君の声が聞こえる場所9
「俺は外泊とか出来ませんので。合宿とかは無理ですがなるべく時間をつくって伺うようにします」 てっきりのってくるだろうと思っていたヒカルに断られても、アキラは諦め切れずになおも続ける。 ヒカルが真剣に嫌そうな顔をしていたらアキラだって諦めもしただろう。しかしヒカルの瞳から未練にも似た淋しげな色をアキラは見てしまったのだ。 「外泊が出来ないなら、君の家ではどうだろうか?」 打ちたくないとか時間がないとかの理由でなくて、外泊が駄目なのだというのならヒカルの家で泊まればよい。 アキラにしてみればどんな状況下でも良いからヒカルともっと親しくなって、そしていつでも碁を打てるような関係になりたいだけなのだ。 幸いヒカルの家は一般的な家よりも広く、数人の人間が泊まろうと密度的に迷惑という事もないだろう。 家族が碁に反対している様子もないから、きっとヒカルの口から了承の意が伝えられるだろうとアキラは読んでいた。 「それなら……」 アキラの予測どおりヒカルは暫らく考えていたが、自宅での合宿なら構わないだろうと頷く。 その時、ヒカルとアキラの視線が交差した。互いに求め合うような視線……。だがヒカルはその視線を逸らしていた。 ヒカルは恐くなったのだ。アキラの真摯な瞳の奥に、燃えるような炎を見たような気がしたのかもしれない。 思わずヒカルの口からついて出た言葉は拒否だった。 「やっぱり駄目です。祖父の具合が悪いので……」 嘘というものは予め用意しておかないと旨く出てこないものだ。 佐為の事に関してはずっとずっと考えていたことなので簡単に出てきたが、当初は了承するつもりだった合宿をアキラが恐くなって止めるだなんて言えはしなかった。 思わず祖父の体調を言い訳にしたが、一度は体調を崩した祖父も今では仕事に復帰すると言い出すぐらいに調子が良かったのだ。 嘘が表情に表れていたのだろう。 「この間お伺いした時はそんな素振りなかったと思うけど。それどころかとても健康そうだった」 つい先日の事だけどと付け加えたアキラをヒカルは睨む。 そう言えば平八が近頃ヒカルに無理に打とうと誘わなくなり、おまけに良い先生に御指導していただいていて……などとまるでヒカルの興味を誘うような言葉を口にしていたのだ。 それがアキラだという確信はなかったが、言葉でなくとも知れるものがある。それを人は勘などというが、ヒカルはそれを信じた。 「……、祖父にも家の者にも伝えておきます。場所はご存じでしょうから、詳しい時間が決まったら連絡ください」 言い捨てるようにしてヒカルはその場を足早に去る。 塔矢アキラがわざわざ家にまで来たのかと思うだけで、怒りにも似た感情がヒカルに沸き起こっていた。 祖父のために態々指導碁に来るぐらいアキラは佐為を探している。ヒカルの碁の中に影を見ただけなのに……。 それほどまでにアキラは佐為を気にしているのだろう。 平八と打っていて、佐為の片鱗など欠片すら無いと解っているだろうから、やはり目的は自分の中の佐為なのだろうとヒカルは考えていた。 ヒカルの不在な時を狙うように来ていたのか、一度も顔を合わせた事は無かったがアキラの執念には頭が下がる。 アキラとて貴重な時間だったろうに、たった一人の碁打ちのために彼はどれだけ犠牲にするのだろう。 もし。 佐為の痕跡がなければアキラはきっとヒカルから興味を失っていくはずだ。 その可能性に触れて、ヒカルはアキラの中から自分という存在が消えてしまうという事が耐えられなかった。 それがとても我侭だとは思ったが、アキラにはずっと近くにいて自分を見ていてほしかった。 アキラとともに打つのは佐為に申し訳なくて出来ないと思うのだが、せめてその存在を感じ取れる場所にいたかった。 そもそも、ネットで打ったのは佐為で、ヒカルとは接点すらなかったアキラなのだ。 今まで歯牙にもかけられなかったのに、佐為と疑われてからアキラがヒカルを見るようになって……。 何故か心が浮き立ち、そして次の瞬間には沼の底へと落ち込んでいく。 『デモ、オレヲミテイルワケジャナイ』 気が付いてしまった、否、初めから知っていたとはいえども改めて実感する事実がつらかった。 ヒカルは棋院のエレベーターから下りると迎えの車へと重い足取りで歩きだした。 |