砂漠の風1




 荒涼とした岩肌の大地。
 以前に栄えたという文明は跡形もなく、ただ不毛な土地だけが過去の過ちを示していた。
 それでも人々は僅かな緑と水を恵みとし生を繋ぎ逞しく生きている。
 周囲を海に囲まれた小さな島国のここでは、大陸からの援助無しには立ち行かないのが現実だったが、それでも自給自足で辛うじて生きてはいける。
 小さな集落ごとに助け合い、土地に根付く人も居れば、そんな集落を渡り歩く人も居た。前者は土地の恵みで生き、『渡り』と呼ばれる後者は集落間の橋渡しをする事で生計を立てていた。
 貨幣よりも物が重要視させるのは流通という機能が未熟だからであろう。
 分厚い布を何重にも縫い合わせ、雨にも風にも耐えうるテントが何十と並ぶ小さな集落。
 進藤ヒカルはその小さな集落の中で生まれ、旅に出る事となった15の年になるまで、のびのびと育ったのだが、ただ一つ進藤ヒカルには困った事があった。
 生活する上で不便だという事ではない。
 五体満足であったし、病気らしい病気もした事がない。
 色の白い滑らかな肌に表情をよく変える大きな瞳からしても見目は良い部類だった。大きな布を器用に身につける独特の衣裳は小さなヒカルの身体によく似合っていたし、生れ付き前髪の色素は薄かったけれど困るほどではない。
 ただ一つ。人と異なる事。
 それは進藤ヒカルの中にもう一人の人格が住んでいた事だった。
 もう一つの人格の名を藤原佐為。
 ヒカルが12の年だったろうか。『渡り』の者が持っていた荷物の中にあった古い書き物を手に取った時意識が薄れ、次に目が覚めた時には佐為が内にいたのだ。



『子よ、子よ。起きなさい』
 頭の中に響き渡る声にヒカルが目を覚ます。
 布を張っただけの小さなテントが『家』と呼ばれるのだが、その中で寝かされていたヒカルは内なる声に起こされた。
「どこ?」
 男にしては雅びな響きを持つ声にヒカルは周囲を見渡すが、視界には人影などない。
『貴方の中です』
 俺の中?
 まだ思考も柔軟なヒカルはパニックにもならずあっさりその事実を受け入れたのだが、疑問が解決した訳ではない。
「どうして俺の中にお前がいるんだよ」
 ヒカルの質問に藤原佐為と名乗った男は説明をした。
 佐為は遠い遠い西にある国で、娑羅双樹の木の下で悟りをひらくべく修業していたらしいが、それが何時の事なのかはどうか解らないとのこと。
 気が付くとここ『進藤ヒカル』の中にいたのだと。
「まったく説明になってないじゃん」
 まさか倒れた瞬間に頭でも打って、おかしくなったのではないだろうかとヒカルは心配になる。もしかしてずっとこのままだったら?
『すみません……』
「この書き物見た瞬間に意識が遠くなったんだよな」
 意識がない間もずっと手に握っていたらしいそれ。
 ヒカルは巻かれた書き物の端を捲ってみるが、何やら記号が並んでいるようにしか見えなかったが佐為は違ったらしい。
『これは……。私が悟りへの道を書き記した物です。寺院に寄贈したというのに、どうしてここへ? それになんとくたびれて……』
 佐為の記憶ではそんな遠くではない。ほんの何ヵ月か前に恩ある寺に寄贈したのだ。白い壁の大きな寺院が佐為の記憶に現われる。
「で、どうしたらお前は俺から出ていく訳?」
 中に入る事が出来たのだから出る事だって出来るだろう。一刻も早く一人になりたいとヒカルは佐為に尋ねた。
『どうやら精神だけが貴方の中に入ってしまったようですね。お騒がせしました』
 悟りを開くべく修業していた佐為もこんな事は初めてだったので、『お邪魔しました』『さようなら』であっさりと自分の身体に帰る事ができると思っていた。
 しかし次の瞬間ヒカルの中から抜け出した佐為は透けるような存在でヒカルの前に立っていた。
「女?」
 長く美しい輝くような黒髪。線の細い青年はむさくるしいという形容詞からもっとも遠い存在だった。
『違います。れっきとした男ですよ』
「でもさ、なんでそんな風に半透明なんだよ」
 自分で言いながら、佐為に実体が無い証拠だとヒカルは受けとめていた。佐為もそれを自覚しているのか哀しげな表情を垣間見せた。
『かろうじて精神が形を作ってるんじゃないでしょうか? 』
 佐為が首を傾げてみせると長い髪がサラサラと音を立てるように肩から滑り落ちた。しかしヒカルはそんな雅やかな様子など気にもしていない。
「ふーん。じゃあまぁそういう事で。達者でな佐為」
 倒れた時にどこか打ち付けたところはないかと自分の身体を確認して、ヒカルは佐為に背を向けた。
『待ってください!! このままでは、なんだか……意識が……』
 悲痛なその声に無情になれるヒカルではなく、慌てて振り向くと佐為の姿がさらに透明感を増し、まるで溶け込むように消えたのだ。
「おいっ! 佐為! 消えた……?」
 狭いテントの中を探してみるが、先程まで変な事を口にしていた佐為は居ない。夢だったのか、それとも打ち所が悪かったのかと納得しようとしたヒカルの内に申し訳なさそうに声が響く。
『すみません。ヒカルの中に入らせてもらいました。どうやらこの方が安定するみたいです』
 大仕事をこなした後のように安堵する佐為とは正反対にヒカルの顔が青ざめていく。
「えぇ! 出ていってくれないとずっとお前と一緒じゃんかよ」
 もし、ずっとこのままだったとしたら、第三者にこんなおかしな情況をどう説明したら良いだろうか。
 そもそも説明した途端に呪われたとか狐が憑いたとか陰口を叩かれるに決まっている。
『すみません……。元に戻る方法が見つかるまでこのまま貴方の中に住まわせてください』
 元来から人の良いヒカルは佐為の殊勝な態度に心を決めた。
「まぁ、見つかるまでだぜ?」
 いつかは元に戻れるだろうという楽観を後々になって後悔するはめになるのだが、佐為という存在を受け入れてヒカルは明るく笑った。
『しかし、ヒカル。女の子のくせに言葉遣いが悪いですね』
「バカ言えっ! 俺こそれっきとした男だ」
 佐為の言葉にヒカルは語調を荒くした。
 確かに女顔と言われるが、それはまだ自分が子供であるからで、将来は父親似の逞しい男になる予定だ。
 生まれ落ちた瞬間から、決して女ではない。
『じゃあ、私が中にいるせいですか?』
 申し訳なさそうな佐為の声。
 まるで肩を震わせるように『不憫な……』と呟いている。
「何を訳わかんない事言って……、わーーーっ」
 一応確認しておこう、と単純な気持ちで自分の胸元を開いたヒカルは、微かに膨らんだ自分の胸を見てしまって卒倒したのだった。
『ヒカル! 』
 佐為を内に住まわせた事で身体のバランスが崩れたのだろうか。余分なエネルギーに対する耐性がヒカルの身体を変えたのか。
 理由ははっきりとしない。
 しかし、ヒカルの性別は12の時を境に男から女へと変わってしまったのである。







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