砂漠の風6




「これ、あっちに持っていくんだよね」
 山羊の乳を入れた器は大人でもやっと持てるぐらいの重さがあったがヒカルは軽々と持ち上げる。
 村に居たときは男のふりをしていたので自然と鍛えられていたらしい。
「あら、ヒカルさんごめんなさいね」
 アキラの母親の明子が申し訳なさそうにヒカルに謝る。
「だって俺、暇だし」
 アキラとの約束も一週間が過ぎた。
 一日中する事がなくてぶらぶらとしていたのだが、そうするとアキラがまとわりついてくるので、女達の仕事場でヒカルは時間を潰すようになったのだ。
「おばさん、これ火にかけるんだよね」
 明子に声をかけると彼女は一旦手を止めて、少し憤慨したふりをして見せる。
「義理とはいえ親子になるんだから、お義母さんって呼んでほしいわ」
 笑いながらなので、怒っている訳ではない。
 ヒカルにしてみれば、あと三週間もしたら出ていくだけに少し心苦しい。しかし佐為を元に戻し、自分も男に戻る旅に出なければならないのだ。
「でもヒカルさんみたいな可愛い子が息子の嫁で嬉しいわ」
 本当なら明子自身もっと子を産みたかったらしいのだが、アキラを産んで身体を壊したのだという。
 また行洋も明子しか妻を娶らなかったために、自然とアキラに期待が寄せられているのだろう。
「はぁ……」
 可愛いと言われ、さらに期待されてヒカルは心苦しく思いつつ言葉を濁す。そんなヒカルをよそに明子は大仰に溜め息をついてみせた。
「本当ならお祝いを盛大にしてあげたいのよ。でも行洋さんが病気を患ったばかりだから、祝い事は三ヵ月控えなければならないのよね」
 心の臓を患ったらしく、今も療養生活を送っている『頭領』とはまだ顔を合わせた事はないが、ヒカルはどれほど厳しい男がこの渡り集団のリーダーなのだろうと少し興味があった。
 そしてそのおかげで正式にアキラの伴侶となるのは三ヵ月後だという。
 しかし、実質は同じ部屋でアキラのセクハラに耐えつつ過ごしているのだから釈然としない。
 いっそ三ヵ月後まで部屋を別にしてもらいたいと申し出しようとしたのだが、アキラが首を縦に振らなかったのである。
 あのっ、ドスケベ塔矢がっ!とヒカルが拳を握る背後で、そのアキラの笑い声が聞こえる。
「でも結婚の儀式だけの話でしょう、お母さん。特に仕事がなければ進藤を借りても良いですか?」
 実質婚までは規制されていないとアキラは言いたいらしく、意味ありげな視線でヒカルをみつめる。
『ヒカル! 断るんですっ!!』
 佐為も不穏な雰囲気を感じたのか、断固拒否の姿勢を取っている。
「ダメ、俺これからバター作るんだからっ」
 仕事中にわざわざ顔を見せにくるなんて、絶対にろくでもない用に違いない。しかし明子はにっこり微笑むとヒカルの持っていた器を奪い床に置く。
「良いわよ。もしかしてデートなのかしら? 私、早く孫の顔が見たいから、アキラさん頑張ってね」
 それもたくさんよ、たくさん。等と付け加えた明子にヒカルも佐為もフリーズしてしまう。
『子が子なら、親も親ですぅ』
 結婚すらしていないのに頑張れとはどういう事だと、佐為が目元を手で隠す。ヒカルも何と言って良いのか解らなくて開いた口が塞がらなかった。
「楽しみにしておいてください」
「こらっ!!」
 意気揚揚と答えたアキラはヒカルの怒声に動じる事無く、その手をヒカルの細い腰へと回すと、作業場を後にする。
 背後から女達の冷かす声が聞こえてヒカルは頬を赤く染め、佐為はひたすら不憫がるのであった。






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