砂漠の風2
衝撃の事件から三年。 日常では強い太陽光線を避けるべく素肌が露出した衣裳は身に纏う事はない。 足首まで届くローブさながらの布は一枚の布を器用に巻き付けたもので、成長に合わせての調整は着方一つという利便性がある。 つまり着方次第で、ヒカルの身体が女性へと熟れていく過程をすっかり隠してしまったのである。 しかしこれ以上騙し続ける事は難しい。 今までばれなかったのは、ヒカルは男だという先入観だけにすぎない。 ウエストのくびれも胸の膨らみも、まだ完全とは言えないまでも男としては不自然だ。実際ヒカルを初めて見る人間は女の子だと思った程なのだ。 唯一男だと証明出来るのは、空に浮かぶ月が満ちた時だけ。 その時は、月の引力の生み出すエネルギーのためか、佐為の精神力が増幅、維持されるらしく、意図せずとも佐為自身ヒカルから分離してしまうのでヒカルは男の姿へと戻る事が出来たのだ。 ただしその時は佐為はヒカルの内に潜む事が出来ないうえに、誰の目にも見えてしまうので隠れるために骨を折った。 ヒカルもその時ばかりはわざと肌を出して男だという事を主張していたのだが、その身体を見るたびに一抹の虚しさを覚えるのだった。 綱渡り状態で三年。 ヒカルは成人と言われる15才になったのだが、15になれば伴侶を決めなければならないという慣習があり、今まさに綱は切られようとしていた。 親が決めた幼なじみの藤崎あかり。 ヒカルも彼女と結婚すべきと幼い頃から教えられ、疑わずに育ってきた。 しかしヒカルの身体はあかりと同じもので、たとえ月に一度だけ男の姿になるとはいえども夫婦ともなればばれないはずがない。 月が満月になるときにだけ床をともにするというのも不自然である。 「まったく、あれから三年だぜ?」 空に浮かぶ満月を見ながらヒカルはため息をついた。 隣には実体をともなった佐為の姿がある。 「こうなったら女として過ごして、一月に一度姿を隠すほうがヒカルのためなんじゃないですか?」 男の身体になったヒカルを見ても、とてもその年頃の少年には見えない。ヒカルの望んだように父親には似なかったのだろう。 もう少し成長すれば判らないが、今は中性的な雰囲気を纏っている。大きな瞳と愛らしい唇が、月明かりの下で儚く見えた。 「で、俺は誰かの嫁になる訳?」 そんな事冗談でも言うなとヒカルは佐為を睨む。 もし女になったとしても、今の苦労となんら変わるものはないし、元に戻った時にどうしたら良いのだ? 実は男でした。という訳にはいかないだろう。 それに例え女として生きていくにしても心は男なのだ。 「客観的に意見を言うなら、ヒカル。貴方は大人に近付きつつあるのでもう誤魔化しきれません」 ヒカルは気が付いていないだろうが、少年と解っていてもヒカルに惹かれる男達の視線を佐為は気が付いていた。 実際女の子としての魅力が隠しきれなくなっているのだからそれも仕方のない事だろうが、このままだとヒカルの身に危険が及ばないとも限らない。 「もし、ヒカルが男でも良いという輩に襲われた時どうしますか?」 佐為の言葉をヒカルは真剣に受けとめていないのか、肩を竦めて笑ってみせる。 「まさか、そんなバカ居ないだろ?」 自分の魅力に気が付かないのはおそらくヒカルだけだろう。佐為はなおも続ける。 「じゃあこのままあかりちゃんと伴侶になる気ですか? 月に一度じゃそれこそ彼女に対する侮辱でしょう?」 ヒカルが一番頭を悩ませている事を佐為は核心を付いたように言葉にした。彼女との結婚は避けられない、避ける理由がないのだ。 「15になって伴侶がいなけりゃ不能者として村から追い出されるしなぁ。こうなったら自分から出るしかないか」 つまらない慣習だとは思うが、ずっと大昔に子供が減少していく歯止めのために強制的に15で伴侶を決めるようにしたらしい。 大人になりきれていない年令でもあるため、村から追い出されるのは辛い選択だったし、生まれた時から15で伴侶を決めるものだと教えられて育った身ではその理不尽に気が付かなかったのだ。 「ヒカル?」 村から出ていくというヒカルの選択に佐為の言葉が不安に震える。 「だってさ、女で生きてくにも男で生きてくにも無理があるしさ。佐為を元に戻す方法も探しに行くって事で」 いつも前向きなヒカルらしい言葉だったが、ヒカルよりは世間を知っている佐為は驚きと不安にかられていた。 「でもヒカルの身体は女の子なんですよ。この辺りは緑も水もなんとかありますが、周辺は砂漠化が進んでいるという話じゃないですか。無理ですよ」 自分がヒカルから離れたままで意識を霧散すれば、きっとヒカルは男の姿に戻れるに違いない。 この三年の間に佐為は元に戻りたいという気持ちよりもヒカルを優先させたいという心境に達していた。 だが、それを止めたのはヒカルだった。 「お前が消えるってのはナシだぜ? それでもし元に戻らなかったら俺は一人で耐えられないからな。確実に元に戻れるっていうんじゃなきゃ嫌だから」 優しいヒカルの言葉につい甘えてしまう自分を恥じて佐為は顔を背けた。 美しい整った顔が苦悩に歪むの見ながら、ヒカルは明るい口調で佐為を励ます。 「男のフリするのも難しくなってんだろ? それに俺にはお前が居るんだし。なんとかなるさ」 こうして人知れずヒカルは旅に出たのだが、心は男のものでも身体はか弱い女の身。 苛酷な気象条件の砂漠に出る事がどれほど危険なことか。 氷点下になる気温。砂混じりの風は容赦なくヒカルを襲う。 岩肌を削るように、掘られた信仰の対象。巨大な魔崖仏の傍で風だけでも避けようと座り込んだものの、昼間の日差しと夜の寒暖差は容赦なくヒカルから体力を削り取っていった。 途切れ途切れになる意識で下で佐為が励まし続けていたがその声も遠くなりはじめる。 『やばいかも……』 ふと目を開けると、ヒカルの視界に四本足の生き物が目に入る。馬と呼ばれる砂漠の生き物で、長い体毛が特徴の野生種は絶滅したという人間の家畜。 つまり人がいるのだと顔をあげるヒカルの視界に男の顔があった。 「嫌なものを見付けた」 ゴミが視界に入ったと言わんばかりに吐き捨てる色素の薄い男。きっとその性根も薄情なのだろう。 眼鏡と呼ばれる貴重品を身につけている事から、人を助ける余力というか財力はあるだろうとヒカルは推測した。 「あのさ、通りがかった以上助けてくれても罰は当たらないと思うけどな」 ヒカルは擦れる声で助けを求めるが男はその言葉を鼻で笑ってみせた。 「口の減らないガキだな。お荷物になる物を拾うつもりはないが、見捨てても目覚めが悪いか」 馬に乗ったままの男に水を差し出されたヒカルはそれで喉を潤す。 「ん? お前の名前は?」 ヒカルの姿をまじまじと見つめていた男はヒカルに名を問う。 「俺、進藤ヒカル。あんたは?」 「緒方だ」 必要最低限の事だけ言葉にすると緒方はヒカルに手をのばす。 「ひゃあっ」 上半身の布を剥ぎ取られたヒカルは緒方と名乗った男の唐突な行為に悲鳴をあげていた。 流石に女の子を三年もやっていれば多少は恥じらいも覚える。胸を隠すようにヒカルは蹲ろうとしたのだが緒方がそれを阻んだのだった。 「確かに女だな、胸は小さいが形も色も良い。見たところ処女だな?」 肩で止めるデザインで巻き付けた布は着やすいと同時に脱がしやすくて緒方は露になったヒカルの上半身を見てニヤリと笑みを浮かべた。 『まさか? 襲われるのか?』 恥ずかしさにヒカルが動けずにいると緒方は服を元どおりにしてヒカルを馬に引き上げる。そして手綱で馬の方向を変えて走りだした。 「俺をどこへ連れていくんだよっ」 暴れながらのヒカルの抗議を緒方は一蹴する。 「女が一人で旅をすれば大概はお前みたいな羽目になる」 心底楽しそうに緒方が笑うのでヒカルは不愉快だった。 「訳わかんねーよっ」 ヒカルが強がっているのだと推測した緒方は声を立てて笑っていた。 「つまり、お前が女で俺が男だということだ」 そこまで噛み砕いた説明にヒカルが今更ながらに驚く。 「えええっ!?」 『あぁヒカル〜。だから私は止めたのに』 佐為が後悔の声をあげる。 『花ならまだ蕾のヒカルが咲く事無く無残に散らされるさまに立ち合うなんて!』 『縁起でもない、気色悪い事言うな、バカっ』 佐為の言葉を遮ったものの砂漠の砂混じりの風は遮れずにヒカルが顔を顰めると緒方はヒカルをより一層強く抱き締めた。 大人の男に抱き締められ、これから先に起こりうる事態を憂慮するより、ヒカルは純粋に羨ましかった。 自分がなれないかもしれない男の身体。抱き締められるとその温かさと助かったという思いがヒカルの意識を遥か遠くに追いやったのだった。 |