砂漠の風14




 制止するヒカルの声までも切るように、アキラが振り下ろした剣はヒカルの持つ手綱を切断し馬への制御を失わせる事に成功する。
「僕から逃げるなんて許さない!」
 バランスを崩すヒカルの腕をアキラは強引に引っ張り、その細腕のどこにそんな力があったのか自分が乗る馬へとヒカルを導く。
 器用に刀を腰の柄にしまい、ヒカルを片腕で支えながらもアキラは憎き恋敵からヒカルを取り戻したと佐為を一瞥する。
 アキラから勝利宣言とも言える視線を浴びつつ、佐為は素早く切れた手綱を握るが二人分の体重から解放された馬は佐為の事などおかまいなしに暴走を始めていた。
「佐為! 助けて!」
 男と逃げたと勘違いしているアキラは絶対に自分を許しはしないだろう。
 それでなくとも彼は『塔矢』の跡取りなのだ。花嫁が逃げるという醜態を甘んじて受けるはずがない。
 今までの生活でアキラの強引さはよく知っている。
 無理矢理に花嫁の一人にさせられるか、拒み続けるなら最悪の場合、病死として片付けられるはめになるかもしれない。
 なんとか馬上で態勢を整えた佐為に、ヒカルは助けを求める。
「ヒカル!」
 佐為もまたヒカルに向かって手を伸ばすのだが、並走する馬からヒカルを奪い返すなどという芸当は不可能に近い。
 それどころか月に一度の肉体は扱いづらいうえに、馬などという生き物を扱う術は特別に学んだわけではない。
 馬個体の力差もあったがアキラの手綱裁きは巧みで、佐為とアキラの馬の距離がみるみる内に開く。
「ヒカル!」
「佐為ーっ!」
 互いを求め呼ぶ声は砂漠の風にかき消され、やがてヒカルの視界から佐為の姿が消えた。
 唯一視認出来た砂煙ももう見えない。きっと佐為からも見えないことだろう。
「降ろせよ! 俺は荷物じゃないんだぞっ」
 無体な扱いに抗議するヒカルをアキラは強い視線で睨む。
「舌を噛みたくなかったら黙っておとなしくしているんだな」
 その口調だけではない。
 アキラがこんなにも荒々しいとは思ってもみなかったヒカルは驚愕と共に唇を噛み締める。
「ちくしょー、佐為ーっ」
 ヒカルがどれだけ目を凝らしてみても佐為の姿は見えなかった。
 あのか弱い佐為がこんな砂漠に放り出され、どれほど心細い思いをしているだろうかと考えて、ヒカルは一刻も早く佐為と再会したいと切望する。
 女の姿でいる時の自分よりも美しい髪と手をした佐為。それでなくとも月に一度だけの身体に馬など乗りこなせるはずがないのだ。
「…そんなにあの男が愛しいのか?」
 苛立ち交じりのアキラ。
 あれだけ自分達はアキラが考えるような関係でないと主張したというのに信じようとしないアキラにヒカルは腹が立ってくる。
 だから……。
「お前と違って佐為は紳士だからなっ」
 ヒカルはわざと誤解させるような言葉をアキラに投げ付けていた。
 冷たいアキラの表情が一層冷たくなる。
「欲しいものは奪う。それが砂漠の掟。進藤は絶対に僕のものにする」
 馬をより速く走らせて、アキラは佐為に追い付かれまいと鞭をふるう。ヒカルはその速さに振り落とされないようにと必死にアキラにしがみ付く。
 降ろせと言いながらしがみ付いてくるヒカルをアキラは嘲笑するかのように見下ろす。
 その視線にヒカルは思わず叫んでいた。
「俺はお前なんか大嫌いなんだよっ」
 しかし叫んだヒカル自身その言葉が嘘だと解っていた。
 アキラに抱かれても良いと思うぐらいに好きになって、逃げ出した今もその気持ちは変わらない。
 その上、アキラが花嫁をヒカル一人にだけするつもりであったと告白してから、ヒカルの想いは増すばかり。
 けれども……。
 どんなにアキラに求められようとも、ヒカルは絶対にアキラのものになる訳にはいかなかった。
 アキラを信じる事が出来ずに逃げ出した自分……。あのままアキラの伴侶として留まっていれば幸せになれたのだろう。
 だが、もう後戻りは出来ない。
 たとえアキラに殺されようとも。
 たとえ自分がアキラを殺めようとも。


 ヒカルは逃げ出す手段として、どんな手でも使ってやると決心して腰に結わえてある短剣へと手をのばした……。




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