砂漠の風8




 ヒカルは温度を確かめるように足先だけを泉に浸す。
 夕暮の中で水温はまだ完全に冷えきってはいないが清涼感のある冷たさにヒカルは歓声を上げた。
「冷たいっ、気持ち良いっ、最高っっ」
 一歩進む度に深くなる泉にヒカルは勢い良く肩まで浸ると、両手で掬った水で顔を洗う。
『そんなに騒いだら塔矢に見つかりますよ』
 佐為がオロオロと水辺でヒカルに注意を促すのだが、
「大丈夫、大丈夫」
 と、ヒカルは汚れた身体を洗える事に意識を取られてしまい、佐為の言葉など真剣に聞く様子はなかった。
「何が大丈夫なの?」
 その声に振り返ったヒカルは視界にアキラを収めて、その態勢のまま固まってしまう。
 ほんの二・三分だったろうが、ヒカルの姿が見えないので探しにきたのだろう。
 そのアキラがヒカルを観察するような視線を送っている事に気が付いたヒカルは今更ながらに「ぎゃっ」と驚きの声を上げた。
「首まで浸かっても、透明度が高いから足の先まで丸見えだけど?」
 真っ赤になって水の中に身体を隠したヒカルだったが、恐る恐る水の中の自分を見ると確かにアキラの言うとおりで……。
「見るなっスケベ」
 手でバシャバシャと水面を荒らしているとアキラがゆっくりと近付いてくる。
「こんな見つかりやすいところで裸体になって、見てくださいって言ってるのかと思ったよ。それとも誘ってる?」
「バカッ、誰が誘うかっ、こらっそれ以上近付くな」
 一枚一枚脱ぎ捨てながら近付いてくるアキラにヒカルは逃げ場を求めて慌てて後に下がる。
 確かに水の透明度が高くて、男の身体など見慣れているとはいえどもアキラの欲望を顕にした姿に恥ずかしくなる。
 これ以上の後は更に深みになっていて退路は無いも同然の状態でどうやって逃げようかと思案しているうちにアキラが目の前にいた。
「捕まえた」
 アキラの腕の中で痛いほど抱き締められて、ヒカルは心臓が早すぎる運動をするのを自覚していた。
「逃げられたかと思った」
 らしくないアキラの声音。表情は見えないが、抱き締められた腕の強さにアキラの想いをヒカルは感じていた。
「……一ヵ月は居る約束だろ、逃げる訳ねーよ。それより離せよ」
 好意を向けられて悪い気はしないのは、きっと自分だけではないだろう。言葉では拒んでみてもアキラに抱き締められても不快感は一切無かった。
「もう少しだけ」
 囁くような切なく響くアキラの言葉にヒカルの身体から力が抜ける。
 このままずっと抱き締められていたいような気持ちに戸惑いを覚えていると、アキラはヒカルを離し踵を返すと岩陰の向こうに消えたのでヒカルは慌てて岸に戻る。
『まったく、ヒカルは……。あれほど止しなさいと言ったのに。自業自得というものですよ』
 佐為の言葉はヒカルの中を素通りしていく。今は何よりもアキラの事が気にかかっていた。
 新たに用意された布で急いで身体を隠すとヒカルはアキラを伺い見る。どうやら夕飯の準備中なのだろうが、手際の良さに思わず見惚れてしまう。
 さっきから痛いほど心臓が早鐘のように脈打って、ヒカルは思わず胸元を握り締めていた。
 もし自分も男として生きていたなら、異性をときめかせるような魅力があっただろうかと考えて、ヒカルは自分がアキラにときめいている事に気が付いたのだ。
 味の解らない夕飯を食べて、早々に就寝準備にとりかかる。
 二人きりのテントはいつもと違ってひどく狭く感じられ、吐息さえも間近で感じられるようであった。
 遅れて入ってきたアキラが傍らで衣服を脱いでいくのに、ヒカルは背を向ける。
「なっ何にもしないだろうな」
 沈黙が恐くなって、アキラを牽制するヒカルだったが、アキラは先程の事など無かった事のように優しく答える。
「君から誘われない限りは大丈夫だよ」
 その言葉にほっとしつつも心のどこかで、アキラが強引な態度に出たなら自分はどうしただろうかとヒカルは考えて、慌ててそんな仮定を否定する。
「誰が誘うかっ」
 隣で横たわったアキラを全身でを拒否して見せるが、細胞のすべてが拒否している訳ではなく、意志統一のされない自分を不可解に思いつつヒカルは無言を貫く。
『ヒカル、ヒカル……。どうしたのですか、何か考え事ですか』
『佐為、俺……』
 今の感情をうまく説明できなくてヒカルは黙り込む。アキラに対して感じるこの気持ちは単なる憧れでない事は解る。
 ではそれが一体何を意味するのかと考えても答えは一向に出てこない。そのままヒカルは眠りについたのだった。




 その次に目が覚めたのはアキラに名を呼ばれ起こされたからだ。
「進藤、起きないとキスするよ?」
 止めの一言に慌てて起きるとアキラはすでに衣服を身につけていて、相変わらずの涼しい笑みを浮かべている。
 辺りはまだ暗く、ヒカルはそれ幸いとばかりに手早く着替えを済ませると先にテントから出ていったアキラの後を追った。
 促されるままに馬に乗せられて、ヒカルとアキラは砂漠に出る。
 周囲を遮るものの無い場所までくると同時に水平線が黄金の糸を紡ぎだす。まだ暗い空を温かく包み込むように光が満ちていく瞬間はまさに恵みだった。



 隣で太陽の恵みを受けて照らしだされるアキラの横顔を見たその瞬間。ヒカルは自分の中で何かが変わっている事を痛い程に自覚していた。




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