君の声が聞こえる場所8




 木の芽が膨らむように徐々に互いの想いも膨らんでいく。
 花咲くか枯れるかは誰にも解らなかったが、時が過ぎゆく中で確実に『想い』は変化していった。
 北斗杯の代表選手に塔矢アキラが決定し、残りの二名が選ばれたのは桜の咲く四月の事だった。
 ヒカルと関西棋院の社清春が残り二名の代表として名を上げたのである。
 その頃のアキラといえば勿論の事ながら焦りに支配され心穏やかな日々ではなかった。
 名にしろヒカルと近付きたいと思っても、逃げられているかのようにヒカルが捕まらないのである。
 三次予選に出てきた時も声を掛ける機会を逸してしまい、もう長くヒカルと会話らしい会話をしていない。
 可能性に賭けたくて北斗杯のメンバーを決めるための手合いを見にきたのだが、結局ヒカルの碁に心を奪われただけだった。
 越智と社が翌日の再戦を決めた時、すでにヒカルの姿は無く、またしても見失ってしまったとアキラは己の腑甲斐なさを嘆くしかなかった。
 ここまでくれば、いつかはきっと機会が巡ってるだろうなどと悠長な事は言ってはいられない。
 五月のゴールデンウィークに開かれる北斗杯ではもう少しヒカルに近付けるだろうがそれまで待つつもりはなかった。
 今更ではあったがやっとアキラは行動に移る。
 アキラが社清春に話し掛けたのはアキラなりの考えがあっての事で、決して北斗杯の選手に選ばれた社を鼓舞するつもりではなかった。
 利用できる者は誰でも利用するつもりでいた。
 こんなチャンスは二度とこないだろうと、アキラは綿密に計画を立て、布石が漸く生かされたのは北斗杯も間近になってからだった。
「進藤君!」
 手合い後、そそくさと部屋を出ようとするヒカルをアキラが引き止める。迷惑そうにヒカルが振り返った事に胸の痛みを覚えながらアキラは計画を実行した。
「社から昨日、北斗杯に向けて早々にこっちに出てくるから、代表メンバーで打たないかと連絡があったんだ」
「そうですか。俺はいいですよ。どこかホテルとかですか?」
「いや、社には僕の家に泊まってもらうつもりをしている。それと日も限られていることだから合宿とかすれば時間を有効に使えると思っているんだが」
 こんな口実がなければ打つ機会はないだろうとアキラが思いついたのは、四月の代表選抜の時だ。
 おめでとうという代わりに社から連絡先を聞き出し、『北斗杯までに時間があれば皆で打ちたいと思っている』などと社をその気にさせたのだ。
 連絡がなければこちらから連絡して無理にでも上京させようと思っていただけに、意外にも生真面目な性格らしい社から連絡を受けたときは計画が順調に運び始めた事をアキラは意識した。
 それでも、ここからが肝心な所なのだ。
 せっかくのチャンスをふいにはしたくない。もっと打ち解ける事が出来たならsaiとヒカルの繋がりが判るかもしれないのだ。
 初めて打った時saiだと確信すらしたが、ヒカル自身も否定しているうえにsaiの棋譜やヒカルの棋譜を検討した結果、類似点は見られるものの同一人物とは決して言い切れないと結論に達した。
 確かに重なる部分もあるし、ヒカルとsaiが完全に切り離せないのも事実だ。
 この不可解な謎を解いてはっきりとさせたい。そしてヒカルへの想いは単なる執着なのかどうかも明確にしたかった。
 本当にそれだけだろうか…。アキラの内なる声が囁きかける。
 謎があるから執着するのではない。アキラは確かに進藤ヒカルという存在そのものにも惹かれていた。
 あの日からずっと見ていたから解る。
 たった数年で伸ばしたという実力も含めてその棋力もアキラを魅了したし、明るい表情を見せたかと思えば、ふと見せる寂しげな表情もアキラの興味を深くさせた。
 碁だけではないと思う。
 もっと近い存在になりたい。友達になりたい。
 己の中の渇望を知ってアキラは不思議だと感じていた。
 そう長くない人生しか歩んでいないが、今までこんなに一人の人間に興味を覚えたのは初めてだったからだ。
 恋かもしれないと思ったけれど、これが恋でもおかしくなかった。
 誰に対しても感じた事のない感情。
 男同士ではあったが、精神的な部分に惹かれての恋というのもありえなくもないとアキラは理解しているつもりだった。
 兄弟子の緒方のように、肉欲を満たすだけの関係よりは数倍もマシなものだと言い訳のように己に理解させる。
 ささやかな願いとして、アキラはヒカルと一緒に過ごす時間が欲しかった。
 だがしかし北斗杯を言い訳にした合宿にヒカルがのってくれるものだろうと予想していたアキラは次のヒカルの言葉に打ちのめされることとなるのだった。



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