君の声が聞こえる場所13
馬鹿にしたような笑いが響く。その笑いはヒカルに向けられたものだ。 「塔矢アキラがお前を好きだって?」 アキラがヒカルなどというような者を好きだとは信じられないというような口振り。 『お前』の所を強調されたのでヒカルは自分の存在が一層卑小なものに感じられた。 「違うよ。俺は好きだなんて信じてないし。第一あいつは佐為しかみていない」 「じゃあ。どうして受け入れたんだよ」 怒鳴り声にヒカルが顔を上げると、驚いたことに目の前にいたのは自分だったのだ。 これが夢だという事は即座に自覚したが、目の前のヒカルは消えるどころか相変わらず怒りの形相を向けてくる。 しかし彼が怒るのももっともだとヒカルは思う。 佐為を想うアキラが憎らしくてアキラを騙したのだ。 本当なら正すべき事柄をあえて受け入れたのは、アキラの意識を佐為でなくヒカルに向け、アキラの特別な存在になりたかったからだ。 佐為は消えてしまっているからヒカルの碁だけではアキラを繋ぎ止められないかもしれない。 しかし、いつかヒカルの実力に気が付いてしまっても、身体の繋がりがあればきっとアキラは逃げられないだろう。 でも。 本当ならアキラを拒むのが互いのためではないのか? 正論が頭の中を駆け巡り、そして取って付けたような言い訳がヒカルの中で生まれた。 「おっ、俺が碁を続けるために犠牲にしたんだよ。だって佐為は全部失ったのに。俺は何にも失ってないから」 だから身体をアキラにくれてやって、そしてヒカルはアキラとアキラの碁を手に入れたのだ。 そう理由付けしたのだ。 「なるほど。自分の身体を貶める代わりに、これからは堂々と碁を打つわけだ。それだけで許されるのかよ。本当なら碁を止めるべきなんじゃねーの」 佐為が失ったのは碁。佐為の全て。 ヒカルが佐為を消してしまった事に罪を感じるなら、佐為と同じ苦しみを耐えねばならない。 碁をやめる事が一番の償いでないのかともう一人のヒカルが問うがヒカルはそれを否定した。 「それだと佐為の碁が消えてしまうだろ。俺は佐為から受け継いだものをさらに高める義務があるんだ」 ヒカルの言葉にもう一人のヒカルが嘲り笑う。 「お前の実力でそれが可能だとでも?」 無理だという叫び声にヒカルは耳を塞ぐ。夢だというのに手のひらはじっとりと汗ばんでいて、リアルすぎる感覚がヒカルを追い詰める。 「解ってるさ俺はまだまだ未熟で……。だから塔矢と打って強くなりたいんだ。他の高段者とも打ちたいし、己を高めるためなら身体なんてどうでも良い」 身体を差し出せば例え棋力で見離されても、不道徳な関係を持ってしまったからにはアキラも離れられなくなるだろう。 良くも悪くもアキラの特別な存在にヒカルはなったのだ。 自分の言い訳に満足している横で皮肉げな笑いが響く。 「嘘つき。お前は塔矢アキラに憧れてこの世界に飛び込んだも同然なんだろ。尊敬する塔矢先生とこんな関係になれて本当は嬉しいんじゃないの?」 ズキリと胸に響く言葉。 心臓を鷲掴みにされたかのように、呼吸すら難しくなる。 心の奥底で自分自身も気が付いていたからこそ、面と向かって言われてもヒカルは肯定出来なかった。 「……違う。俺は、塔矢と碁を打つための免罪符として身体を差し出すんだから」 声が震える。もう嘘を並べるのにも限界があった。 しかし否定し続けなければならない。肯定してしまえば自分自身を否定する事になるのだ。正しい事をしている、正しいことをしなければならないと思い込んでいる自分を否定する事などヒカルには出来なかった。 なのにヒカルはなおも責め続ける。 「本当は解ってるんだろ。大義名分だってことに」 目の前のヒカルが醜く歪む。 お前の心の奥底はこんなにも醜いのだと突き付けられている気分だった。 「それ以上言うな……」 塔矢アキラを好きだと言えば楽になるのだろうか。 ずっと……。 ずっと憧れてたけどそれは好きだという意味じゃない。 アキラが言った好きも、嘘もしくは誤解だと解っている。期待だってしていない。アキラが好きだと言ったのは佐為に対してなのだ。 まるで色々な色が交ざったかのように目の前のヒカルの姿が形を無くし、そしてゆっくりと形成される。 その姿はいままで夢の中でも会えなかった佐為の姿だった。 「ヒカルは良いですね。あなたは何もかも手に入れた」 「佐為!」 艶やかな姿に悲しみを色を纏った佐為が花びらのように散っていく。 ヒカルの手のひらには佐為の欠片がゆっくりと落ちてきて、まるで溶けるように消えていった。 それまで嵐の海のように荒れていたヒカルの心がすっと凪いでいく。 可哀想な佐為。彼は消えてしまってもう二度と打つことはない。そして、確かに佐為の言うとおり自分は全てを手に入れた。碁も塔矢アキラも。 これ以上欲するのは罪だろう。アキラの心を欲しいと願うのは欲深すぎる。 「ゴメンな、佐為。俺はお前から碁を受け継いだ責任があるよな」 だからヒカルは塔矢アキラをあえて拒もうと決意した。佐為の碁を高めるためだけに塔矢アキラを利用するのだ。佐為を好きなアキラの心を……。 努力するなら全てを望むような形で手に入れられるかもしれない。でもヒカルはそれを拒むつもりだった。 塔矢アキラと親しくはしない。 碁を打ち、身体を重ねても、心は決してアキラのものにならない。 佐為はそれで許してくれるだろうか。 しかしヒカルは例え心の平穏を得られなくともアキラの側に居たいと切望した。 せめてアキラ声が聞こえる場所に自分の居場所を見付けたかった……。 それが自分のエゴイズムだと解っていながらヒカルはわざと目を逸らした。 |