかで冷静に見つめる自分がいる。
『これは夢なんだ!』
 ヒカルは夢から覚めようと必死に藻掻く。しかし塔矢に抱き締められた身体はその状態を甘んじている。
 甘く蕩けるような感覚をこのまま受け入れてしまいたい。そんな衝動を理性が撥ね付けて、漸くベッドの中の自分へと戻る事が出来た。
 全身が冷汗でじっとりとしていた。
 身体が反応していた事にショックも覚えたが、それ以上に自分が塔矢を恋愛可能対象として夢の中に存在させた事の方がショックだった。
 そしてあの時と同じ胸の高鳴り。
 あの時も自分は塔矢を恋愛対象として胸高鳴らせていたのか?
「俺……、塔矢の事……」
『恋愛対象として、みている……』
 気が付いてしまった想い。しかし、いくら塔矢を想っても所詮同性。
 ヒカルは同時に、この想いのやり場の無さにも気が付いてしまっていた。

 まだ明けきらない朝の光の中でヒカルは己れの膝を抱く。
 自然と肩が震えた……。


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