砂漠の風13




 話し込むヒカルと佐為の二人が、背後から足音もなく人影が迫るのに気が付かなかったとしてもそれは仕方がない事だろう。
 砂漠を渡る人間にとって気配を消すなど造作もないことなのだ。
 月を背にしていたため、ヒカルは第三者の影が近付いてくる事によって、やっとその存在に気が付いた。
 ヒカルが警戒して振り向くより早く声がかかる。
「やはりここだったか。逃げるにはこの岩場は好都合だからな」
 もう二度と会うつもりのなかったアキラの声にヒカルは驚きと共に振り返る。
「まさか……、塔矢?」
 どうしてここにいるのだろうかと、何故自分を追ってきたのかというヒカルの疑問に、アキラは皮肉交じりの表情を浮かべていた。
「進藤。君も馬が渡りの者達にとって貴重な財産だと知っているだろう?」
 そのアキラの言葉に、自分を追ってきたのではないと知ったヒカルは唇を噛む。やはりアキラが求めているのは自分ではないのだ。
「悪かったよ、勝手に馬を盗って。返すからさっさと消えろよ」
 自暴自棄なまでにヒカルは言い捨てる。
 馬が無ければ充分な旅の準備をしていないヒカルと佐為にとって命に関わるが、そんな事よりもアキラを早く追い返したかったのだ。
 満月という月夜であったが、互いの微妙な表情や姿ははっきりと見てとれない。それでもアキラの怒りは痛い程に伝わってくる。
「馬だけじゃない。まさか君が男と逃げるとは思ってもみなかったよ」
 怒りと悲しみを綯い交ぜにしたようなアキラの口調にヒカルは息を飲む。
「佐為とは違う、そんなんじゃない!」
 まさかアキラの元から逃げた理由が、『男と逃げるため』であろうはずがなくて、ヒカルは必死になって否定する。
「そうです、私達は一人の人間なんです!」
 誤解されたヒカルを弁護するように佐為も説明するのだがアキラが二人の言葉を信じていない事は一目瞭然であった。
「二人で一人か……。すごい告白だな」
 ヒカルと佐為の言葉はアキラには白々しく聞こえたのか、もしくは言い訳にしか聞こえなかったのか。
「佐為のバカっ、あのな塔矢、俺達そんなんじゃなくて」
 ヒカルが必死になって否定すればするほどアキラはヒカルが佐為と逃げたのだと確信を深めたようであった。
「言い訳は良いよ。処女とかどうでも良かった。緒方さんに抱かれたと知っても君を花嫁にしたかった」
 そう告白するアキラにヒカルの眼が細められる。
「…花嫁の一人にだろ」
 自分はあの時のアキラの言葉を聞いているのだ。特に望んだわけでもない、ただの頭数として必要だっただけの花嫁に誰がなりたいだろうか。
 冷たく指摘するヒカルにアキラは頭を振って否定する。
「違う、君だけにするつもりだった」
「塔矢……」
 アキラの悲しそうな声音は真摯であり、ヒカルを見つめる瞳の色は真実を物語っているように見えた。
 だがしかし……。
「でも君は、男を通わせて逃げたんだ!」
 それまで紳士的な態度であったアキラが急に口調を荒げ、まるで射抜くようなきつい視線がヒカルと佐為に注がれる。
 アキラの手がゆっくりと腰に下げられていた長剣へと伸びて、ヒカルはアキラの怒りの深さと命の危険を知る。
 虚仮にされたと信じているアキラには、おそらくどんな説得も通じないだろう。
「佐為、逃げるぞ!」
「待ってください、ヒカル!」
 ヒカルは持ち前の俊敏さで、佐為の手を取ると馬まで一目散に走り鞍へと飛び乗る。続いて佐為を引っ張り上げると全速力で馬を走らせていた。
 充分に休んだ馬は風のように疾走する。
 しかし所詮は慣れない馬の扱いであり、二人分の体重は馬の力を奪う。
「ヒカル! もっと早く!」
 佐為が後を振り向くと、砂煙が近付いているうえに、月明かりに照らされた刀剣が血に飢えた魔物のようにぎらついていた。
 ヒカルに近付くために遠くに馬を置いてあったのだろうが、それを取りに戻ってでもこの距離しか離れていないのだ。
 さすがに砂漠を渡る民だけはあって、アキラの機動力は目を見張るものがあった。
 次第に距離が縮まり、二頭の馬が並走する。
「彼女は僕のものだ!」
 アキラはそう言うなり長剣を振り下ろそうと上段に構えたので、ヒカルは間合いに入らないように馬を離そうと手綱を捌く。
 しかし難なく間は縮まり、ヒカルの視界には月の明かりを受けた銀の刃が怜悧な光を放つ。
「やめろ、塔矢!」
 振り下ろされた長剣に、ヒカルは叫び声を上げる。


 しかしその声は砂漠の風にかき消されるのであった……。





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