君の声が聞こえる場所11





 友人というべきなのかどうかは解らなかったが、ヒカルが家に客を招いたのは初めての事だった。
 これまでは親の望むように生きてきたため、親しい友人という関係は父母の利益につながるものの中にしか許されなかったし、ヒカルは押しつけの関係を望みもしなかった。
 幼なじみのあかりもいたし、何よりもヒカルには佐為と碁があったのだ。
 良くも悪くもヒカルが碁のプロになるのだと、なんの承諾もなしに決めてしまった事をきっかけに、ヒカルは自由になった。
 見離されたのか尊重されたのかヒカルには判断する材料を持っていなかったが、はっきり言ってどちらでも良かった。
 後を歩いてくるアキラをヒカルはちらりと盗み見る。
 アキラの視線は佐為の事を探ろうとする意志が込められており、正面に向かって打っているとそのエネルギーに当てられるのか、ヒカルは気分が悪くなるのを感じるようになっていた。
 だからアキラが仮眠を取ろうと提案した時は正直ほっとしたのだ。
「ここ。使って」
 言葉少なくヒカルが案内した部屋はごく普通の和室で、すでに布団が用意されていた。 ヒカルに客がくるという事であかりが気を利かせて洋室以外にも客室として用意したのはヒカルの隣の部屋だった。
 他に部屋が無かった訳ではないが、友人なら夜通し話したい事もあるのではないかと推測したのだ。
 結局のところ社は少し離れた洋室でアキラが和室となって、まだ学生でもあるあかりの推測が外れたのは、プロとして研鑽するヒカル達はあかりの知る同世代の男の子達よりも大人だったという事だろう。
「じゃあ、おやすみ」
 そそくさと部屋を出ようしたヒカルをアキラが引き止める。
「進藤……、少し話をしても良いだろうか」
「なんだよ、疲れてるんだから明日にしてくれよ。……それとも手早くお願いできますか、塔矢先生?」
 わざと丁寧な口調でヒカルはアキラとの溝を作る。アキラと親しくするつもりなど微塵にもない証拠を態度で示したのだ。
 しかしそんな事で引くアキラではない。
 逃げられないようにヒカルの二の腕を掴んだのは無意識であって、時間が無いのだと判断したアキラは単刀直入にヒカルに切り出す。
「今夜はすごく勉強になったと思っている。君のためにもなるとは思うが、何よりも僕のために、今後も時間を割いて打ってくれると約束してくれないか」
 きっと佐為の事を聞いてくるのだろうと身構えていただけに、アキラがヒカルと打ちたいのだと口にしてヒカルの胸は高鳴った。
 佐為ではなくてヒカルを求めてくれている……。だがしかしそんな一瞬の幻想も、ヒカルの理性によって否定された。
 アキラはヒカルの実力を買っているのかもしれないが、その背後にネットで打った佐為の影がちらついているからだ。決して本当のヒカルを見ている訳ではない。
「棋戦は国際戦も含めてたくさんあるし、無理に打たなくても、どうせ予選とかで打てるさ」
 突放すようなヒカルの言葉にアキラが首を横に振る。
「手合いで打つだけでは不十分だ。あの時。初めて打った時から僕は君となら互いに力を引き出せると感じた。……それに君ともっと親しくなりたいんだ」
 アキラの言葉にヒカルは無意識に期待していた。佐為を通じてでないヒカルを求めてくれているかもしれないという期待……。
「……どういう意味だよ」
 言葉に詰まりながらも聞いたヒカルにアキラは真摯な眼差しを向ける。
「僕は君が好きなんだ」
 アキラの言葉にヒカルは息を飲む。どう反応して良いか迷う場面にヒカルはただ戸惑うばかりだった。
 好きという感情を理解できない訳ではないが、アキラの言う好きは真っすぐすぎて恐かった。
 恋愛感情の好きでないと解っているのに、アキラの瞳を見ていると告白されたような気分になってくる。
 同じ碁打ちとして親しくなりたい気持ちは理解出来るが、アキラの唐突な言動はいやがうえでも誤解を招くではないか。
「お、俺はお前の碁が好きだ。お前も……そうなんだろうけど」
 アキラが望むように友人となり、これからはプライベートでも打つというのは勘弁して欲しいとヒカルが言う前にアキラは声をあげた。
「違う、そうじゃない」
 一体何が違うのか。苛立つ気持ちがピークに達してヒカルは夜中に相応しくない大きな声を上げていた。
「じゃあ、はっきり言ってやる、お前は俺の中にsaiを見たような気がして俺が気になるだけなんだよ」
 結論を口にするのは辛かった。期待する気持ちを自ら否定するのは苦しかった。
 アキラがヒカル個人を望んでくれていたならどんなに良かっただろう。
 理想としたアキラに手を差し伸べられて嬉しくないはずはないのだが、その手は佐為に向けられているものなのだ。
 どうして自分がその手を取れようか。
 アキラが求める佐為はもういない。自分が消してしまったのだ。佐為をこの世から消してしまったのは自分なのだ。
 
 ヒカルは自虐的な感情に支配され、そこから脱却すべき理由を見付けられないでいた。



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