無垢



 棋院の前に車を止めて待つ。
 そうでもしなければヒカルを捕まえることは難しいからだ。
 今日は彼が研究会だという事は予め解っていたうえに、それが終わる時間は暗闇が自分を隠してくれる。
 問題は同じ門下の人間ぐらいか。
 手元にはあのCDROMの写しとプリントアウトしたものが数枚ある。それを見ると、これから自分がしようとしている事の大義名分となった。
 なんとしてでもヒカルと話す必要があった。いや、話すという名目だが実際は彼への詰問となるだろう。
『どうして自分を裏切ったのか……』
 その答えはヒカルだけが知っている。いやヒカルしか知らないのだ。
 何時間、自問自答を繰り返しただろう。
 焦がれて夢の中にまで見るヒカルの姿が視界に入った。華奢なその肩と、流れるような背中と腰のライン。一度は諦めようとしたその存在を塔矢はじっと見つめる。
 そしておもむろに車のエンジンをスタートさせた。
 ゆっくりと近付いてくる車に不信感を感じたのか、ヒカル振り向く。
「塔矢……」
 ヒカルの表情が曇り、それを見た塔矢の中で決心がより一層強固な物となった。
「進藤、少し話をしたいんだ」
 車の助手席のドアを開けて乗るように促し、ヒカルはそれに従った。

* * * *

 背後から声を掛けられて、驚きはしたものの、やはりその姿を見るだけで胸が高鳴るそんな自分に自己嫌悪を感じ表情が曇る。
 否が応でも乗るのだとばかりに開かれたドアにヒカルは身体を滑り込ませた。
 アクセルが踏まれ車が発進する。
 一体どこへ向うのだろうか、気にならないといえば嘘だったがヒカルは問うたりしなかった。
 ダッシュボードの上に乗った茶封筒がフロントガラスに映りこんでいて、それがヒカルの視界を時折遮った。
 もちろん中身など気にもせず……。
 車で三十分。そこにあったのは無言の時間のみ。
 到着したのは、塔矢の寝泊りするマンションだった。
 セキュリティーの万全なマンションなのか、勧誘など入ることの出来ないシステムのようである。幾重のものチェックを済ませて最上階へと辿り着いた。
 ヒカルは好きな人間のプライベートを知る事が嬉しくて胸が踊る。
 部屋番号のみの、表札の無い部屋。その番号をヒカルは必死になって反芻した。
 部屋の中は至ってシンプルなつくりで、部屋数も多くなさそうである。
「塔矢って一人暮らししてたんだ……。良いなぁ。自由だもんなぁ俺もどっか借りよっかなぁ」
 親に帰宅時間を兎や角言われる身としては、塔矢のような一人暮らしに憧れる。同期の和谷の生活の端々を覗くにつれ、その思いは増していたのだ。
「君は止した方が良い」
 そんなヒカルの言葉を塔矢は冷たく返す。
「な、なんだよそれ」
 塔矢の悪意に満ちた声に戸惑ってしまう。
「君みたいに節操の無い人間は親御さんのところで居るほうが良いってことだよ」
 口調が荒いという訳ではない、感情とて押さえているであろう。しかしヒカルには塔矢の激昂が伝わってきた。
 そして意味が解らずに怯えるヒカルの足元に、封筒の中身が塔矢の手によって殊更ゆっくりとばらまかれる。
「これって?」
 拾い上げたものは確かに自分自身を印刷したものだ。しかしこれは一体なんだというのだろうか?
 自分が見ても官能的な仕上がりの数々。最後の一枚に至っては、ヒカルの顔面から血の気が失せるのに十分だった。
「俺じゃないとでも言い訳する気かい?」
 間違いなく自分ではあるが……。ヒカルの脳裏に先日の撮影が浮かんだ。
 奈瀬を撮影し、それを合成写真とした彼の仕業なら頷ける。
「あのカメラマンが勝手に!」
 自分じゃないのだと、総てを言い終わる前に塔矢に肩を掴まれる。
 無理強いするようなキスに全身が震えた。
「こんなに誘っていて、いまさらだね。キミに遠慮してたけど、もしかして焦らしてた?キミを見ていると誰もが道を踏み外すんじゃないかい? あのカメラマン、君の内面をよく捕らえてる」
 射るような視線に動けなかった。
 服の上からの塔矢の手。
 あの時と同じように背を撫で上げられて、ゾクリとした感触はまさしく快感のそれ。
 膝の力が抜けていく。
 あの夢のように塔矢の腕の中で、ヒカルの身体は溶けていくようですらある。
 ヒカルの言い訳を聞こうともしない塔矢……。
 どうして塔矢がこんなに怒っているのかヒカルには解らなかったが、塔矢が自分を脱がし、そして女のように抱こうとしている事だけは解った。
 微かに身動いで塔矢を見上げると、ヒカルが焦がれたその美しい容貌が視界一杯に広がる。
 首筋に塔矢の舌が触れ、ヒカルは自覚した。
 塔矢の行動は理解出来ないが、自分はもうこれ以上塔矢を拒むことは難しいと……。


 ・・・何故ナラ自分モ望ンデイルカラ。

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