秘スレバ花 1




 何事も無い一日が過ぎる。
 碁打ちとしての一日は、手合いや指導碁、そして色々な勉強会、棋院の仕事等で費やされる。
 つまり何事も無い一日というのは、それらのどれかで費やされる日の事だ。
 塔矢アキラは、それらの変わり無い日々を律儀にこなす。もちろん、スポーツクラブに通う時間を作る事も忘れない。
 いや、今までよりも頻度が増したと言えようか。
 その理由の一つとして、身体を動かすとその疲れで深い眠りにつける事があげられる。
 進藤ヒカルとのデートから、塔矢アキラは何も考えずに眠れる手段が必要だった。それが身体を動かす最たる理由だ。
 眠りが浅いと決まってヒカルの夢を見る。始めはそれも歓迎だったが、頻繁に続くと辛いものがあった。

* * * *

 半裸のヒカルが甘く囁く。
『塔矢……』
 切なげな眼差しに耐えきれず、その華奢な身体を抱き締める。体重を預けられるのと同時に伏せられる目蓋。
 塔矢はその目蓋にそっと唇を寄せ、そしてヒカルの唇へと辿る。
 もっとヒカルを感じたいのに、夢はそこでストップしてしまう。生殺しの夢だ。
 いっそヒカルを蹂躙できたら……。例え夢でも満足できるだろう。なのに実際は違う。夢だというのに罪悪感を感じてしまうからだろうか?
 正常な男子として、出してしまいたい時には決まってヒカルを想像している自分。それを恥じる思いもあるし、現実的な行動に出ないためには仕方ないと諦める思いもある。
 ずっと隠し続ける想い。咲くことの無い華。実ることの無い果実。
 だからこそ、夢でも見るのが辛くなる。現実との違いを感じてしまうから、余計に虚しい。
 その解消として身体を動かし、疲れればその夢を見る頻度が減る。
 けれど、ヒカルに逢いたいという気持ちまでは抑え切れるものではなく、そしてそれを遠慮する気はない。
 だから塔矢は同じ碁打ちとしてこの世に命有る事に感謝するのだった。

* * * *

『今度の金曜だけど、時間が空くなら碁会所の方に来ないか?』
 ヒカルは自分の携帯に入ったメールを見ながら胸踊る己れを情けなく感じていた。塔矢が度々誘ってくれるのは嬉しい。
 塔矢と碁を打つのも好きだか、それ以上にあの真剣な眼差しを受けるだけでも心が騒めいた。
 自分が塔矢を意識してしまうのは何故だろうかと思ってもその答えは出ない。
 しかし、在り来りの言葉で表現するなら自分は塔矢を異性を想うのと同じレベルで好きだと自覚していた。
 だからこそ、会うのが辛い。
『金曜午後から時間有る。二時頃着予定』
 感情を殺してメールを返し、ヒカルはほっと息をついた。そしてそれを受けた塔矢もまた同じ気持ちだったがヒカルは知る由もなく……。
 金曜の午後。碁会所の最奥の席のヒカルと塔矢。 
 碁を打っている間の会話は少ない。それが許される世界だ。だから碁盤の上に二人で宇宙を築きながらヒカルはそっと塔矢を盗み見る。
 碁を打たなければ築けなかった関係。時々それが無性に悔しい。碁が無ければ何の関係も無いのと同じだから。
 塔矢と打つのは楽しいのと同時に、辛いものがあった。

* * * *

 ヒカルの姿を盗み見るのは塔矢もまた同じであった。この間の事を怒っていないかとか、囲碁以外で逢ってくれるだろうかとか、考える事はたくさんある。
 個人的な事は何も知らないから知りたい。けれどそれが許されるのかが解らない。
 所詮自分たちの間には碁しか無いのだろうか。
 碁を打つときにだけ許される逢瀬。もし今の自分の気持ちを伝えたなら、きっとその逢瀬も適わなくなるのだろう。
 この気持ちを押さえ続ける自信はある。抑え切れずに逢えなくなってしまう方が辛いのだから。


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