君の声が聞こえる場所16




 荒い息遣い。高ぶる衝動。冷静に考えれば男に抱かれているというのに、女のように全てを許している自分が許せなかった。
 しかも相手は塔矢アキラで囲碁界の若き星と囁かれるほどの人物だ。品行方正でないといけない立場である彼を戒めもせず己もまた同じ泥の中にいる。
 あの北斗杯を控えて合宿した夜に初めて身体を一つにした。あの時は怒りもあったせいかヒカルはほとんど覚えていない。
 背後から貫かれた時に痛みに耐えるのに必死で、ヒカルもそしてアキラも楽しむ余裕とは無縁だった。
 ただ本当に一つになっただけの夜。
 あれから何度も身体を重ねるようになって。今ではその快楽にヒカルは自分の身体が自分のものでないように思い始めていた。
 北斗杯を控えたあの夜。
 ヒカルは自分のために身体を差し出した。碁を高めるため、そしてアキラを束縛するために。
 たとえアキラの興味が佐為と碁にしかないと解っていても、心のどこか奥に自分の身体に溺れれば良いと自虐的な感情さえあった。
 身体を重ねるのも碁を打つのも同じくらい真剣なアキラ。
 所詮、碁には勝てない、佐為には勝てないのだと思うとだんだんと腹が立ってくる。自分はアキラによって身も心も翻弄されているというのに。
 アキラにとってのヒカルとは一体どんな存在なのか。そう考えると佐為の衣をまとった自分が急に嫌になってくる。
 佐為の幻を追ってくれば良いと思っていたのに、いつまでもヒカルに気が付かない、佐為しか見ないアキラが腹立たしい。
 いつものようにアキラと身体を一つにし、一眠りした後、ヒカルは放り出されたままの碁盤へと向かう。
 佐為ならどう打つかと、常々考えながら打ってきた。
 例え新しい手と展開が浮かんだとしてもそれはどこかで佐為が打った手のようにも思えた。
 それではヒカルは? ヒカルはどこにいるのだ?
 碁石を持った手が震える。
 まるで自分を見失ったような感覚。
 探しているのに『ヒカル』はどこにもいなくて、その事実に気が付いてヒカルは愕然とした。
 碁の中にもヒカルはいない。
 アキラの中にもヒカルはいない。
 大好きな碁を打っているのに。
 アキラのもっとも近くにいるというのに。
『進藤ヒカルはどこにもいない……』
 眠っていたはずのアキラが目を覚ました気配にヒカルは盤面に並べた碁石を崩し、身仕度を整える。
 今日はもうこれ以上、アキラの顔を見たくなかったし、ましてや碁を打つなど考えられなかった。
 まるで気紛のようにアキラに用事があるから帰ってくれと告げるとヒカルは奥の部屋へと姿を隠す。
 そして残されたアキラは未練を押し隠し進藤邸をあとにするしかなかった。








 あの日、アキラを追い出すようにして別れてから、二週間が過ぎていた。無我夢中で碁石を並べ、わざと新しい自分をヒカルは模索していた。
 棋院で行なわれている若手有志の研究会に誘われて顔を出したヒカルは、高原三段と打ちながらもそこにヒカルの存在を探そうと必死になっていた。
 その場にアキラもいた事は誤算だったが、あの日から二週間、アキラとは打ちたくない心境だったのだ。
 集中しているはずなのに、乱れてくる碁。
 打っても打っても最良の一手が見当らない。
 ヒカルとして打っているのにいつの間にか盤面の中には佐為がいた。
 打ち消すように、自分の碁を打とうとすればするほど、形勢は不利になっていく。いや辛うじて有利だったが、それは相手方のミスに因るところが大きい。
 二目半で勝利をおさめても、全くと言って良い程ヒカルは勝った気がしなかった。
 検討していても、それが無性に馬鹿らしくなって、ヒカルは体調が悪いと言い訳して席を立つ。
 自分で思ってもひどい碁だった。
 まるで相性の悪いペア碁のように打ち筋に一貫性がなくて、検討していてもその時何を考えて打っていたのか説明すら出来なかったのだ。
 トイレから出たヒカルは、煙草を吸っていた高原三段に挨拶すると先に帰る事とした。大半の人間はまだ碁盤にむかっているところで、挨拶をして場を乱したくなかったヒカルは自分の荷物を持つとそっと退出する。
 勿論アキラがそれを見逃すはずがなかった。なにしろ二週間ぶりに漸くヒカルを捕まえる事が出来たのだ。
 何度連絡しても予定が入っているからと断られて、今日ヒカルがこの研究会に顔を出すと聞いて慌ててアキラも参加したいと申し入れたのだ。
 アキラは相手に断りをいれて席を立つとヒカルの後を追った。





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