篝火3



 二人が暫くの間、たわいもない話をしつつ、狭いカウンター席なのをこれ幸いと互いの方にある足をくっつけてみたりとしていたのだが、そこへ友人の社が現われた。
 店に入ってきた瞬間から店員と大きな声で『まいど』などという挨拶を交わしていて賑やかこのうえない。生まれは関東だというのにすっかり関西人の彼である。
「悪いな、待たせて。詫びに二件目ご馳走するわ。奥さんおあいそして」
 軽い口調で『次はしっぽり出来るとこやなー』などと社はアキラの肩を叩く。
「いややわー。社くん来てくれたばっかりやのに」
 繁盛店だからこその余裕か、『奥さん』と呼ばれた店員には引き止める様子もなく、ヒカル達の伝票を持つとレジに向かう。
「あいかわらず忙しそうやし、これから憲ちゃんとこ行こか思てんねん」
 社が奥の厨房に向かって声をかけている。かなり親しいらしいのは一目瞭然だった。
「エエ酒持って行きよったから、それ飲ましてもらい」
 奥から恰幅の良い男が社に向かって挨拶代わりに手を挙げた。
「オーナー、また今度寄せてもらいます」
 ヒカル達の会計を済ませようとした社をアキラは制し、一同は会計を済ませると引き戸を開けた。
「社もここ知ってたんだ」
 ヒカルが感慨深げに言葉にすると、先に歩きだした社が振り返り答える。
「日本棋院の関西支部もすぐそこやし、割と有名やろ」
 社の言うように本当に目と鼻の先で、どうして今まで気が付かなかったのか不思議になるぐらいである。
 社曰く有名なグルメ雑誌にも載っているらしいが……。
 先にタクシーを拾うべく、ヒカルとアキラよりも前を早足で歩いていく社の背を見ながらアキラはヒカルに耳打ちする。
「そういえば社も男前の部類じゃないかい?」
 以前ヒカルが面食いであると知ったアキラは、ヒカルと関わりのある人間の顔を観察する事にしていたのだが、今回は勿論の事ながら社も査定され、結果といえば『男前』つまり危険人物と判断がくだされたのである。
「心配しなくても、俺アキラの黒髪好きだし」
 アキラの心配する様子にヒカルは答えたが、その遠回しな言い分にアキラは不満を表す。
「もっと色気のある答えが聞きたいね」
 暗がりで人目がつかない事を確認しつつアキラはヒカルの肩を抱き寄せた。ここでいつもなら頬ぐらいには軽くキスするのだろうが、社の視線に気が付いたヒカルがアキラを押し止めた。
「なんやお前らこんなとこでいちゃつくな。目の毒やぞ。ちなみに二件目やけど腕のええ人やってる店が帝国ホテルの近くにあんねん」
 他にもごっつ有名な店もあるんやけど。そこでな、うちのおかんが正月に三段のおせち頼みよってん。七万やったかなぁ? うますぎて大晦日から食ったら、一日の日には空やったわ。確かにうまいんやけど今夜は気の使わんとこしよ思てな。
 以上全てが喋りだすと止まらない社のトークであるが、持ち前のサービス精神なのかヒカル達が来るという事で色々と下調べをしていてくれていたらしい。
 だがそんな社の言葉を真剣に取り合う事なくヒカルはポツリと本音をこぼす。
「俺、お好み焼き食べたい」
 食べたいのは、どんな高価な料理でもない。ヒカルは素直に呟いたのだが社は苦笑混じりだった。
「あのなぁ、折角俺がうまいとこ連れてったろいうてんのに。そんなにお好焼き食いたいんやったら、俺のとこ泊りがてら来たらエエ。俺が作ったるし。まぁそれも旦那が許してくれたらやろけど?」
 社がヒカルとアキラの関係に気が付いたのは、二人が同居したと連絡をヒカルから受けてすぐの事であった。
 引っ越ししたというヒカルに『ほな、東京出る時は泊めてや。また合宿したみたいに打ちたいし』と本気で言った訳ではなかったのだが電話口でヒカルが『ええっ?』と素っ頓狂な声を上げたのでピンときたのだ。
 他人事に首を突っ込む趣味の無い社はあっさりと受け入れたのだが、そんな態度はアキラを疑心暗鬼にさせていた。
「その時は僕もお邪魔するよ」
 威嚇するようなアキラに社は冗談だと言わんばかりに首をすくめる。
「アホ言いな、夜中に変な声聞こえてきたらどうしたらエエねん。俺にはそんな趣味は無いし、お前らとは絶対馴合わへんて心に決めたんや」
 自分とヒカル達二人の間を線引するような身振りをしてみせる社にヒカルは笑いを堪え切れずに吹き出した。
「って、大阪来るなら声掛けろって言ってたじゃん?」
 タクシーを捕まえて助手席に乗り込みながら、後に乗った二人を振り向いて小声で社が答えた。
「アホ、それが大人の付き合い言うもんや」
 口を尖らせる社の様子にヒカルは心底楽しそうに笑ってみせる。
「社っておもしろいよなぁ」
 後部座席でヒカルはアキラに同意を求めるが、アキラは困ったような顔で言葉に詰まっていた。
「悪いよ、進藤」
 二人ともお互い小声で言ったつもりだったが、狭いタクシーの中で聞こえないはずはない。
 流れる夜景を見ながら社がぽつりと呟く。
「次の店奢ったろ思たけど割り勘やな……」
「うわっゴメンって社!」
 そんな会話をしているうちに帝国ホテル前へとタクシーが到着し、三人はそこから東へと三分弱の道程を歩き、社のお薦めする割烹料理屋で舌鼓を打ったのだった。


「じゃあ、気をつけて帰れよ」
「また関西来たら声かけるんやで?」
「おやすみ、今日は楽しかったよ」
 夜も更けて日付も変わろうかという時間、帝国ホテル前でアキラの締め括りで別れを告げて、恋人達はホテルの部屋へと向かう。
 エレベーターの中で、やっと二人きりになって待ちきれないというようにアキラはヒカルの腰を引き寄せる。
 一時も離れたくないというに、深くくちづけをして。そしてエレベーターが止まる。
 予めアキラがチェックインを済ませていたため、ヒカルはエスコートされるだけだったのだが……。
「で、どうして無駄にスイートなんか予約するんだよ! こういう時はシングル二つ取るとかの配慮をしろよっ」
 最上階のスイートルームのドアを開けて、その広さに驚くよりも部屋に並べられた花束とまたもや冷されたワインに度胆を抜かれるヒカル。
「僕の誕生日の仕切り直しってどうかな? それに寝室は二部屋あるから両方使えば怪しまれないよ」
 ヒカルの抗議に動じる事なくアキラは先程の続きとばかりに愛しい恋人を抱き締める。
勿論ヒカルとてこれ以上の抗議は無用だとばかりにアキラの身体を抱き締め返したのだった。



 その夜は朝まで何度も何度も愛を交わしたのだが、結局一部屋しか使われる事なくチェックアウトの時間をむかえる事になり、最後に慌ててベッドの上で暴れるなどという事をしたアキラとヒカルなのであった。






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