君の声が聞こえる場所14




 彼の内にどんな変化があったかは知らない。いや知る由もないというべきだろう。北斗杯を目前にした進藤邸でアキラはヒカルと身を一つにした。
 それは互いの碁を認め合い、新なる飛翔を目指す契約のようなものだと、ヒカルの碁を手に入れヒカルをも手に入れて、アキラは満足だった。
 肉体的な関係は派生しただけであって、基本はヒカルの碁に対する想いが高じたものだったから、いつでもヒカルと打てるというのはアキラにとって至福の極みといえよう。
 北斗杯後、アキラはほぼ毎日のように進藤邸に顔を出しヒカルと打った。
 たとえヒカルが家にいなくとも平八が歓迎したのでヒカルの帰宅を待つというのも当たり前のように行なわれ、そしてアキラは何度もヒカルと打ち、身体を重ねた。
 碁盤を前に無言で打っていると、いつのまにかヒカルの打つ碁に心を奪われ、その奪われた心を取り戻すかのようにアキラはヒカルを貫いた。
 アキラのヒカルに感じる欲望は、勝利を渇望するのとよく似ていて貪欲だった。
 一番初めに諍いがあったきり、ヒカルはアキラを拒む事もなく碁を打ったしアキラから見てヒカルも楽しんでいるように見えた。少なくとも嫌がっているようには見えなかった。
 だからヒカルが度々出掛け、たまに帰ってこない日があるようになってアキラは驚いた。許せない裏切りのように感じたのだ。
 ヒカルは自分のものなのに……。
 そんな独占欲にアキラは愕然としたのである。
 北斗杯から一週間もたたないうちに、色々な研究会から声を掛けられヒカルを誘った頃からか、ヒカルは明るく社交的になっていった。
 それが本来のヒカルの資質だったのか、見た目と同じく明るい笑顔が周囲を魅了した。
 アキラが知っていた影が形を潜め、ヒカルはよくしゃべりよく笑った。ただしそれはアキラ以外の者に対してなのだ。
 ヒカルは自分のものなのに……。そんな考えが何度も頭をよぎってアキラを苦しめる。
 身体も重ね、優先的に碁を打つ友人よりも格上のような気がしていたがそれは錯覚だったのだろうか……。
 抱いている時だけ、本当にヒカルを手に入れた気がするなんて。肉欲だけの関係ではない。碁があって初めて成り立つ関係なのに……。
 ヒカルの碁に恋をしていると思った。だからヒカルにも恋をしていた。
 どちらかといえばプラトニックな恋で、肉体を重ねても精神的な繋がりの方が比重が高いとアキラは思っていた。
 それらがすべて音を立てて崩れていく。
 碁を打つよりもヒカルを組み敷いて欲望のままに抱きたい。
 きっとヒカルは拒まないだろうが、今のヒカルを見ていると何もかもを受け入れ拒まないようにも思えた。アキラ以外も惹きつけ、受け入れるようにさえ思えた。
 あの明るい笑顔で全ての者を惹きつけるのに、アキラに対してだけは闇の部分をちらつかせアキラの不安を煽る。
 何をしていてもヒカルの事が頭から離れなくてアキラはやっと気が付いた。
 ヒカルへの執着を恋のようだと思っていた。そしてその本質はヒカルの碁に恋をしているからだと思っていた。
 それは全て間違いで……。
「あぁ、そうか……」
 自嘲気味なアキラの独り言。
 やっと今気が付いた愚かな自分へのため息。
 こんなにもヒカルに捕われているのにどうして今まで気が付かなかったのか……。ヒカル自身に恋をしているのだと、気が付けばとても単純な事だったのに。
 しかし気が付いてしまえば余計にヒカルの行動が気になった。
 本当なら自分以外の人間と親しくなどしてほしくはない。そんな己の独善的な考え方にアキラはため息をついた。
 だからこの時ヒカルを見付けたのはアキラの不幸だったかもしれない。
 ここが棋院だから仕方がないのだろうが、今日ヒカルが棋院に来るべき理由はないとアキラは把握していた。
 仮に来る用事があったのだとしてもヒカル一人なら何ら問題はなかったのだが、ヒカルの隣には見慣れた白いスーツの男が立っていたのだ。
 盗み聞きなどするつもりはなかったがアキラの聴覚は意志に反してヒカル達の会話を拾っていた。
「そうだな。時間があるならついてくるか?」
「お願いします、緒方先生」
 親しげに話をする仲だったのかどうかも知らなかった。緒方がヒカルと打った事があるというのは知っていたが、段位も違えばプロの碁打ちという以外接点らしき接点は見当らない。
 二人はアキラが背後から伺っているとは知らず、どこかへ行くのかタクシーに乗って行ってしまい、残されたアキラは胸の閊えを解消できないまま立ち尽くす。
 ヒカルは自分のものなのに……。再び浮かんだ考えをアキラは否定しなければならないと思いつつも感情はそれを許さなかった。




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