砂漠の風4
複雑に骨組みしたテントは動物の革で囲まれているうえに何室にも仕切られていてヒカルは重い革の仕切りをやっとの事で持ち上げる。 なぜか緒方は追ってくる様子はない。どうせ逃げられないとでも思っているのだろう。 ヒカルは自分の荷物を見付けるとそれを掴む。表に出れば馬も居るだろうしそれを失敬するつもりだった。 外に出るには? と一瞬足を止めたヒカルの耳が足音を捉える。顕らかな人の気配にヒカルの動きが止まった。 『見つかった?』 無意識にヒカルの身体が震えだす。 「緒方さんっ!、あれほど必要は無いと言ったのに僕の伴侶として攫ってきたらしいですね! すぐに帰してやってください!!」 その台詞とともにヒカルの目の前に現れた少年。荒くれ者の多い渡りの中で生活していて、これ程までに貴公子然とした容貌は珍しい。漆黒の癖のない髪が顎のラインまで伸ばされている。 その少年が渡りの塔矢一家の一人息子なのだとヒカルは推測し、事実それは正しかった。 「男の子?」 自分の目の前に探していた緒方ではなく、かろうじて布を被っただけの少年がいたことに驚いたらしく、少年の動きが止まっていた。 勿論ヒカルもである。 「やぁ、アキラくん丁度良いとこへ。これが俺が見付けてきた君の花嫁の進藤ヒカルだ」 お見合い状態で二人が動けずにいるところへ、緒方が絶妙なタイミングで現れる。 「花嫁って? 彼が……?」 アキラがヒカルの顔を凝視する。 その目に映るのは珍しい髪の色、勝ち気そうな大きな瞳。女の子と言われればそうかもしれないと納得しかけたアキラの目の前で、なんと緒方はヒカルの身体を隠していた布を取り上げたのだ。 一瞬何が起こったのか解らなかったが、見ず知らずのアキラの目の前でヒカルは全裸にされていた。 「まだ発育は不十分だが、立派な女だろう?」 無造作に緒方の手がヒカルの小さな胸を掴む。 「形も色もアキラくん好みだと良いんだが?」 ヒカルは動けなかった。 突然に起こった事で本当に動けなかったのだ。 仄暗い照明の中とはいえども、自分が二人の男の目の前で情けなく裸体を晒しているという事に気が付きたくなかったのかもしれない。 「何なら全身確かめてみるか?」 緒方の手がウエストを伝い、下に行こうとした事でやっとヒカルは自分を取り戻す。 「やめろっ!」 手を振り払い、緒方を殴ろうとしたヒカルだったが、それよりも先に頭から布を被せられ身体が傾ぐ。 「緒方さん! 女の子になんて事をするんですか! 仮にも僕の花嫁として連れてきたんでしょう? それ以上辱める事は僕が許しません」 ヒカルの目の前にアキラの顔があり、意外と広い胸の中に匿われたらしいと理解する。 事実、アキラがヒカルの裸体を布で隠して緒方から引き離したのだ。 「ふっ、俺とした事が……。アキラくん、彼女は君の物だ。好きにすると良い」 緒方はそう言うと二人の前から姿を消す。そしてアキラはおもむろに口を開いた。 「僕は塔矢アキラ。悪かったね、緒方さんも僕を心配してくれてやった事なんだ。君はちゃんと帰してあげるから許してくれる?」 そんなに身長差は無いように見受けられたのに、こうして抱き締められたままでいると自分よりもアキラの方が10センチは高い。 「……」 その時ヒカルはこれからの自分の身の処遇を案じるよりも、同じ年のアキラが男として成長している事に軽い嫉妬を覚えていた。 ヒカルが黙っているのを、恥ずかしがっているのだとアキラは誤解したらしく、慌ててヒカルを自由にする。 「まず、服を着て。じゃないと目の毒だよ。それから話をしよう」 アキラはヒカルを安心させるように微笑むと後を向く。ヒカルも急いで自分の服を身に纏いはじめた。 『良かったですね、ヒカル。一時はどうなるかと』 『ホント情けないなぁ佐為は。けどこいつ結構良い奴じゃん』 ヒカルの身に危険があっても、手を貸せない佐為はアキラの登場でようやく安堵する。確かにヒカルの目から見てもアキラは無体するような輩には見えない。 「もう良いぜ」 今度は簡単に脱がせられないよう、留め具を使いつつヒカルは身仕度を整えていて、ゆっくりと振り向いたアキラは一瞬息を飲んだ。 「こんなに可愛いかったんだ……。残念だよ。君みたいな子を伴侶にしたかったな」 アキラのその言葉にヒカルの頬が染まる。 男に可愛いと誉められて嬉しいはずはないというのに何故かときめく心を押さえられない。 「塔矢……」 本当に端正な顔をした凛々しい少年だとヒカルは思う。それでいて体付きはなよなよした所が無い。きっとどきどきするのは単なる憧れなのだろうとヒカルは結論付けていた。 一方のアキラはそっとヒカルの両肩に手を置くと真摯な眼差しでヒカルを見つめた。 「ねぇ、君は必ず帰すと約束する。その前に僕と一ヵ月一緒に居てくれないか? それでもし、僕の事を好きになってくれたら……」 僕の伴侶になって欲しい。 アキラの突然の申し出にヒカルは一瞬驚いたものの思わず口にしていた。 「指一本触れないって誓える?」 『ヒカル駄目ですっ』 ヒカルの内で佐為の激しい抗議の声が上がる。しかしヒカルは佐為に反論したのだ。 『だって今すぐ放り出されたら俺また倒れるぜ? 一ヵ月の間に体力つけて、で馬を貰って旅に出るってどう?』 正直言って、女の身体で砂漠の旅は辛い。村を出る時も逃げるように飛び出てきたので準備は不完全。 塔矢アキラのこの様子だと自分に好意を抱いているようだから、頼めば何なりとしてくれるだろう。 決して塔矢アキラ自身に惹かれたという理由ではない。 『あぁ、ヒカルも悪に手を染めて……』 『世渡り上手って言え!』 ヒカルの考えに佐為は諸手を挙げてとは言わないが一応は賛成する。自分が直接ヒカルを助けられるのは実体化する満月の日だけ。ヒカルの身を案じるのなら、賛成するしか方法がなかったのだ。 そして佐為を説得する僅かな間もアキラはヒカルを見つめ続けていた。先程の姿が目に焼き付いている今、手を出さないと約束するのは彼にとって断腸の思いだったのかもしれない。アキラはゆっくりと言葉を紡いでいく。 「……誓うよ。そういう意味で触ったりしない。でも今これだけは許して」 アキラはそう言うと肩に置いた手を己れの方に引き寄せ、そしてヒカルの愛らしい唇を奪う。 「んんっ」 必死に逃れようとしても力の差は歴然としていて必死に押し戻そうとするヒカルの努力は水泡に帰した。 「……契約の、キスだよ」 一ヵ月一緒に暮らしてくれれば自由にすると改めて誓うアキラだったが、一方のヒカルはわなわなと震えていた。 なんて事するんだ! と怒鳴ろうとしたのだが身体に力が入らない。 『舌、入れられた……』 『ヒカル!! 今すぐひっぱたいておやりなさいっ!』 佐為が急かしてもヒカルはどうする事も出来ず、『用意を整えてくるよ』と言って背を向けたアキラを見送る事しか出来なかった。 一ヵ月の生活の始まりだった。 |