篝火2



 大阪は北区にある関西総本部から歩いてすぐの場所にある日本酒自慢のおでん屋でヒカルとアキラは一日の疲れを癒していた。カウンター席に座った二人は、黒いTシャツ姿がユニフォームなのであろう店員に次々と注文する。
 とあるタイトルをかけたリーグでの手合いだったのだがヒカルは見事中押しで勝ちを納め、そしてその間アキラは後援会の大阪支部長を努める会社社長宅へと挨拶に行ったらしい。
 アキラの顔をよくしっている店の者が、特別にアキラへと真精大吟醸のあらばしりをグラスに注ぐとアキラはそれを軽くもがりをして口に含む。小さな口笛を吹くような音がヒカルの耳にも届いた。
 兵庫県産特Aランクの山田錦米を35%になるまで磨いたその酒は今年の搾りたてのあらばしりではあったけれど、立った感じもなくキレの良い喉ごしにアキラは満足気に頷いた。
「これ、まだ少し酸が高い気がするけれど、さすがHD酵母を使っているだけあるね。立ち香も含み香もとても搾りたてとは思えない」
 流石に純米酒だけあって、透明感のある中に米の旨味が残っているとアキラが感想を述べると店の者が頷き返した。
「冷おろしの時期になったら味がのってもっと旨なりますよ」
 店員の言葉を聞きながらヒカルもグラスに口をつける。まず一番に澄んだ吟醸香がヒカルを包み込んだ。
「水みたい。それに匂いが花みたいだ」
 まるで花束に顔を寄せたときのようなその匂いと水のような喉ごしは日本酒とはとても思えなかった。
「これなんか梨の匂いするんよ」
 ヒカルの反応が新鮮だったのか、隣の夫婦らしき二人連れが自分達の飲んでいる酒をそう評価した。
 周囲を見るとビールを飲んでいる客は一人もいない。それと流石大阪のキタだけあってホステスの同伴と思われる二人組もいる。
「リンゴの匂いだってあるんだよ」
 アキラはヒカルの驚いた顔に、自分が飲んだ事のある酒の匂いを列挙してみせる。そんなアキラの飲み慣れた様子にヒカルは疑問を挟んだ。
「そういや塔矢って20越えてたっけ? というか飲み慣れてるし」
 自分と同じ年だから早生れでないかぎり成人はしているのだが、今までそんな話は聞いた事が無かったとヒカルは気が付いたのだ。
「で、塔矢の誕生日っていつなんだよ。知ってたら祝ってやったのに」
 まだこんな関係になる前に、未成年だと窘められた事がある。あれが去年の春だったから少なくともそれ以降に二十歳の誕生日があったはずだ。
 ヒカルが残念そうに呟くとアキラは小さく笑みを漏らした。
「あんな険悪な時に? 実は僕は12月生まれなんだよ」
 確かその頃はお互いの事を誤解していてすれ違いばかりだったと、アキラの言葉でヒカルは思い出していた。
 両想いになったのは結局今年になってからで、恋人となって日はまだ浅い。
「険悪……ね。そりゃそうだ。でも次の誕生日までは長いなぁ」
 恋人同士で誕生日といえば大切なイベントの一つであるから外したくないのだが、過ぎたものはどうしようもないとヒカルは肩を落とした。
 そんなヒカルをアキラは慰めるように言葉をかける。
「あっという間だよ。それに誕生日にはちょっと良い事はあったんだ」
 アキラのその言葉にヒカルは訝しげに顔を覗き込む。あんな険悪な時に、一人だけ良い事があっただなんてと、ヒカルに理不尽な怒りがわいてくる。
「へぇ、初耳……。ちょっと待てよ、その日、俺とあのホテルに行った日じゃないか」
 周囲を気にしながらヒカルが指摘するとアキラも嬉しそうに頷く。
「そうだよ、だからまあまあの部屋を予約したし、ワインで乾杯もしたんだけどね」
 初めて泊まったジュニアスイートルーム。本当はスイートルームが良かったらしいが、予約した時点で空いていなかったらしい。
 確かシャワーを浴びた後ルームサービスのワインを飲んだ覚えがあるが、それ以上に全身余すとこなく愛されてワインを飲んだ記憶も朧気だったのだが。
 まさかあれは誕生日の予だったためのホテル側のサービスだったのではないだろうか。
「……塔矢って意外とロマンチストだったんだなぁ」
 しかしそうなると、誕生日に男同士で泊まったという事はホテル側にはバレていた事になる。
 ヒカルは一瞬青ざめたが、今更足掻いても仕方がないと話題を逸らせる事にした。
「でもさ、飲み始めたの二十歳越えてからなのになんでそんなに詳しいんだよ」
 会話の途中で、アキラが同じ種類の酒でも雄町米を使って作ったものを飲んで、米による違いを堪能していたが、ヒカルには別次元のような会話に思えたのだ。
 それをヒカルが言うと、ワインも葡萄の種類によっても産地の違いによっても味が違うのと同じだと説明され、そんなものなのかととりあえず理解する。
 それにしてもあのアキラがこんなに詳しいとは寝耳に水とでも言おうか……。
「答えは僕の父だよ。もっとも今は控えているけれど、あれでも酔うと饒舌になるんだよ」
 門下での新年会は記憶に新しいが、父の影響なのか塔矢門下はザルばかりだった。毎年かなりの騒ぎになるので、あえて自分は飲まなかったのだが。
 今でもこうして目を閉じると、日本酒談義に花を咲かせる父とそして潰れていく門下の人間の顔が浮かび上がる。
 その中でも自分が生まれる前から出入りしていたのだと何かと兄貴ぶる緒方十段の顔が浮かび上がった。
 毎年の騒ぎを知っているからこそ、あえて飲まなかった自分に緒方は顔を近付けると酒臭い息を吹き掛ける。そして、
「アキラくん車を出してくれ」
 と、案の定なセリフを吐いたのだ。
「僕の運転で良ければ」
 一応兄弟子に逆らう理由もないからとアキラは立ち上がる。
 ふらつきながらも立ち上がり暇を告げる緒方に、アキラは苦手意識を覚えていたのだがそれをあえて無視をした。
 しかし緒方が胡散臭い事にかわりはない。第一自分の恋人の進藤ヒカルを意識しすぎるのではないかと常々思ってしまうのだ。
 あの年で独身というのも、本当は結婚できないような相手と付き合っているんじゃなかろうかと自分の事を棚に上げてアキラは推測していた。
 そしてアキラは緒方から譲り受けたアルファロメオを運転しながら、緒方のマンションへと向かう。
 一方問題児な兄弟子といえば、アキラが付けたナビを興味深く触っているだはないか。
「なんだ、棋院までフラッグが立ってるじゃないか」
 迷うような道じゃないだろう? と言う緒方を横目で見ると、どうやら自分のマンションを目的地に登録しているらしい。
 後で速攻消去しようと内心は思いながらも、あくまでも対応はスマートなアキラは言葉を返す。
「迷子になったり遅刻したりは出来ませんから」
 そんな新年会の記憶がアキラの脳裏に甦ったのだが、次の瞬間パズルの謎が解けたような気がした。
「緒方さんだ……」
 謎のフラッグの主は酔った兄弟子に違いないとアキラは確信していた。
 あれのせいで恋人のヒカルと諍いがあったのだが、まさかそれを狙っていたのではないだろうか。
 先日もヒカルの浴衣姿をご馳走を見るように目付きで見ていたが、まさか……。
 そういえば塔矢門下の研究会に越智が来るようになったというけれど、それも緒方のはからいだとか。
 本当にあの人は何を考えているか……。
 アキラは軽くため息をつくと、小首を傾げつつ自分を見るヒカルに視線を移す。
 今は肉体関係も精神的な繋がりにも満足していたが、実は美形が好きな自分の恋人がいつ心変わりするかと思うとアキラは気が気ではないのだった。
 その証拠に呼ばなくても良いのに、社にも連絡しているという。
 心の底から一緒に付いてきて良かったとアキラは思うのだが、もてる恋人を持つと辛いなどという他人様が聞いたら殴りたくなるような事を考えつつ、アキラは熱い視線でヒカルを見つめるのだった。
 勿論、今夜ホテルで二人っきりになったときの事を想像している訳ではない。


 ……と、思いたい。




アキラとヒカルが飲んだお酒のモデルは静岡のお酒です。ちなみに長編についているタイトルは全てお酒の名前だったりします。夢殿もくどき上手もそうかな。始めは全部お酒の名前を借りようとしていたんだけど、途中で諦めました……。



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