MOON & SUN 2
「よぉ!来たか」 先日と同じ酒場で遅い昼食を取る。 目の前の席に音を立てて座る少年。 白人とは違う肌の色。赤にも見える瞳にブルネット。決して好みのタイプという訳ではない。 しかしこんなに征服欲を煽るタイプも久しぶりだった。ベッドの中で啼かせてみたくなる。 もう少し愛想が良ければまた違ったのかもしれない。 「こんな時にも刹那は来ないのか?」 普通なら直接詫びに来てしかるべき場面だろうに。 「俺が刹那だと言ったはずだ。それとこれを返す」 仕事のミスは有ってはならないから、前金の倍返しが慣習だ。普通ならこれが怖くて5割の前金になどしない。つまり裏には裏のルールがあるという事だ。 「おかげさまで一晩中待ちぼうけだ」 口の端を持ち上げて笑うと、馬鹿にされたと思ったのか少年は悔しげだ。 「もう一度チャンスをくれ」 言われなくても依頼するつもりだった。 他で使っている情報屋がお手上げだと言ってきたのだ。 他のすべてが根を上げた仕事を引き受ける刹那はよほど情報通なのか。もはや仕事を成功させようとするなら刹那しかいない。 それにこの少年を飼っているというのも気になった。 目の前の少年から感じる衝動は征服欲にも似たもので、それらはすべて刹那の教育の賜物だろう。交渉の場面に出すのだから、ただの使いではないはずだ。 しかし下手に手を出して弱みを握られたくもない。 考える素振りを見せつつ譲歩案を出す。 「お前さんが一晩俺と付き合ってくれるなら、また情報を買ってもいいぜ」 細い手首を捕まえて袖の中に指を滑らせる。細い身体がビクリと跳ねた。 本当に美味しそうな反応をするではないか。 「子供じゃないなら何の事か解んだろ?」 「そっ、」 赤くなる様子が思った以上に可愛い。脚の間に脚を入れて絡ませるようにすれば小鹿のように怯えた表情を垣間見せた。刹那の使いのわりには擦れていないのかもしくは演技なのか。 しかし刹那の物に勝手をするのはルール違反だ。おまけにこれ以上いじめるのも気がひけたし、早く仕事を終わらせ休暇を取りたかった。 新しく手に入れた船が処女航海を待っている。世界一周なんて大それた考えはないが広い海原でたった一人というのも悪くない。だからこんな事で遊んでいる暇はないのだ。 「俺に付き合うのが嫌なら、刹那とのホットラインを教えてくれ。他言しねーしよ」 ミスも含めて全部口にしないとロックオンが誓えば少年は渋々と端末機を取り出す。 「日が暮れたら出ないからな」 ロックオンの端末に個人的なアドレスが表示され、慌てて保存をする。 しかし気になるのは少年の言葉だった。 「どうしてだ?」 日が暮れたら出ないなんてなんの理由だ? 刹那が何故? ロックオンの疑問に少年は気まずそうに、それでも律儀に答える。 「子供は寝る時間だからだ」 子供とからかわれた事を逆手に取った少年の言いようにロックオンは目をしばたかせた。 まさか。 「マジ、お前さんが?」 刹那本人だというのか? こんな子供が? 「何度同じことを言わせる。こんな簡単な事が解らないとは。どうやらアンタは見掛けに違わず頭が悪いようだな」 明らかに気分を害したのか刹那が唇を尖らせて見せた。 見掛けに違わずだなんてどれだけ軽薄そうに見えるのか。こう見えても真面目が売りなのに……って冗談はさておき。 「いやまさかこんな子供がマジかよ?」 どう見ても15才にも達していないだろう見目。比較的安全な情報収集であるハッキングに長けているようにも見えないし、そもそも裏の世界に長くいるような年令ではない。 誰かの下にいると考えるのが妥当だろう。 だから刹那本人とは思わず、よく飼い慣らされた使いだと勘違いしたのだ。 父親などが裏の人間なら、代替わりしたとかあり得ない話でもないが。 「そうやって油断するから情報が漏れる」 勝ち誇ったような蠱惑的な表情を顔に浮かべ刹那が立ち上がる。 「また連絡する」 それだけ言い残し、立ち去った刹那。終わってみればとても良い気分だった。 あれが刹那。 なるほど誰もあの子供が刹那と思わないから、刹那自身の噂が仕事内容に限定されるのだろう。 端末には連絡先が保存されてある。刹那に会いたければ連絡すればいい。 にこりとも笑わないあの刹那をろうらくさせるのも面白い。またロックオンにはその自信があった。 まだ日暮れには早い。次の仕事の準備にはまだ間に合うが、刹那は逃げるように歩を早めていた。 あのターゲットに、まさか裏をかかれるとは思ってもみなかった。愚鈍そうなハゲの女好き。暗殺者を警戒し居所を次から次へと変えて。パターンを見い出し、身体を張ってまで手に入れたソースがデマだとは。 おかげでやっとロックオンと繋ぎが出来たと思ったのに、こんな初歩的なミスをすれば折角の縁が切れてしまうではないか。 信用を勝ち取って、そしてこちらに都合よく動かせれば……。 奴しかいないのだ。 赤い髪の悪魔。自分では太刀打ち出来ない相手を、きっとロックオンなら期待に沿う事だろう。 だからなんとしてもロックオンと繋がりを持ちたかった。今回の仕事も、仲間内からは敬遠すべきとされていたがあえて引き受けたのはすべてロックオンとの繋がりを得んがためだ。 個人的な連絡先を教えるなど不本意だったが、身体を張った仕事なのだと思えば安いものだった。 ロックオンに目的さえ果たさせれば自分はこの裏の世界から足を洗い、明るい世界で生きていける。 ロックオン・ストラトスという男。殺し屋には見えない澄んだブルーグリーンの瞳を持ち、明らかに自分に興味を抱いていたようだった。 手首に這わされたロックオンの指が官能を引き出そうとしていた事からも解る。 あの男は同性愛者で、もの腰からしても女もいける口なのだろう。 それなら尚更都合が良い。奴に取り入って意のままに操るならこの身体はちょうど良いだろう。 そうやって生きてきたのだ。今さら躊躇いなどあろうはずがない。 日が暮れ始めている。刹那は軋む身体をなるべく楽な体勢へと落ち着ける。 息が止まり身体が分解されそうな苦しみは一瞬だ。幾歳月も耐えてきたが、それももうすぐ終わる。 日が完全に落ちて、刹那は次の仕事のためにと身支度を整える。 鏡に映る姿。小さな顔に大きな瞳。ふっくらとした唇は男どもが夢中になってキスをしようとする。 華奢な身体はまるで折れそうだと誰かが言っていた。濃い色をした肌色も蠱惑的な魅力があるらしい。 しかし刹那は鏡の中の自分を一瞥しただけで、簡単に仕度を終えた。 夜は長い。情報を得るために有効の手段はなんだってしよう。 こんな姿になるのも、あの赤い髪の悪魔を抹殺するまでだと刹那は唇を噛み締めたのだった。 |